以下は前章の続きである。
渡部 これはもうやや陳腐になってきたけどアメリカの巡航ミサイルがどうのって、何でも言えますけれど、その前にソ連のミサイルの話が出なければ、アメリカだけが攻撃用のミサイルを準備してるみたいに読めるのね。両方出さなければ、話にならないんですよ。しかしソ連の新型ミサイル配備の方が時間的には先だ。
香山 ええ。朝日の記事を比較しますと、アメリカのスリーマイル島の原子力発電所の事故などでは一大キャンペーンを張るのに、今度のソ連の原子炉衛星の事故では、とにかくもう汚染は全然心配ないとなぜか、安全性だけを、非常に強調していますね。
完全に事実だけを言うんだったら、それと同じような安全性の高さを言わなければならないことが、ほかにいくらでもあったはずなんですけどね。どうも偏見が強すぎる。
偏見の構造
渡部 おっしゃる通り、例えば原子力船の「むつ」の危険性などは、その危険性から見りゃ、もう問題にならないほど小さいでしょうが、しかし、「むつ」のほうはもう危なくて、危なくて、とても大変なんですよ。
香山 それはやはり偏見の構造だと思うんですね。
偏見というものがあると、片方は危険に見えて、片方は安全に見える。つまり右寄りは危険で、左寄りは安全というふうな単純な偏見があるために見えたり見えなかったりした例というのは、拾っていくとそれこそ山のようにある。
これももう昔の話で有名過ぎる話ですけども、朝日新聞が林彪の失脚を認めることが、先進国の新聞の中で一番遅れたわけですね。
有名な昭和四十七年二月十日の朝日の夕刊ですよ、一面トップに「林氏、失脚後も健在」なんてね。
このときはすでに、林彪は、毛沢東暗殺を企図した極悪人として殺されてしまっていた(または死亡していた)わけですが、AFPが林彪失脚を打電しても、朝日はむしろそれをデマだと打ち消す報道を一生懸命やる(笑)。
渡部 この時はもう死ぬか殺されるかしていたわけでしょう。
香山 そうなんです。林彪はその後の中国共産党の公表によれば、この朝日の「林氏、失脚後も健在」という記事の五ヵ月前の昭和四十六年九月十二日に、クーデターに失敗し飛行機でソ連逃亡を図ってモンゴルで墜落死亡ということになっているわけです。
ところが、この林彪死亡後も朝日の秋岡北京特派員はなぜか「流説とは食違い―毛主席語録も健在―中国の国内事情」(昭和四十六年十一月二十五日)で、異変を否定し「なおナソ解けぬ”中国政変”説」(同十二月四日)でも、中国政変説に疑問をぶつけて、「林氏の著作、まだ店頭に」と書いているんですね。
渡部 必死になって、弁護してるんだとしか思えない。
香山 この一連の記事を見ていると、とにかく文革の偉大なる指導者であり、毛沢東の後継者であったはずの林彪に対して、あるセンチメントが滲み出てるわけですね。
こういう記事はいずれも、中国文革礼賛記事を書き続けてきた朝日の記事体質の延長上にあるわけです。
林氏は失脚したかもしれないが、とにかくまだ健在だと、もう五か月に渡る連続誤報の最後の土俵際で頑張ってるような、健気な林彪擁護論ですよ、これは……。
危険な左翼全体主義的発想
渡部 しかし、それはもう少し意地悪く見ると、もの凄い北京政府の体質批判なんだな。
普通失脚すれば、消されるという前提でもの言ってるんだから。
香山 語るに落ちてる(笑)。
渡部 そういう毛沢束体制、文革のもとでの中国社会の安定ぶりを必死になって盲目的に支持するという朝日の体質そのものが、もう全体主義シンパですよ。
香山 その通りです。本誌 四十六年の十二月六日号で『週刊文春』が”林彪失脚”という特集記事を書いたんです。
それを朝日新聞に広告を載せようとしたんですが、朝日は、「これは載せられない」と言って断った。
林彪失脚は、わが紙としては確認できていない。
確認できていないことをたとえ広告であろうと載せるわけにはいかん。
広告といえども記事の一部になる。
中国に対して失礼だ云々と、こういう話でね。
香山 それが、朝日新聞の一番危険な左翼全体主義的発想なんですね。
渡部 そう、「真実」は自分だけが知ってるという独善と驕り。
香山 自分たちだけが真実を独占してるという発想ほど、全体主義の特色をよく表わしてるものはないわけですね。
ラッセル卿の「懐疑論集」を引き合いに出すまでもなく、要するに人間というのは、たいした予見能力も情報収集能力もないわけですから、われわれが真実だと思ってることが、どこでどんでん返しがあるか分からない。
だからこそ言論の自由と多様性が大切だし、裁判にだって、三審制度や再審請求制度というものを設けてあるんでね、分からないわけですよね。
ところが、それが自分たちはまだ林彪の失脚を確認していない、だからこんな広告は怪しからん、載せるわけにはいかない、という全体主義的発想からは、論争する態度も出てこないし、質問に答えようという態度も出てこない。
渡部 ぼくに関係した雑誌記事でも、朝日は、広告は出さないといったケースがあるんですよ。
つまり朝日というのは、つい最近まで、自分が批判されるようなことは、ほかの雑誌の内容としての広告記事でも出さないという強引さがありましたね。