夕べ夜中まで友人ナースがいてくれた。こういう時、ナースの友人というのはありがたい。救急隊への申し送りは完璧だし、父を任せて置いても屯用薬を熟知しているので安心だった。
病院ではとにかく母は喋るのだが薬が効くまではとんちんかんだった。
「体重は何キロですか?」
「23キロ!」
「ハハハ!そりゃ、年齢ですか?(ドクタージョーク)」
「はい。」
「・・・・・。」
その後も指示が通じず大変だった。
母は30年ほど前に車ごと転落するという事故に遭い、開頭手術している。それが見事だったらしくレントゲンを見ながらドクター達が絶賛していた。
「ドクターの名前は?」
私こどもやったし覚えていない。ナースも流石に当時からいる人はいない。
「当時ベテランで40歳くらいとして、今70やもんなあ・・。」
・・・。分かるけど、ドクター腕前を見るより、今の状態を見てくれるかい?と言いたかった。
戻ってからはすぐ父の寝室で一緒に寝る方がいいのだが、くろべえが夜中に出入りするし、私もいろいろすることがあると、そうもいかない。結局、自分の部屋から時間ごとに父の透析の状態を見に行く。そして、かなり猫の状態を見て寝室に行った。
5時に目覚め、そおっと透析のデータを記録し、父から切り離す。母屋に行って猫のために裏口を開け、湯を沸かしたり神棚仏壇のことをした。
7時父の朝食。熱は36.3。平熱だ。トースト1枚とエンシュアをカップ半分ほど摂取できた。食後蒸しタオルで顔を拭きながら
「父ちゃん、荷物だけ重いけん運んでくれといたら、自分でゆっくり透析の準備できるけん。母ちゃん見に行って仕事行けよ。」
等といじらしいことを言う。しかし、ご飯も食べられず点滴している父が歩けるはずもない。
「あのな、それは無理じゃけん。会社行って事情話して休みもらうけん。」
そう話してから、会社に行った。直属の上司にまず休みを貰うために待っていたら、当の上司もお母様が転倒して通院のためにお休みだという。そこで会社の上司に伝えに行きとにかく1週間休みを貰った。それから母の入院準備をした。短い入院なのでとりあえず着替えと洗面具があればいいのだが、下着やパジャマが何しろみすぼらしい。下着もパジャマも実は私より度々買って渡してあるのだが、もったいない党首なのでどこかに「ないない」しているのだ。これは宝探しになる。あきらめて、父からお金を貰って下着もパジャマも新調した。
病院に午前中に荷物を運んだが、まだICUにいた。本人は元気で話していることもしっかりしていたので、やはり夕べはかなり脳に血が行ってなかったのだろう。一過性の虚血性脳発作というやつだ。これからはバイアスピリン(血液サラサラの薬)が必要になる。父と同じ薬である。
「あいつは何でも父ちゃんの真似する。足痛い言うたら私も言うし、歩けんいうたら歩けん言うし。何ちゃ脳の血管まで同じところ細うならんでもええのに。」
と父が言っていたくらいだから、薬もお揃いになったらまた言うのだろうな。
結局検査続きで病棟に移ったのは夕方だったらしい。連絡待ちで父の事をしていたが、時間が時間なので午後は面会に行けなかった。親戚の人が見舞ってくれ
「大丈夫じゃけん、父ちゃん頼むと言い寄ったわ。」
と伝言をくれた。
父の方は熱は落ち着いたが、だめ押しの点滴をしてもらった。昼食はちらし寿司をほんの少ししか食べられなかったが、夕飯はお粥を茶碗1杯は食べ、卵焼きも一切れだが食べられた。土日をこれで乗り切ってほしい。
それにしても、こういう年になると親もいい年なわけでどこもみんな介護がつきものだ。上司のお母様もそうだし、私もそう。頼りにしている友人ナースにしても、お父様はすでに亡く、認知症のお母様を抱えている。知らないだけで、みんなそれぞれ介護生活をしているのだろう。私もがんばらなきゃ。
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病院ではとにかく母は喋るのだが薬が効くまではとんちんかんだった。
「体重は何キロですか?」
「23キロ!」
「ハハハ!そりゃ、年齢ですか?(ドクタージョーク)」
「はい。」
「・・・・・。」
その後も指示が通じず大変だった。
母は30年ほど前に車ごと転落するという事故に遭い、開頭手術している。それが見事だったらしくレントゲンを見ながらドクター達が絶賛していた。
「ドクターの名前は?」
私こどもやったし覚えていない。ナースも流石に当時からいる人はいない。
「当時ベテランで40歳くらいとして、今70やもんなあ・・。」
・・・。分かるけど、ドクター腕前を見るより、今の状態を見てくれるかい?と言いたかった。
戻ってからはすぐ父の寝室で一緒に寝る方がいいのだが、くろべえが夜中に出入りするし、私もいろいろすることがあると、そうもいかない。結局、自分の部屋から時間ごとに父の透析の状態を見に行く。そして、かなり猫の状態を見て寝室に行った。
5時に目覚め、そおっと透析のデータを記録し、父から切り離す。母屋に行って猫のために裏口を開け、湯を沸かしたり神棚仏壇のことをした。
7時父の朝食。熱は36.3。平熱だ。トースト1枚とエンシュアをカップ半分ほど摂取できた。食後蒸しタオルで顔を拭きながら
「父ちゃん、荷物だけ重いけん運んでくれといたら、自分でゆっくり透析の準備できるけん。母ちゃん見に行って仕事行けよ。」
等といじらしいことを言う。しかし、ご飯も食べられず点滴している父が歩けるはずもない。
「あのな、それは無理じゃけん。会社行って事情話して休みもらうけん。」
そう話してから、会社に行った。直属の上司にまず休みを貰うために待っていたら、当の上司もお母様が転倒して通院のためにお休みだという。そこで会社の上司に伝えに行きとにかく1週間休みを貰った。それから母の入院準備をした。短い入院なのでとりあえず着替えと洗面具があればいいのだが、下着やパジャマが何しろみすぼらしい。下着もパジャマも実は私より度々買って渡してあるのだが、もったいない党首なのでどこかに「ないない」しているのだ。これは宝探しになる。あきらめて、父からお金を貰って下着もパジャマも新調した。
病院に午前中に荷物を運んだが、まだICUにいた。本人は元気で話していることもしっかりしていたので、やはり夕べはかなり脳に血が行ってなかったのだろう。一過性の虚血性脳発作というやつだ。これからはバイアスピリン(血液サラサラの薬)が必要になる。父と同じ薬である。
「あいつは何でも父ちゃんの真似する。足痛い言うたら私も言うし、歩けんいうたら歩けん言うし。何ちゃ脳の血管まで同じところ細うならんでもええのに。」
と父が言っていたくらいだから、薬もお揃いになったらまた言うのだろうな。
結局検査続きで病棟に移ったのは夕方だったらしい。連絡待ちで父の事をしていたが、時間が時間なので午後は面会に行けなかった。親戚の人が見舞ってくれ
「大丈夫じゃけん、父ちゃん頼むと言い寄ったわ。」
と伝言をくれた。
父の方は熱は落ち着いたが、だめ押しの点滴をしてもらった。昼食はちらし寿司をほんの少ししか食べられなかったが、夕飯はお粥を茶碗1杯は食べ、卵焼きも一切れだが食べられた。土日をこれで乗り切ってほしい。
それにしても、こういう年になると親もいい年なわけでどこもみんな介護がつきものだ。上司のお母様もそうだし、私もそう。頼りにしている友人ナースにしても、お父様はすでに亡く、認知症のお母様を抱えている。知らないだけで、みんなそれぞれ介護生活をしているのだろう。私もがんばらなきゃ。
