あまりに長く感じたので、昨日のことかと思ったが、ブログを更新したのは今朝だった。
3時の出来事から、結局眠れずブログを更新し、少しだけうとうとした。洗濯物を干したりしながら、父の状態を見た。もし、昨日の点滴の効果がなければ県立病院に連れていこうと決めていた。何しろ主治医は今日から夏休み。そして土日を挟むことを考えると、どうしても今日の点滴は外せなかった。
朝食の時間になっても起きられない。
「嫌じゃ。飯いらん。」
「病院行かん。ここで寝よる。」
とただ目を閉じたままだだっ子のように言うだけ。これはまずい。
病院に父に分かるように電話する。それから着替えをさせて、いざ車に乗せようとしたが、全く足に力が入らない。それどころか、座位を保つことも難しかった。
「これは救急車じゃなあ・・・。」
そう判断して、結局救急車で搬送した。先日母を運んだ人たちが、今度は父を運ぶ。嫌な常連さんである。
病院では、血液検査やその他の検査結果は普段と変わらなかった。結局脱水と栄養不足である。病院としては入院するほどではないとの判断だったが、ナースが心配した。
「この状態で帰っても、また来るようになりませんか?通院は体力的にも辛くないですか?」
それは私も考えた。毎日点滴に通うのは父にはきついだろう。入院すれば、安心ではあるが、透析の問題もあって部屋が確保できるか分からなかった。
しかし、父は
「嫌じゃ。家に帰る。」
と言う。そこで、ドクターやナースやらがあれこれと考えてくれた。
「訪問看護はどうだろう。」
実はそれを考えなかったわけではないが、果たしてこんなに急で大丈夫なのか?指示書はここから出して貰うとしても、ステーションは町内なので隣町の医師の指示書でいいのだろうか?
結局、主治医がいてくれればそこで指示書を書いて貰えば話は早かったのだが、何しろお休みである。県立病院の指示書では、隣町まで毎日点滴液を取りに来ることになり、それは無理とのことだった。
それならば、ステーションの本部にあたる病院にかかれば、そこから直接薬が届くので、日参する必要がない。ただ、父はそこにかかったことがないので、診察を受ける必要がある。そうなると、この状態の父をさらに隣の町まで搬送することになり、それはかなり辛いことだ。
結局、ケアマネージャーやナースやドクターやたくさんの人が、苦労してくださり、ドクター同士の連携と紹介状で、私が代わりに問診を受ける形で受けてくれた。
ようやくややこしい話が決着を見た頃、点滴で少し元気になった父が私を呼んだ。
「なんか・・・大変そうなけん。父ちゃん、入院しよか?」
・・・・・。私はその場で倒れるかと思った。あなたが嫌や言うから、こんなにたくさんの人が骨を折ってくれたのに。
「ごじゃごじゃ言われん。やっと話ついたのに。」
家に戻って、点滴が効いたのと、人情が効いたので父に「がんばらなきゃ」って気持が芽生えていた。夕飯は粥とみそ汁を久しぶりに完食した。
ここをクリックしてお立ち寄りください。
3時の出来事から、結局眠れずブログを更新し、少しだけうとうとした。洗濯物を干したりしながら、父の状態を見た。もし、昨日の点滴の効果がなければ県立病院に連れていこうと決めていた。何しろ主治医は今日から夏休み。そして土日を挟むことを考えると、どうしても今日の点滴は外せなかった。
朝食の時間になっても起きられない。
「嫌じゃ。飯いらん。」
「病院行かん。ここで寝よる。」
とただ目を閉じたままだだっ子のように言うだけ。これはまずい。
病院に父に分かるように電話する。それから着替えをさせて、いざ車に乗せようとしたが、全く足に力が入らない。それどころか、座位を保つことも難しかった。
「これは救急車じゃなあ・・・。」
そう判断して、結局救急車で搬送した。先日母を運んだ人たちが、今度は父を運ぶ。嫌な常連さんである。
病院では、血液検査やその他の検査結果は普段と変わらなかった。結局脱水と栄養不足である。病院としては入院するほどではないとの判断だったが、ナースが心配した。
「この状態で帰っても、また来るようになりませんか?通院は体力的にも辛くないですか?」
それは私も考えた。毎日点滴に通うのは父にはきついだろう。入院すれば、安心ではあるが、透析の問題もあって部屋が確保できるか分からなかった。
しかし、父は
「嫌じゃ。家に帰る。」
と言う。そこで、ドクターやナースやらがあれこれと考えてくれた。
「訪問看護はどうだろう。」
実はそれを考えなかったわけではないが、果たしてこんなに急で大丈夫なのか?指示書はここから出して貰うとしても、ステーションは町内なので隣町の医師の指示書でいいのだろうか?
結局、主治医がいてくれればそこで指示書を書いて貰えば話は早かったのだが、何しろお休みである。県立病院の指示書では、隣町まで毎日点滴液を取りに来ることになり、それは無理とのことだった。
それならば、ステーションの本部にあたる病院にかかれば、そこから直接薬が届くので、日参する必要がない。ただ、父はそこにかかったことがないので、診察を受ける必要がある。そうなると、この状態の父をさらに隣の町まで搬送することになり、それはかなり辛いことだ。
結局、ケアマネージャーやナースやドクターやたくさんの人が、苦労してくださり、ドクター同士の連携と紹介状で、私が代わりに問診を受ける形で受けてくれた。
ようやくややこしい話が決着を見た頃、点滴で少し元気になった父が私を呼んだ。
「なんか・・・大変そうなけん。父ちゃん、入院しよか?」
・・・・・。私はその場で倒れるかと思った。あなたが嫌や言うから、こんなにたくさんの人が骨を折ってくれたのに。
「ごじゃごじゃ言われん。やっと話ついたのに。」
家に戻って、点滴が効いたのと、人情が効いたので父に「がんばらなきゃ」って気持が芽生えていた。夕飯は粥とみそ汁を久しぶりに完食した。
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