すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

喧嘩

2010-10-21 21:37:08 | ひとりごと
 今日はキヨちゃんと喧嘩した。仕事を終えて戻って、遅い夕飯を食べた後までは和やかに、笑いながら話していたのだ。
 食後テレビを見ながら、来ていた手紙を開封した。それは私が支援している「ワールド・ビジョン・ジャパン」からで、支援先の自立の目処が立ったため、チャイルドとの別れを告げる手紙だった。
 ワールド・ビジョンは世界の子供や地域を支援する。普通の寄付との違いは、子供たちの学費や医療費を出すという意味だけでなく、地域の自立支援を目指し目処が立ったら手を引くというスタンスである。あくまで、自分の力で生きていく事が大切なのだ。
 友人から影響を受けて、スポンサーになったのはもう10年以上前だ。平均一人のチャイルドに5年支援する。私は今の子で3人目だが、運よく私のチャイルドはどの子も5年を待たずして自立した。友人のチャイルドは戦地であった事もあり、かなり長く支援していた。
 一月4500円。年間54000円といえば結構な金額に感じるが、日にペットボトル1本我慢すればいいのだ。私が贅沢にお菓子を食べている間、エイズに苦しむ子供や学校に行けない子供がいる。その子供たちの健やかな成長を静かに見守るだけの小さな幸せ。
 その支援が終わる。この子も巣立ってしまう事への感動と寂しさにしみじみしていたのだが、それがキヨちゃんは気に入らなかった。
 「くだらない。そんなことにお金を使って。その子がお前の老後を見てくれるわけでもないのに。」
その言葉が悲しかった。
 「老人ホームに寄付したほうがましじゃ。」
きっとそうしても怒るくせに・・・。
 私は私のしている事が正しいとは言わない。寄付しようがしまいがそれは自由だから、人に勧める気もない。盲導犬に寄付することもこの子達に支援する事も歳末の助け合いも私にとっては同じだ。できる事を出来る範囲でしたいだけだ。偽善といわれても全く構わない。私の支援で学校に行ける子供がいる、私の僅かなお金で盲導犬の餌が買える、それだけで十分な私の「自己満足」である。
 けれど、キヨちゃんにはそんな言い方をされたくなかった。しかも死んだ父まで引きずり出して
 「お前には言わなかったけど父ちゃんも反対だった。」
などと言い出したのだ。
 それは卑怯だ。確かめようもない父を出すのはルール違反だ。父はそれほど了見が狭いとは思えないが、もし本当にそう言ったとしても今持ち出すのはひどい。
 だから許せなかった。だから喧嘩になった。だから今夜は話さない。
 明日は、頑張って残業しよう。仕事が溜まっているのに、キヨちゃんが寂しがるから切り上げて戻ってこの有様だ。残業して仕事もクリアにして、冷却のための時間も持とう。
 キヨちゃんだって私を心配しているだけだと分かってはいるのだ。けれど、私の事も分かってもらわなければ。

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コメント (4)
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