博多では従兄の奥さんが新幹線のホームで待ってくれていた。そこからはキヨちゃんのサポートはお姉ちゃんに任せ、私は荷物を運んだ。
篠栗鉄道に行く時に、お姉ちゃんは気を使ってエスカレーターに近いところを考えてくれていたが、その日転んだ事を伝えて、出来るだけエレベーターか、無いところは階段で・・・と言う事になった。
ホームなどを良く知っているお姉ちゃんがいてくれなかったら、右往左往するところだったので大助かりだ。ただ、一か所だけエスカレーターしかなく階段は無く、エレベーターはとても遠いという所があり、そこだけはお姉ちゃんが抱きかかえるようにして乗せてくれたので、無事に乗り切る事が出来た。
新飯塚では従兄が車で待っていた。そこから伯母の家まで移動。道中昨日からの感動物語をキヨちゃんは話し続けた。
伯母は90近いのだが、数年前まで大学生相手の寮をしていた。第一期生は還暦を過ぎている。その還暦を過ぎた「卒業生」達が、旅行に連れて行ってくれるという事もあり、すてきな寮だったのだろうな・・・と思う。
今はかなり耳も遠く、歩きっぷりもかなり危なっかしいが、それでも家事は完璧にこなしている。車で着いた時、庭先にいて車が近付いても気付かないくらいだったので、車道は出歩かないで欲しいな・・・と心配になった。
伯母も暫く前まで元気が無かったのだが、キヨちゃんが訪ねると決まってからはすっかり元気になっていた。車を降りるとキヨちゃんと笑顔の再会。
伯母の作ったお昼を頂いた後、私はキヨちゃんのお使いでお土産を買って送るために従兄たちと出掛けた。キヨちゃんたちは積もる話をしてもらっていた。
戻って、従兄は家に帰った。従兄の家は伯母の家から車で1時間である。翌日は迎えに来て小倉まで送ってくれる段取りだった。
従兄が帰った後、二晩ほとんど寝ていない私は、旅の疲れも出て、また伯母の家の安心感もあって睡魔に襲われた。
「ちょっと寝たらええが。」
そう言われて、少し横になった。すこしウトウトしかけた時、キヨちゃんの悲鳴で目が覚めた。
「早ぅ来て!」
何ごとならんと跳び起きて廊下に出ると、まず私の靴下が冷たくなった。観るとトイレから廊下に向けて噴水のごとく水が飛んでいる。廊下も洗面台も水を止めようと立ちはだかるキヨちゃんも水浸しである。
そうキヨちゃんは水を流そうと立ち上がって、ウオッシュレットのスイッチを押したらしいのだ。
「だって!姉さんがここ押せって言うたもん!」
キヨちゃんがそう抗議すると、伯母は、
「大丈夫大丈夫。初めての時は失敗する。」
と笑った。
おそらくキヨちゃんも聞いていないスイッチは押さないので、耳が遠い者同士の会話で行き違いがあったのだろう。とにかく、にわかに拭き掃除となった。それにしても、あんなに飛ぶとは思わなかった・・・。
その夜は、伯母が寿司を取ってくれた。布団は伯母が上げ下ろしに苦労しないようにと、従兄がレンタル寝具を用意してくれていた。
80過ぎの年寄り二人と私で、この量が食べられるはずもなく、当然私が一番食べるわけだが、それにしたってこの量は食べきれなかった。お寿司は翌日の朝食にも私が食べたが、それでも少し残ってしまった。
さて、その翌日にもハプニングはあるのだが、それはまたのお話で。
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篠栗鉄道に行く時に、お姉ちゃんは気を使ってエスカレーターに近いところを考えてくれていたが、その日転んだ事を伝えて、出来るだけエレベーターか、無いところは階段で・・・と言う事になった。
ホームなどを良く知っているお姉ちゃんがいてくれなかったら、右往左往するところだったので大助かりだ。ただ、一か所だけエスカレーターしかなく階段は無く、エレベーターはとても遠いという所があり、そこだけはお姉ちゃんが抱きかかえるようにして乗せてくれたので、無事に乗り切る事が出来た。
新飯塚では従兄が車で待っていた。そこから伯母の家まで移動。道中昨日からの感動物語をキヨちゃんは話し続けた。
伯母は90近いのだが、数年前まで大学生相手の寮をしていた。第一期生は還暦を過ぎている。その還暦を過ぎた「卒業生」達が、旅行に連れて行ってくれるという事もあり、すてきな寮だったのだろうな・・・と思う。
今はかなり耳も遠く、歩きっぷりもかなり危なっかしいが、それでも家事は完璧にこなしている。車で着いた時、庭先にいて車が近付いても気付かないくらいだったので、車道は出歩かないで欲しいな・・・と心配になった。
伯母も暫く前まで元気が無かったのだが、キヨちゃんが訪ねると決まってからはすっかり元気になっていた。車を降りるとキヨちゃんと笑顔の再会。
伯母の作ったお昼を頂いた後、私はキヨちゃんのお使いでお土産を買って送るために従兄たちと出掛けた。キヨちゃんたちは積もる話をしてもらっていた。
戻って、従兄は家に帰った。従兄の家は伯母の家から車で1時間である。翌日は迎えに来て小倉まで送ってくれる段取りだった。
従兄が帰った後、二晩ほとんど寝ていない私は、旅の疲れも出て、また伯母の家の安心感もあって睡魔に襲われた。
「ちょっと寝たらええが。」
そう言われて、少し横になった。すこしウトウトしかけた時、キヨちゃんの悲鳴で目が覚めた。
「早ぅ来て!」
何ごとならんと跳び起きて廊下に出ると、まず私の靴下が冷たくなった。観るとトイレから廊下に向けて噴水のごとく水が飛んでいる。廊下も洗面台も水を止めようと立ちはだかるキヨちゃんも水浸しである。
そうキヨちゃんは水を流そうと立ち上がって、ウオッシュレットのスイッチを押したらしいのだ。
「だって!姉さんがここ押せって言うたもん!」
キヨちゃんがそう抗議すると、伯母は、
「大丈夫大丈夫。初めての時は失敗する。」
と笑った。
おそらくキヨちゃんも聞いていないスイッチは押さないので、耳が遠い者同士の会話で行き違いがあったのだろう。とにかく、にわかに拭き掃除となった。それにしても、あんなに飛ぶとは思わなかった・・・。
その夜は、伯母が寿司を取ってくれた。布団は伯母が上げ下ろしに苦労しないようにと、従兄がレンタル寝具を用意してくれていた。
80過ぎの年寄り二人と私で、この量が食べられるはずもなく、当然私が一番食べるわけだが、それにしたってこの量は食べきれなかった。お寿司は翌日の朝食にも私が食べたが、それでも少し残ってしまった。
さて、その翌日にもハプニングはあるのだが、それはまたのお話で。
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