すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

キヨちゃんとの珍道中記1

2015-04-06 22:06:03 | うちのキヨちゃん
 4月3日は前夜から台風の様な風雨だった。夜中に2度洗濯竿が落ちるほどで、キヨちゃんと出掛ける時も風に煽られながらくりりんの運転する車に乗り込んだ。
 くりりんに仕事の前に送ってもらい、地元の駅に着いたころからは雨も小雨になり、風も止んで日も少し差し始めたので、
 「良かったね。」
と二人で話していた。
 キヨちゃんは行きたい気持ち半分と、長旅を歩けるのかと言う不安半分で、数日前からあれこれ悩んでいたが、いざ駅に入るともう気持ちは鹿児島に向かっていた。
 阿波池田から特急で岡山に向かう。途中窓から少し散り始めた桜を二人で楽しんだ。岡山で新幹線に乗るまでに、30分の余裕を持たせていたので、おトイレを済ませてゆっくりと乗り換えのホームに向かった。
 一番最初のプチ事件は切符である。乗車券を機械に通す事がなかなか難しいだろうと思ったが、乗車券と特急券とをまとめて渡して、
 「これを一緒にここに入れて、向こうで出てきた分を取って。」
と説明した。キヨちゃんは言われるままに入れようとしたが、裏向きにしかも入れる時にバラけてしまう。結果、何だか1枚だけ通って1枚残った。それを私の方で回収して私が続いたのだが、その為に次の駅で一旦引っかかる事になる。
 そして、この日最大の事件はエスカレーターでの事だった。キヨちゃんは元々エスカレーターが苦手である。乗っかるタイミングが計れないのだ。しかし、階段はきつかろうと、そばにいながらタイミングを計って、
 「せーの。」
と乗ってもらった。
 しかし、足の置き場所が悪く足をすくわれる形になったキヨちゃんは、その場で後ろ向きに倒れかかった。ただやんわりとしゃがみこむ形だったので、大惨事にはならなかったが、座り込んでもエスカレーターは動くわけで、そうなると足の方が高くなっていき起き上がることは若くても無理だ。大荷物を持った私が荷物を放棄すると、
 「大丈夫ですか!」
とサラリーマン風の男性が荷物を支えてくれたので、私はキヨちゃんを抱き起こすことに成功。
 「すいません。本当に助かりました。」
 その方には何度も頭を下げた。
 「どこも痛めてない?」
そう聞くと、キヨちゃんも肝は冷やしたようだがどこも怪我はなく、
 「ことうない。どこっちゃ痛めてない。」
と言った。
 しかし、それからは怖くなったので、
 「母ちゃん階段にする。リハビリじゃ!」
と階段を使う事になった。勿論エレベーターが近いところはエレベーターを使ったが、最寄りにない場合は階段を使用。当然私は二人分の荷物を抱えながらキヨちゃんを見守る形で、階段を登ったので結構きつかった。まあしかし、無事で何よりだった。
 さて、新幹線が九州に入った頃、またまたお天気は大雨に。

     

 スケジュール的には一番雨では困る日だったのだが、こればかりは仕方なかった。
 新水俣に着いたのが13時10分。すでに親戚のお姉ちゃんが車で迎えに来てくれていた。実は直前までタクシーで40分行くつもりだったのだが、電話でその事を知ったお姉ちゃんが迎えに来てくれたのだ。
 親戚とは言え、電話くらいでしかやり取りもなく普段甘えられる立場でもなかったので遠慮していたのだが、そうして貰った事でこの先本当に助かる事になる。
 その日のスケジュールは、まずその親戚の家に荷物を置かせてもらい、先に家に送って預かってもらっていた菓子折りを貰い受ける。その家のお仏壇を拝ませてもらい、先日亡くなった従兄の家に行き、お墓参りを3か所して、キヨちゃんの古い知り合いを探すという予定だった。
 出掛けは雨もそこそこだったが、墓参りの時点では雷の轟く土砂降りとなっていた。キヨちゃんの親兄弟の墓は小山の上にあり、足元も悪い。
 「ばあやんや伯母ちゃんが帰るなって言いよるなあ。」
とキヨちゃんたちと笑い、しばし墓地で足止めを食らった。
 その後、キヨちゃんの知り合いを探すことになるのだが、それは次のお話に。

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コメント
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