アメリカ南部の農場主の一家を描いたテネシー・ウイリアムズの『やけたトタン屋根の上の猫』は、『ガラスの動物園』、『欲望という名の電車』など名作を発表したあと、書くだけ書いてたどりついた感じのするテネシー戯曲の一つです。テネシー44歳の作品。
どちらかというとくどい面があるが、それだけにどの作品よりもエネルギッシュです。
濃すぎるほどの人間の生への欲望や葛藤が息苦しいまでの空気感で描かれています。
人間と人間がぶっつかり合いでしか生まれることがかなわない真実の姿に、寺島しのぶ、北村有起哉、木場勝巳という実力派キャストが挑んでいます。
それと、今回新たに訳した常田景子の翻訳も今日的で歯切れがいい。
寺島しのぶのマーガレットも、迫真の演技で一頭地を抜いている。
等身大の生身の人間。お芝居でありながら、まるで彼女の人生を覗いたような感じです。
発表当時はタブー視されていたホモセクシュアルの問題、また本作を南部の大富豪一家を舞台にした「遺産相続劇」だという評者もいる。
それよりも現在の観客にとって大いに興味が惹かれるのは、DNA、血をつなぐことの意味、親と子,兄弟、夫婦や家族の主張のぶつかり合い、葛藤がドラマとしていちばん面白い気がします。
感心したのは5人の子役たち。
日変わりの配役らしいが、粒ぞろい。
5人の子供たちは、「大人連中のストレス製造機」のような役割を演じなければいけない。
出演している子ども達は、いい形で機能していた。
あっぱれである。
(2010年11月24日 新国立小劇場で所見)
―演出家・宮田慶子さんと対面―
新国立劇場のロビーで、宮田慶子芸術監督とばったり会った。
4年前、兵庫のピッコロシアターの前にある蕎麦屋さんで会って以来のこと。
抱きつかんばかりの再会だった。
このたびの新国立劇場芸術監督就任お祝いの挨拶もそこそこに、立ち話ではあったが、昨年明治座で見た宮田さん演出の『最後の忠臣蔵』こちら、そして松本清張の『黒革の手帖』こちらにまで話がおよんだ。
どちらも金子成人さんのすばらしいホン(←脚本)である。
宮田さんは「そう。金子先生のホンだと、演出していてワクワクしちゃうの」
話している宮田さんのえくぼがとてもチャーミングでした。
(画像/左は宮田芸術監督 右は新国立劇場小ホールのロビー)
―宮田慶子芸術監督に期待―
イプセンの『ヘッダ・ガーフレル』から宮田さんが提唱する現代演劇の系譜をひもとくシリーズがはじまった。
テネシーの『やけたトタン屋根の上の猫』は、その第2弾。
来年1月早々に上演されるワイルダーの『わが町』では宮田さん自からが演出を担当する。
この作品も新訳だという。
こんごも芸術の香り高い、意欲的なラインアップが続々と登場。
宮田慶子さんは近代演劇の古典を見直そうとの姿勢を明確にしている。
新国立劇場は、日本の現代演劇の大切な拠点。
時代を画する表現の試みを思い切って打出してほしいと願っているのは私だけでしょうか・・・。