団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

シニア女性の家計簿の実態は

2025年01月07日 | 老後の生き方

最近シニアの家計簿というタイトルで色んな雑誌で年金生活者

の家計簿を目にする機会が増えた、そんな実例を見るとやりく

り上手の人が多い、ただ預金額がわからないケースが多いので

実態をつかみにくいことも確かである。

 

女性のひとりぐらしの場合は国民年金は5万円前後、遺族年金

の額によって年金収入が大きく違ってくる、亡くなったご主人

がサラリーマンであれば遺族年金が10万円前後が多く、合計

15万円で生活しており、耐久消費財(冷蔵庫、洗濯機等)の

購入は預金を取り崩している、ご主人が自営業者であれば遺族

年金がなく国民年金のみとなり生活は厳しい、当然預金を取り

崩す必要がある。

 

さらに問題なのは医療費、そして介護状態になった時である、

ホームヘルパー、ディサービスと予定外の出費を覚悟しなけ

ればならない、ただ雑誌に掲載される事例の人はなんとか年

金収入の範囲内で生活してる人が多く、低年金、無年金、預

金なしの事例はあまりないのがシニア女性の家計簿の実態で

ある。

 

 

 


自分と価値観が似ている人はいるけれど

2025年01月06日 | 老後の生き方

自分の思いや考えがそのまま100%相手に理解されることは

難しい、だからそういう前提で人とのつながりを考えたほうが

いい場合がある。

 

たとえば家族、友人など、どんな親しい人でも自分とは違う、

だから他人への期待が過剰であればあるほど、それが叶わなか

った時の失望感は大きい、だから、他人に期待しない生き方も

時には必要なものだ。

 

実際自分と価値観が似てる人はいるけれど同じということは

まずない、違ってあたりまえ、そのことをスタートと考えれ

ば、相手の考えが違ったとしても素直に受け入れることがで

きると思っている。

 

 


妻が救急搬送されてから1年

2025年01月05日 | 老後の生き方

1年前妻が救急搬送され入院した、真夜中に強烈な腹痛で結婚

47年で初めて救急車にお世話になった、検査の結果胆石と判

明、内視鏡で胆嚢を取る手術をすることになったが、すぐ手術

はできなかった。

 

妻は5年前から膠原病のひとつである関節リウマチを患ってお

り、その治療で免疫抑制剤を投与していた、そのため2週間投

薬をストップしないと手術はできないということだった、一旦

退院したが関節リウマチの薬の服用を中止したことで全身の痛

みが日を追うごとに強くなったが予定どうり手術をして無事成

功し1週間で退院できた。

 

胆石の痛みからは解放されたが、この1年関節リウマチの状態

が悪化、毎月注射と投薬、寛解状態を維持してきたが痛みの度

合いが強くなってきた、さらに脊柱管狭窄症、甲状腺の病、婦

人病の膀胱瘤と次から次へと病魔が襲ってきた、そのため私は

病院への送迎で車はフル稼働、そして今まで以上に家事の分担

と協力、妻が救急搬送されてから1年、前途は厳しい状況だけ

ど悲観してもしょうがない、現状を受け入れサポートして乗り

切るしかないと思っている。


もしもパソコンがなかったら

2025年01月03日 | 老後の生き方

もしもパソコンがなかったらどんな定年後の生活を過ごしただろ

うか?定年後の生活は人それぞれ違う、働く人、ボランティア、

地域活動、趣味に生きる人、ただ何をするにしても私の場合パソ

コンは必須アイテムである。

 

なにしろ便利で楽しめる、情報検索、ユーチューブで聴きたい音

楽、そしてブログを楽しめる、組織から離れた身としては、こん

な心強いものはない、中にはネットでの検索に依存すると考える

力がなくなるという意見もあるがそんなことはないと思う。

 

昔の老人はパソコンがないのでどうしても群れのなかに入らない

と時間を過ごすことができなかったかもしれない、しかし今はパ

ソコンがある、楽しみの選択が広がったことは間違いない、この

ひと時こそ自分と向き合う貴重な時間だと私は思っている。


2024年・去年今年貫き棒の如きもの

2024年12月31日 | 老後の生き方

     去年今年貫き棒の如きもの

 

これは明治大正昭和の3代にわたる俳人、作家の高浜虚子の俳句

である、去年今年(こぞことし)とは大晦日の夜を境に去年と今

年が入れ替わっていくことを表すと言われてる。

 

この句の解釈は時の流れに区切りを付けて人は生きている、しか

し時というものは過去現在未来を通して貫く一本の棒のように連

続してるものだ、だから新年になるとすべてが変わり好転すると

いうわけではない、人生はそんなに甘くないよと言ってる感じが

する。

 

誰もが悩みを抱えているが人それぞれ違う、難病を抱え苦しんで

る人、事業の先行きに不安を抱えてる人、人間関係の悩みを抱え

てる人、親の介護で日々つらい思いをしてる人、人生は甘くない

かもしれない、それでも未来はわからない、時の流れを大切に明

日に希望を持って歩きたいものだ。

 

 


2024年・年の瀬に思うこと

2024年12月30日 | 老後の生き方

早いもので来年になると77歳の喜寿、それでも人生について

いまだにわからないことがある、かといってわかってしまった

ら生きる意味もなくなるのではないかと思っている。

 

悔いなく生きただろうか、やるべきことはやっただろうか、人

の役にたっただろうか、自分の生きる意味は?年の瀬になると

いつも問いかけてみる。

 

浮かぶ日もあれば沈む日もある、幾つになっても悩んで迷って

あたりまえ、老いて上手に生きる方法などない、それでも一日

にひとつでも愉快なことがあればそれでよしと思う、なければ

次に日に期待しよう、そんな思いで生きていきたい。


70代女性の悩み「文句の多い夫を病身で世話する私」

2024年12月26日 | 老後の生き方

70代女性の人生相談「文句の多い夫を病身で世話する私」要

介護4の夫と二人暮らし、夫は衣服の脱ぎ着は一人ではできな

い、入浴は週5日のデイサービス、投稿者は1年半前に乳がん

の手術をうけ膝も痛い、それでも毎晩夫の下の世話、朝4時半

に起床、病院の送迎、熟睡できるのは夫が月に5日行くショー

トステイの時だけという過酷な日々である。

 

さらに夫は介護付き有料老人ホームに入所したものの1ヵ月で

退所、夫婦で入所できる施設をさがせという我儘、年金生活で

は無理というと怒る、正直今のままでは介護に自信がないとい

う相談内容だった。

 

70代同士の老老介護は長期戦、一人では無理、周囲の支援が

必要、二人の娘さんが近くにいるなら協力してもらってはとい

う回答だった、一般的に帰宅願望が強いのは男性の方だといわ

れてる、しかし一人で介護は共倒れになる、やはり息抜きする

ためにもご主人とのバトルを覚悟で施設入居に踏み切るのが一

番と思える。


高齢者は75歳からという提言に思うこと

2024年12月25日 | 老後の生き方

先進諸国では65歳以上を高齢者としてきた経緯がある高齢者

の定義、日本老年学会と日本老年医学会が高齢者の定義を65

歳から75歳に引き上げるよう提言した。

 

確かに平均寿命が伸び、1956年の日本人の平均寿命は男性

63歳、女性67歳と現在より20歳近く若い、実際65歳に

なっても高齢者という自覚がなく、まだまだ若いと思ってる人

もいることも確かである。

 

「パートの仕事、趣味のカルチャースクールに通い、孫の面倒

を見て、友人とランチ、65歳で高齢者なんて思わない」とい

う意見の高齢女性がいる一方で病気と闘い、介護状態になって

いる人もいて健康面の違いも高齢になるほど個人差は大きい。

 

また若者と同じように精力的に外で働きたい人もいれば引退し

てのんびり過ごしたい人などさまざまだ、それを一つにまとめ

75歳に延ばすことに違和感を覚える。

 

 現在高齢者で働いてる人たちはこの意見に賛成だろう、実際こ

の提言をした有識者と言われる人たちも高齢者であるが働いて

る人たちである、そういう人たちがこの問題を論議すれば、お

のずと65歳では若いとなるのかもしれない。しかしそんな年

齢を重視し高齢者とくくることに、あまり意味がないような気

がしてならない。

 

 

 


夫婦の絆を感じさせる一枚のはがき

2024年12月24日 | 老後の生き方

日本郵便のはがきの名文コンクールで入賞した71歳の男性が

神様に宛てたはがき、奥様との闘病生活の日々が目に浮かび奥

様の無念さ、御主人の悲しみが癒えない気持ち、そして今なお

奥様に対する熱い想いが伝わってくる素晴らしい内容に心を打

たれた、その一枚のはがきを紹介します。

 

七年前の今日、三年間の苦しい闘病生活を終え、妻が旅立った、

段落して妻のベッドを片付けていると、「もし生まれ変わっ

たら、また結婚してくれますか」と記されたメモを見つけた。

 

力のない震えた字が愛おしかった「もちろん」と生きている妻

に応えたかった。伝えたい言葉がたくさんあったのに、見せた

い絵も、聴かせたいジャズも、行きたい街も、神様お願いです、

「僕の方こそお願いします」と必ず妻に伝えてください。


老後の居場所は人それぞれ

2024年12月23日 | 老後の生き方

過ごす時間の多い場所といえば、子供時代は家庭、学校、就職

すると職場、結婚すると職場と家庭が中心になる、定年退職後

は仕事を失くした喪失感に加えて地域や家庭での居場所づくり

という課題に向き合うことになる。

 

ただ本当の居場所は過ごす時間の多い場所ではなく自分にとっ

て居心地がよく、寂しくない場所であると思う、その居場所は

人それぞれ違うし時間の経過によって変わることもある。

 

友人との飲み会、夫婦の会話、孫とのふれあい、庭の手入れ、

ゴルフをしているとき、犬の散歩、旅行をしているとき、音楽

を聴いたり本を読んだりしているとき、パソコンの前にいると

き、挙げればいくらでもある。

 

ただ自分の居場所は人の真似をするものでもないし見栄を張る

ものでもない、得てして他人と比較して自分の場所を見失うこ

とがある、そうならないためにも自分の気持ちに正直に生きる

ことこそ大切な気がする。