読書日記

いろいろな本のレビュー

書庫を建てる 松原隆一郎・堀部安嗣 新潮社

2014-05-25 09:07:58 | Weblog
 私は書庫を建てるほど本を持っていないが、蔵書が一万冊を超えると書庫は必要だろう。田舎暮らしならいざ知らず、東京などの都市生活者が書庫を建てるのは経済的にも負担がかかり大変だ。立花隆氏のねこビルは有名だが、氏は本の整理等に秘書を雇っているくらいだから桁違いの蔵書量だ。松原氏は東大教授で経済学の先生だが、杉並区・阿佐が谷に10坪ほどの土地を購入して書庫を建てるまでの経過を記したものである。堀部氏は若手の建築家で、松原夫人がカフエーを開くときに店の建築を依頼した人である。こう書くと、都会のインテリ夫婦が、新進気鋭の建築家に書庫の建設をいたいして、その出来が素晴らしいものになったという最近よくある自慢話かと思われるが、ちょっと違う。
 それは書庫に仏壇を備え付けるという、一見奇異な取り合わせの中で、松原氏の人生が語られるというしくみになっていることだ。氏はもともと神戸の出身で、祖父が商売で成功して財をなし、幼少期はおぼっちゃまとして過ごし、灘中・高から東大へ進んだ。祖父の自慢で、溺愛されたが、一方で父との折り合いが悪く、家運も傾いたこともあり、父の晩年は絶好状態であったようだ。その辺の確執が赤裸々に語られており、結構な家でも中に入ればいろいろあるんだなあと思わせる。故郷を離れて生活している田舎の長男が、父や母そして家をどうするかというのは松原氏ならずとも悩ましい問題である。田舎へ帰れない以上、親の死後はその家を処分してということになるのだろう。氏が書庫に仏壇をというのは、地方の長男としての責務と考えたのだろう。
 東大教授といえども給料が飛び抜けて高いわけでもなく、書庫建設を巡って経済的に苦しい側面もちらほら見えて共感を呼ぶ。著者の人柄が表れていて交換が持てる。家を継ぐのもそう簡単ではない。

ブラック企業 今野晴貴 文春新書

2014-05-09 14:55:26 | Weblog
 今回の韓国の旅客船事故は死者・行方不明者を含めて300人を超える大事故になったが、船長と乗組員が乗客を見捨てて逃げて生還したことで、終末の厄災とも言うべき展開になった。儒教の国・韓国というイメージが強かっただけに今回の船長の行動は大きな波紋を呼んだ。ローマ法王が異例の会見をして倫理の復権を唱えたことからもわかる。儒教で孔子に次ぐ孟子は性善説を唱えて、人はだれでも「人に忍びざるの心」(他人の不幸を平気で見過ごすには耐えられない心)を持っていると言った。たとえば、幼児が井戸に落ちそうになっているのを見れば、だれでも惻隠(かわいそうに思う)の心を起こすだろうと。この心が仁への糸口になるという四端の説を展開するのは御承知の通り。今回の船長の行動はこの孟子の人間観を崩すものとなった。
 その一方で、犠牲者の多くを占める修学旅行中の高校生を引率していた教頭はたまたま救出されたが、その後生徒に申し訳がない、生きて行くのがつらいといって自殺した。この教頭は教育者としての倫理観を持っており、船長とは対極の位置にいると言えるだろう。自分が教頭の立場ならどうするか。この決断は非常に難しいが、私としては生きて欲しかったという気がする。
 その後、この船はいつも過積載で危ない橋を渡っていたことがわかり、その中で行政との癒着も判明した。金もうけ主義の犠牲になった若い命を思うと、たまらなく悲しい。あの船長も善なる心を持っていたが、その心が金もうけ主義という外物に蔽にわれて曇ってしまい、倫理が引っ込んだのではないか。船会社のモラルなき拝金主義の犠牲者ではないかとも思えてくる。
 前置きが長くなったが、今回『ブラック企業』を読んで、社員を使い捨てて何の痛痒も感じない企業が増えていることがわかった。大手企業でもそのような使い捨てが横行しており、やり口が非常に巧妙になっている。そのような会社のオーナーがカリスマ経営者だとちやほやされるのも間違っている。若者を叩いて使い捨てにすることは、天に唾するようなもので、いずれそのつけは国力低下というかたちになって現われる。今回の韓国の沈没船事故の会社を他人ごとと思ってはならない。以て他山の石とすべきである。