読書日記

いろいろな本のレビュー

終わりの日々 高橋たか子 みすず書房

2014-01-22 14:43:49 | Weblog
 著者は故高橋和巳の妻で、作家・フランス文学者である。高橋和巳は作家で京都大学助教授であったが、昭和46年にガンのため39歳で亡くなった。『悲の器』『邪宗門』『日本の悪霊』などで当時の文壇をにぎわせていた。当時全盛の全共闘運動の精神的支柱のような役割を担っていたと思う。京大・中文の吉川幸次郎の弟子で、六朝から唐代にかけての詩人論が専門。学会での評価も高く将来を嘱望されていたが、残念ながら夭折してしまった。たか子氏は和巳と京大の同級生で、彼女は仏文科出身である。当時から才媛の誉れが高かった。和巳の小説は陰鬱で重厚なものが多かったが、和巳の死後、「彼は自閉症の狂人だった」というコメントを発表し、話題になった。
 たか子氏は夫の死後、鎌倉を拠点に作家に専念し、その傍らフランス文学の翻訳などもこなし、フランスの修道院でも生活した。世俗とは相いれない仙人のような人格で、女版屈源という感じだ。氏は2013年7月12日に81歳で亡くなった。本書は2006年から2010年にかけて書かれた日記の抜粋で、孤高の作家の遺言というべきものだ。そこには痛烈な日本社会に対する批判がある。
 印象的なものをアトランダムに並べてみると、「ますます俗悪になっていく日本の現象。カルチャーというものが無くなってしまったらしい」「現在、日本で、新聞広告やテレビの画面を見ていて、あるいは町へ出かけて行って、みんなおんなじ顔と思ってしまう。男でも女でも。化粧のせい、髪型のせい?西洋から学ぶのなら、西洋の精神をこそ学んでほしいのに」「フランス人に生まれたかった」「私の、キリスト教を主軸にした夫婦の愛の伝記的作品に対して示された、或る大手出版社の憎しみ一杯な理解不能による拒否、長い人生を生きてきたが、こんなたぐいの愚劣さに、文学出版界において、この年齢になって出会うとは!」「欲望まるだしの日本社会というものが、新聞のページすべてに現れている。こんなことでいいのか?欲望丸出しの、現代の日本人たち。何か破滅の相のようなものが、私には、そうした全体に見てとれるのだ」「○○大学・大学院教授という肩書の男性ばかりが、言ったり書いたりしておられる。私から見ても思考力に欠けたものと見てとれる、いろいろな発言ばかりが、新聞やテレビ一杯のさばっている有様を」
 そして自分の作品を出版拒否されたことを再び取り上げて「日本の社会が雑然と汚くなってきた今、私の一生の仕事であった文筆業についても、何か解せない変動が起こっている、と見える。その文筆業ーー或る出版社で、その出版部に於いてこれほど業績を上げてきた私の、最近の著作を、拒む、という事態が一年半ほど前にあった。そうして、以後の私のものがむづかしいらしい。私のものが高度なものだから?出版社の或る人々が、現代という時代の流れによって、汚されて、よいものが見えなくなっているから?」
 たか子氏の小説は出してもせいぜい2000冊売れたらいいとこだろう。ほぼ学術書と同じだ。昨今の出版事情から考えて、儲けにならない本は出さないという流れは止めようがない。その点、岩波書店は立派だ。高橋氏にとっては作家としてのプライドを傷つけられ、悔しかったのであろう。気持ちはよくわかる。このように俗悪な現世を批判してきたたか子氏であったが、老人ホームで心臓麻痺のため、あっけなく世を去った。合掌。
 

生麦事件(上・下) 吉村昭 新潮文庫

2014-01-06 11:32:17 | Weblog
 生麦事件は文久二年(1862)八月二十一日、島津久光の行列が横浜の生麦村にさしかかったとき、イギリス人四人(内一人は女性)が馬に乗ったまま行列の前を通過しようとしたのを、従士が非礼であると怒って切りかかり、一人を殺害、他の者にも重傷を負わせた事件。翌年イギリス軍艦の鹿児島砲撃(薩英戦争)の原因となったが、幕府は責任を負い、償金10万ポンドをイギリスに支払った。この事件で幕府の財政は逼迫し、滅亡の速度を速めたと言える。本書は事件の発生から、薩英戦争、薩長同盟に至るまでを詳細に描いて、歴史小説の醍醐味を味わわせてくれる。
 騎乗したイギリス人たち(当然彼らは大名行列に出会ったときの作法は心得ていない)が久光の行列に邂逅するまでの様子、行列を目の当たりにした時の戸惑い、久光の家臣の目、抜刀して切りつけるまでの緊張感、すべてが映画のように可視化される。映画「ジョーズ」の冒頭を思わせる。緊張感を徐々に盛り上げていく技法は、著者の名作『羆嵐』でも使われていた。明治時代、北海道の天塩山系の開拓民の村がヒグマに襲われる悲劇を描いたものだが、村人の一人また一人と熊に襲われ連れ去られる恐怖の描き方は素晴らしい。妻を食い殺され、髪の毛の一部しか残っていないのを見つけた男の言葉、「おっかあが、少しになっている」は読む者に衝撃を与える。吉村昭の代表作たる所以である。
 彼の作風は登場人物に極力、余計な発言をさせないで地の文章を大事にしているところだろう。その地の文は広汎な資料の読み込みに支えられているので、作品全体が非常に品格がある。司馬遼太郎の歴史小説との違いはその辺にあるのではないか。司馬氏の小説は吉村氏のと比べるとずっと通俗的というか、読みやすい。ストーリーに沿って司馬氏の歴史的な蘊蓄が披露されることが多いが、それは、『街道をゆく』のパターンである。ある土地を訪ねてその地にまつわる歴史的な蘊蓄を披露するというものだ。最近、朝日文庫版で数冊読んだが、わかりやすい歴史事典のような感じだ。ときどき独断と偏見が垣間見られるのは御愛嬌か。吉村氏の場合はそういうことはなく、時系列にそって淡々と話が進行する。非常にストイックである。
 本書の後半、攘夷一辺倒の長州藩と公武合体の薩摩藩、水と油の両藩が協同して倒幕に向かう所の記述は、歴史のダイナミズムを描いて圧巻である。著者が鬼籍に入られたのが誠に残念である。