読書日記

いろいろな本のレビュー

歴史修正主義 武井彩佳 中公新書

2021-12-21 17:56:02 | Weblog
 副題は「ヒトラー賛美、ホロコースト否定法から法規制まで」で、主にナチスドイツのユダヤ人虐殺について、それを否定する言説を時系列に従って述べている。例えばあの有名なアウシュビッツ強制収容所で多くのユダヤ人がガス室に送られ殺されたことは多くの写真・証言から明らかだが、これに異を唱える発言が1973年にドイツであった。ティーズ・クリストフアーゼンという元親衛隊員が『アウシュヴィッツの嘘』という短いパンフレットを出し、そのような事実はなかったと述べたのだ。

 一般にアウシュヴィッツと呼ばれている場所には三つの強制収容所がある。他にも小規模な労働収容所がいくつもあり、親衛隊の工場やドイツ人管理者の宿舎も含めると、一帯は収容と強制労働のための巨大な複合体であった。クリストフアーゼンは1944年1月から1944年12月までアウシュヴィッツにいて、中心から3キロ離れたライスコという場所で親衛隊の農業関連企業で天然ゴムの開発要員として派遣されていた。彼は言う、「私はアウシュヴィッツでガスによる大量殺害をうかがわせるようなものは何も見たことがない。収容所に死体を焼く臭いが漂っていたなど、まったくの嘘である」と。これについて、ホロコースト否定論の一つの型が見出せると著者は言う。すなわち否定論者は自分が見聞きした限定された範囲の事実から全体を結論付けるのだと。故に彼の経験的な認識はアウシュビッツ全体の事実ではない。ちなみに彼は筋金入りのナチであり続け、ホロコースト否定が犯罪となるドイツにとどまることができず、デンマーク、イギリス、ベルギー、スイスと転々と死、最後は逮捕状が出ているドイツに戻って没したとある。

 ドイツはナチスのホロコーストの反省から、1960年に「民衆煽動罪」を制定し、ヘイトクライム、ヘイトスピーチを規制した。そして1994年「ホロコースト否定禁止」を制定した。それまでは先述の元親衛隊員のように自由にホロコースト否定を言い募っていた連中の口を封じたのだ。しかし、この件については言論の自由云々は通用しなくなった。「ホロコースト否定論」は表現の自由の保護の外にあるのだ。当然のことと言える。フランスでも1990年に「ゲソ法」(フランス共産党員のジャン=クロード・ゲソの法案提出)が成立し、すべての人種差別的、反ユダヤ主義的、外国人排斥的行為を抑制し、ホロコースト否認や人種差別的言動を禁止している。

 翻って我が国はどうか。著者はあとがきで日本国内でも1990年以降ホロコースト否定の言説が出始めており、1995年に雑誌『マルコポーロ』が「ナチのガス室はなかった」という記事を掲載し、国際的な抗議を受けて廃刊になったことを紹介している。私は当時たまたまこの雑誌を購入し、とんでもないことを書くものだなあと危惧を覚えたが、実際廃刊に追い込まれた。編集長の某氏は辞めさせられたことを覚えている。ところがその某氏が作る右派の雑誌が最近出回っている。このような歴史修正主義的な言説がどんどん増殖すれば、日本を誤った方向に向かわせかねない。ヘイトスピーチ規制法はできたが収まる気配はない。これは言論の自由の埒外であることをはっきりいうべきである。明白な歴史的事実を「~はなかった」というようなタイトルのトンデモ本を処罰すべきである。そしてこの流れをくむテレビのコメンテーターも同様である。本書の出版は最近の日本の状況を考えるとき、グッドタイミングだと思う。

ヒトラー(虚像の独裁者) 芝健介 岩波新書

2021-12-12 15:05:23 | Weblog
 作者の芝氏は元東京女子大教授でドイツ現代史専攻。夙にナチスの研究で有名だ。『武装SS ナチスのもう一つの暴力装置』(講談社選書メチエ 1995年)は私がナチスに関心を持つきっかけになった本である。今回は『ニュルンベルク裁判』(2015年)に続き岩波書店からの出版となる。ヒトラーの伝記は数多く出されている中で、本書が出される意味は何であろうかと考えてみた。このオーストリア生まれの、画家崩れの人間が、持ち前の弁舌力でドイツ第三帝国の独裁者となって、世界に厄災をもたらしたことは誠に遺憾で、世界はこれを肝に銘じて独裁者の専制を許してはならないのだが、世界情勢は今や危惧すべき状況になっている。

 いま世界は、習近平、プーチン、と全体主義国家のみならず民主主義を標榜するアメリカにおいてさえトランプのポピュリズムと権力の乱用によって国が危機に瀕したことを目の当たりにしたことは衝撃であった。民主主義の脆弱さを露呈してしまった。それを見透かしたように中国は、アメリカの民主主義は偽物で、中国の専制政治こそが民衆を守るという意味で、本当の民主主義と言えるのだという牽強付会の説を繰り返し述べて共産党を正当化している。トランプの後を任されたバイデンはトランプの負の遺産を帳消ししようと民主主義フオーラムを開いて、中国、ロシアに対抗する西側諸国の連帯を強めようとしている。北京冬季オリンピックに対して政治的ボイコットを呼びかけているが、日本はこれに唯々諾々と従ってはいけない。近隣国の中国とそう簡単に関係を悪化させることはできない以上ここは熟慮する必要があろう。その点今の首相はいささか頼りない。優柔不断であることが大変なリスクになる可能性がある。

 世界の政治指導者において今、ヒトラーがユダヤ人をジェノサイドしたようなとんでもない暴力肯定人間が権力行使している例は見いだせないが、その予備軍的な戦争を厭わない指導者はいる。それに対して市井の一庶民としてこれに抗うすべはないが、常に歴史に学び、政治に対する批判力は付けておかねばならない。一方でこれは国内問題についてはかなり有効に働くのではないか。ヒトラーの権力奪取のプロセスを見ると、参考になることが多い。今の日本を第一次世界大戦後のドイツと単純には比較できないが、弱小政党がポピュリズムを鼓吹して党首の演説力で、市民を引き付けた様子は、今度の選挙で日本維新の会が躍進したことと二重写しになった。「身を斬る改革」というキャッチフレーズと思想性の皆無な候補者の言動はある種の安心感を有権者に与えたことは確かだ。共産党や立憲民主党にはない非常に俗物的な臭いに引き付けられたのであろう。

 彼らを支持したのは貧困階級ではなく、中堅のサラリーマン層が多かったという大学教授の分析が、ネットで公開されていた。彼らは貧困層を憎悪する人々で、自助努力が足りないから貧困なのだと今の自分の生活に自信を持つ新自由主義者であるらしい。あの悪夢の小泉改革を思い出させる話題でぞっとした。あれで非正規雇用を拡大した大学教授は今人材派遣会社の会長で巨額の富を得ている。格差社会をなくすはずの政治が間違って格差を広げてしまった。その元凶が今もテレビに出ているのを見ると本当に腹が立つ。そして先述の政党の元党首は臆面もなくテレビのコメンテーターとして、新自由主義的言説をばらまいて、その広告塔となっている。どうしてこのような人間がテレビに出ることができるのか大いに疑問である。特に在阪のテレビ局と癒着がひどい。ナチのプロパガンダの様子を思い出させる。我々は本書を読んで、ナチスのやり方を学び、これら政治的チンピラに対抗する力をつける必要がある。

 最後に本書ではナチズムとシオニズムの関係が類書より詳しく書かれていた。ナチの弾圧によってユダヤ人のイスラエル帰還運動が促進されたというあの話である。また翻訳書ではないので読みやすいのも特長である。(内容が平易ということではない)巻末のヒトラー伝記の先行書の解説も参考になる。