副題は「ヒトラー賛美、ホロコースト否定法から法規制まで」で、主にナチスドイツのユダヤ人虐殺について、それを否定する言説を時系列に従って述べている。例えばあの有名なアウシュビッツ強制収容所で多くのユダヤ人がガス室に送られ殺されたことは多くの写真・証言から明らかだが、これに異を唱える発言が1973年にドイツであった。ティーズ・クリストフアーゼンという元親衛隊員が『アウシュヴィッツの嘘』という短いパンフレットを出し、そのような事実はなかったと述べたのだ。
一般にアウシュヴィッツと呼ばれている場所には三つの強制収容所がある。他にも小規模な労働収容所がいくつもあり、親衛隊の工場やドイツ人管理者の宿舎も含めると、一帯は収容と強制労働のための巨大な複合体であった。クリストフアーゼンは1944年1月から1944年12月までアウシュヴィッツにいて、中心から3キロ離れたライスコという場所で親衛隊の農業関連企業で天然ゴムの開発要員として派遣されていた。彼は言う、「私はアウシュヴィッツでガスによる大量殺害をうかがわせるようなものは何も見たことがない。収容所に死体を焼く臭いが漂っていたなど、まったくの嘘である」と。これについて、ホロコースト否定論の一つの型が見出せると著者は言う。すなわち否定論者は自分が見聞きした限定された範囲の事実から全体を結論付けるのだと。故に彼の経験的な認識はアウシュビッツ全体の事実ではない。ちなみに彼は筋金入りのナチであり続け、ホロコースト否定が犯罪となるドイツにとどまることができず、デンマーク、イギリス、ベルギー、スイスと転々と死、最後は逮捕状が出ているドイツに戻って没したとある。
ドイツはナチスのホロコーストの反省から、1960年に「民衆煽動罪」を制定し、ヘイトクライム、ヘイトスピーチを規制した。そして1994年「ホロコースト否定禁止」を制定した。それまでは先述の元親衛隊員のように自由にホロコースト否定を言い募っていた連中の口を封じたのだ。しかし、この件については言論の自由云々は通用しなくなった。「ホロコースト否定論」は表現の自由の保護の外にあるのだ。当然のことと言える。フランスでも1990年に「ゲソ法」(フランス共産党員のジャン=クロード・ゲソの法案提出)が成立し、すべての人種差別的、反ユダヤ主義的、外国人排斥的行為を抑制し、ホロコースト否認や人種差別的言動を禁止している。
翻って我が国はどうか。著者はあとがきで日本国内でも1990年以降ホロコースト否定の言説が出始めており、1995年に雑誌『マルコポーロ』が「ナチのガス室はなかった」という記事を掲載し、国際的な抗議を受けて廃刊になったことを紹介している。私は当時たまたまこの雑誌を購入し、とんでもないことを書くものだなあと危惧を覚えたが、実際廃刊に追い込まれた。編集長の某氏は辞めさせられたことを覚えている。ところがその某氏が作る右派の雑誌が最近出回っている。このような歴史修正主義的な言説がどんどん増殖すれば、日本を誤った方向に向かわせかねない。ヘイトスピーチ規制法はできたが収まる気配はない。これは言論の自由の埒外であることをはっきりいうべきである。明白な歴史的事実を「~はなかった」というようなタイトルのトンデモ本を処罰すべきである。そしてこの流れをくむテレビのコメンテーターも同様である。本書の出版は最近の日本の状況を考えるとき、グッドタイミングだと思う。
一般にアウシュヴィッツと呼ばれている場所には三つの強制収容所がある。他にも小規模な労働収容所がいくつもあり、親衛隊の工場やドイツ人管理者の宿舎も含めると、一帯は収容と強制労働のための巨大な複合体であった。クリストフアーゼンは1944年1月から1944年12月までアウシュヴィッツにいて、中心から3キロ離れたライスコという場所で親衛隊の農業関連企業で天然ゴムの開発要員として派遣されていた。彼は言う、「私はアウシュヴィッツでガスによる大量殺害をうかがわせるようなものは何も見たことがない。収容所に死体を焼く臭いが漂っていたなど、まったくの嘘である」と。これについて、ホロコースト否定論の一つの型が見出せると著者は言う。すなわち否定論者は自分が見聞きした限定された範囲の事実から全体を結論付けるのだと。故に彼の経験的な認識はアウシュビッツ全体の事実ではない。ちなみに彼は筋金入りのナチであり続け、ホロコースト否定が犯罪となるドイツにとどまることができず、デンマーク、イギリス、ベルギー、スイスと転々と死、最後は逮捕状が出ているドイツに戻って没したとある。
ドイツはナチスのホロコーストの反省から、1960年に「民衆煽動罪」を制定し、ヘイトクライム、ヘイトスピーチを規制した。そして1994年「ホロコースト否定禁止」を制定した。それまでは先述の元親衛隊員のように自由にホロコースト否定を言い募っていた連中の口を封じたのだ。しかし、この件については言論の自由云々は通用しなくなった。「ホロコースト否定論」は表現の自由の保護の外にあるのだ。当然のことと言える。フランスでも1990年に「ゲソ法」(フランス共産党員のジャン=クロード・ゲソの法案提出)が成立し、すべての人種差別的、反ユダヤ主義的、外国人排斥的行為を抑制し、ホロコースト否認や人種差別的言動を禁止している。
翻って我が国はどうか。著者はあとがきで日本国内でも1990年以降ホロコースト否定の言説が出始めており、1995年に雑誌『マルコポーロ』が「ナチのガス室はなかった」という記事を掲載し、国際的な抗議を受けて廃刊になったことを紹介している。私は当時たまたまこの雑誌を購入し、とんでもないことを書くものだなあと危惧を覚えたが、実際廃刊に追い込まれた。編集長の某氏は辞めさせられたことを覚えている。ところがその某氏が作る右派の雑誌が最近出回っている。このような歴史修正主義的な言説がどんどん増殖すれば、日本を誤った方向に向かわせかねない。ヘイトスピーチ規制法はできたが収まる気配はない。これは言論の自由の埒外であることをはっきりいうべきである。明白な歴史的事実を「~はなかった」というようなタイトルのトンデモ本を処罰すべきである。そしてこの流れをくむテレビのコメンテーターも同様である。本書の出版は最近の日本の状況を考えるとき、グッドタイミングだと思う。