読書日記

いろいろな本のレビュー

アメリカは食べる 東理夫 作品社

2016-04-29 09:40:25 | Weblog
 著者は作家かつカントリーミュージックのフアンでブルーグラス奏者である。テネシー州名誉市民の称号を持つ。祖父は宣教師としてカナダに渡りその地でカナダ在住の実業家の娘と結婚し子どもをもうけた。これが著者の父である。その後結婚し、戦後日本に引き揚げてきた。よって著者の周りには常にアメリカの文化があった。
 本書はアメリカの食文化を探索したレポートである。700ページを超える大部の著書で長時間の読書を楽しめる。実際自分で車を運転して、広大なアメリカを旅し、各地の食(料理)を紹介したものだ。アメリカインディアンの食生活から始まり、入植したイギリス・スペイン・フランス・ドイツ・アイルランド・イタリア人の持ち込んだ料理がアメリカにどう溶け込んだかについての分析が非常に深く、人種のるつぼアメリカの歴史が料理の解説によって浮かびあがってくる仕組みになっている。アメリカという以上、ハワイの食についても言及して抜かりがない。著者によれば、すき焼きは、ハワイで食された「魚すき」を労働者向けに牛肉に変えたものだと言う。その他、ピーナッツバター、ソウルフード、サコタッシュ等々詳細な説明が続く。
 アメリカの食というと、マクドナルドのハンバーグやホットドッグ、ケンタッキーフライドチキンなど、結構単純で、フランス料理やイタリア料理ほどの専門性がなく、素人っぽい感じがするがそれはなぜなのか。その流れで低所得者層は高カロリー・低価格のジャンキーフードを食して肥満の原因ともなっている現実があるのだが。著者は言う、アメリカに住む人々が皆、自分たちがこのアメリカという自由を尊重する国の一員であると思い、感じ、信じているから、たとえ格差があっても決定的なまでには爆発しなかった。そこにはアメリカに対する帰属感がある。それを象徴するのがフアーストフードの系列の手軽な食事なのだ。金持ちも貧乏人も食べるこのフアーストフード。 どこにでもあるこの「食」の平等化は格差の不満を解消する手立てとなっている。これが食の「普遍化」というのではないかと。食の単純化が国民を統合する普遍化につながるという指摘はアメリカ文化の本質を言い当てており、蓋し名言だ。
 

岡 潔 数学の詩人  高瀬正仁 岩波新書

2016-04-25 11:26:03 | Weblog
 最近、岡潔の随筆が次々と復刻されて人気を博しているという話はこの前に述べたが、岡に影響されて数学者になった人物の本も目につくようになった。最近では森田真生氏の『数学する人生』(新潮社)が岡の晩年、京都産業大学での最終講義と随筆の主要なものを載せて、併せて自身が岡の「数学は情緒だ」という言葉に影響されて数学者になったいきさつを書いている。森田氏は独立の数学研究者として、数学の普及に取り組んでいる。岡潔数学教の信徒の様相を呈していると言っても過言ではない。
 本書の著者の高瀬氏は今年64歳の九州大学の数学の教授で、やはり高校一年のとき岡の言葉に感動して数学の道に入り今日に至っている。氏は岡潔の評伝を2003年と2004年に続けて発表しており、岡潔再評価の先駆となる仕事をされている。
 本書は2008年の刊行で、二冊の評伝の新書版と言えるだろう。岡の人生と学問を、遺された研究ノートをもとに時系列に記したもので、著者の岡に対する親愛の情がひしひしと感じられる。一見奇矯に見える岡の行動も、数学の難問に立ち向かう中での苦悩の表出として記述している。
 例えば、昭和11年6月23日の広島事件。この時、岡は広島文理大の助教授であったが、この日の夜、京都帝大の数学者、園正造の歓迎会に出席したが、途中で心身の調子が悪くなって帰宅し、それから行方不明になった。翌朝判明したところによると、岡は自宅近くの二股川の土手を帰宅中の修道中学の夜学生達を襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、それから牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かしたということだった。被害者の中学生の家族が強盗に遭ったと警察に訴えたため新聞沙汰になり、一時は騒然とした事態になったが、ともあれ病気と見なされて入院した。退院後は、中谷宇吉郎の好意で、伊豆の伊東で一家ごと転地療養することとなった。この件に関して著者は、第二論文で任意の(有限で単葉な)正則領域においてクザンの第一問題が解けることが証明されたことのうれしさが起こした必然ではなかったかと数学者の立場で分析している。以後病気のため広島を離れ、紀見村の父祖の地に帰ることになったが、途中で行方不明になった。岡によれば、即刻支那事変(日中戦争)をやめるよう、天皇陛下に直訴するために上京したのだという。岡は晩年に第四エッセイ『春風夏雨』で「日支事変の初めのころ、この国の選ばれた若者たちが、それこそ桜の花が散るように美しく散って行った。こんなことを続けていると、若い世代がよいものからよいものからと死んで行ってしまうだろう。ほかにどのような利益があるのか知らないが、この損失に比べると取るに足らぬものに違いないと思った」と当時の心境を述べている。著者はこの件について、「筋道を追って理解するのは困難だが、国と国民の運命と、破綻しつつある自らの生活と数学研究の姿が重なり合い、何かしら〈滅びゆくもの〉のイメージが形成され、たまらない気持ちになったのだろう」と心中を慮っている。
 その二年後の昭和15 年広島文理大の辞職が決まり、岡は紀見村にこもって数学研究に没頭する。岡のようなタイプの教員は高等師範学校がもとになっている大学からすると合わないと判断したのだろう。思索するより真面目に授業をしてくれる教員の方が良かったということだろう。紀見村では、経済的に苦しく土地を売っては生活費に充てるというものであった。奈良女子大の教授に就任するのは昭和24年のことである。
 以上本書は岡の履歴を詳細に調べて、同じ数学者としての目線で岡の偉業を顕彰しているという意味で誠に読み応えがある。

春宵十話 岡 潔 角川ソフイア文庫

2016-04-15 09:41:49 | Weblog
「春宵十話」以外に「春風夏雨」「夜雨の声」「風蘭」「一葉舟」(いずれも角川ソフイア文庫)も読んだ。最近岡の本が復刻されて静かな人気を呼んでいるらしい。岡潔(1901~1978)は数学者で、世界的難問とされた「多変数解析関数論」で高い業績をあげて、1960年に文化勲章を受章後、新聞等に文章を発表し始めた。それが冒頭の本にまとめられた。没後40年近くなるが、述べている内容は全然古びていない。岡は純粋に学問に専念した人で、地位や名誉とは全く無縁だったことが、まず尊敬に値する。京大卒業後フランスに留学し、帰国後広島文理大(現広島大)の助教授となったが、1938年に助教授の職を辞して、故郷の和歌山県の紀見村(現橋本市)に移住して、農業の傍ら数学研究に没頭した。その間妻子を養うために土地を売りながらの日々だった。利益・打算とは無縁の人である。だからこそ人々の共感を得るのだろう。
 岡曰く、数学は百姓に似ている。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。これに比べて理論物理学者はむしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理は1920年代から急速に発展してわずか30年足らずで1945年には原爆を完成して広島に落とした。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。一体30年で何がわかるだろうか。わけもわからず原爆を作って落としたのに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかっていまいと。なかなか強烈な批判である。物理学者でさえ原爆の意味がわかっていないのだから、ましてそれを行使する政治家がわかっていないのは当然だろう。核をめぐる昨今の世界状況を岡が見たらどう言うだろうか。岡は憂国・愛国の士というイメージが強いが、それも純粋で一途なもので、悪意はない。フランス留学時に満州事変が起こり、岡は日本人として非難の的になったが、彼はこれで日本は破滅の道へ進むだろう。国家としての滅亡も近いと確信した。そして中国に事変勃発の日を国辱記念日として意識させたことは将来に禍根を残すだろうと述べている。非常に正確な分析をしており。70年後の日中関係を予言している。
 この岡が重要視しているのが「情緒」で、それは大脳前頭葉の働きによるのだという。数学者が「情緒」を説くのは意外だが、これが人間を人間たらしめるものであると言う。情緒の中心をまとめているものを仮に愛と呼ぶことにして、ここから無明(小我的なもの)を取り除いて純粋(大我的なもの)にしていかなければならない。それによって愛の中で慈悲心が大事だということが分かってくると言う。だから、岡にとっては日本国憲法の前文で基本的人権を守り、個人を尊重すると言っているのは我慢できなかったようだ。次のように言う、小我観のよい例は日本国憲法前文である。小我が個人であることが万代不易の真理だと明記している。そしてその上に永遠の理想を、しかも法律的にであろうと思うが、建てることができると言っている。何という荒唐無稽な主張であろう。(中略)何よりも一番恐ろしいことは、教育がこの「前文」に同調して、小我は君だから、これに基本的人権を与えて大切にせよ、と教え始めたことであって、各人は無明という限りなく恐ろしい爆弾を抱いているという事実を全く無視してしまったのである。その結果は誰の目にもすでにしるきものがあると思う。
 最近の世の中のモラルの低下と拝金主義は目を覆うものがあるが、岡の言はそれを言い当てている。自民党の憲法草案にも、「私」を抑制して「公」に奉仕せよ。「権利」ばかり主張せず「義務」も果たせ。そのために家族を大切にせよと言った文言が並んでいるが、ひょっとして岡の著作を参考にしたのではあるまいか。しかし、岡の発言は、国を思う純粋な真情の吐露であり、ただの右翼ではない。そのような勢力に利用させないためにも、岡の真意をくみ取ることが大切だ。

完本 信長私記 花村萬月 講談社

2016-04-04 08:51:46 | Weblog
 「信長私記」とは太田牛一の「信長公記」に対して付けれられた題だと思うが、「私記」は個人の記録という意味で「公記」に対応させたものだろう。ところが「公記」という言葉はあまり使わないものである。「信長公記」の公は様の言い換えで、「信長様の記録」という意味だ。まあどうでもいいと言えばどうでもいいことなのだが、少し気になった。また「完本」という言葉も気になった。目次を見ると、「信長私記」と、「続信長私記」の二部構成になっている。一部は弟信行を殺す場面で終わっている。なぜわざわざここで切ったのか、これも気になる。
 全編信長の独白で書かれており、まあ日記を読んでいる感じだ。冷血漢信長のいろいろの殺戮に関しての彼の考え方が記されている。彼の冷酷さの由来を著者は実の母に愛されなかったことに求めている感じがする。一部の終わりが、弟信行の暗殺で終わっているが、信行は母に愛されており、その恨みが弟殺しに繋がっているという描き方だ。母の前で弟を惨殺し、母はその血で汚れた手で信長を抱こうとするが、信長が拒否する場面は印象的だ。母の愛に飢えた独裁者が後に比叡山の焼き討ちや長嶋本願寺の大虐殺をはじめ大量虐殺を実行する。してみると、古今東西の冷酷な独裁者のメンタリティーとして、母の愛の不足があるのかも知れない。
 悪を実行することについて、信長は言う、『悪』を否定する者は、己の拠って立つ場所を斥けるという愚を犯しているのだ。多分己だけは死なぬと心のどこかで楽観しているのであろう。死はともかく、地獄極楽といった死後の世界など知ったことではない。死後の世界を思い煩うのは単なる弱さだ。食うことのできぬ物の美味さや不味さを論ずるのは無意味なばかりか間抜けの所行だ。もちろん善悪を超越するつもりではある。だが、さしあたり、当面、当分、いつまで続かは判然とせぬが、戦や調略といった破壊を為さねばならぬわけで、これすなわち善人には為せぬことであると。
 天下を狙うためには人の命など、虫けらのごとく思わなければ駄目なのだということだろう。しかし、それが仇となって明智光秀にされてしまったのは皮肉だ。その時の信長の独白を聞きたかったが、残念ながら書かれていない。