読書日記

いろいろな本のレビュー

大阪アースダイバー 中沢新一 講談社

2013-01-25 09:23:26 | Weblog
 「アースダイバー」とは心の無意識までを含んだ四次元の地図を作成する作業全体を指す言葉だそうだ。大阪のフイールドワークであるが、思想家・文化人類学者としての著者の面目躍如たるものがものがあり、読んでいて大変面白い。氏は上町台地の南北をアポロン軸、河内・生駒山の東西をディオニソス軸と名づけ、この二つの座標軸を元に、大阪の歴史・文化を論じるという手法をとっている。このニーチェが文化・芸術の型として述べたアポロン(理性的)とディオニソス(陶酔的)の二元論が、そのまま大阪に当てはまるかどうかは定かではないが、一目、上町台地の洒脱な感じと河内の泥臭い感じが大阪の二面性を表していることは事実であり、それがディープな大阪のイメージを作り上げていることは確かである。
 中でも、第四部の「土と墓場とラブホテル」の項が面白い。生國魂神社の裏の崖下はもともと墓地で、モノに霊力を宿らせるアミニズムと、生命あるものをただのモノに連れ戻そうとするマテリアリズムが一つになった場所だ。今、その墓場跡にラブホテルが建っている。なぜか。その秘密を解くカギは近松門左衛門の心中物の中にあると氏は言う。即ち、死に向かって突き進む恋人たちが、死に場所を求めてさまよう道行のロケーションは、しばしば深い森であったり、墓地であったりする。もうすぐ二人は自分の命を断って、静かなモノの世界に入ろうとする。そのとき二人を死へ導いたのは、世の掟に許されない性愛の歓喜だった。性愛には、愛を物質に突き戻すマテリアリズムの力がひそんでいる。ことばの空虚を埋めるのが性愛の行為で、モノに向かうことで、観念が埋めることのできない空虚を満たそうとする。墓も観念を無化してモノ化してしまうという点で、セックスと似た構造をしているのだと。思想家の分析は底が深い。
 さらにここからラブホテルと墓がディズニーランドと繋がっているという展開になる。白雪姫は死の国の王子によって目を覚まされたのであり、死の王国に迎え入れられたということであり、この王子は普通の国の王子ではないという。なぜなら白雪姫は、半分は死の世界の住民であるドワーフと長年一緒だったからだ。従ってお城は死者の国のものであり、王様も王子も死者の国の頭領と考えるべきで、ディズニーランドの広場の中央にそびえる白は死者の国のものである。だからそこでは人は永遠に若く、病気もなく、チリ一つ落ちておらず、汚物はたちまちにして処理される。その構造は墓場とよく似ているのだと。以上墓場とラブホテルのテーマは誠に深いと言わねばならない。
 また同じく第四部の「大阪の地主神」の項で、座摩神社のイカスリの神の話から、この霊を守ってきた渡辺一族の話。そこから渡辺村の変遷を述べ、地区誕生のいきさつを述べている。大阪では避けて通れない問題だが、被差別が生まれる歴史的真実が明かされている。

未完のフアシズム 片山杜秀 新潮選書

2013-01-12 13:24:31 | Weblog
 一億玉砕は成らなかったが、 二発の原爆投下で太平洋戦争は終わった。「持たざる国」日本が「持てる国」アメリカに戦争をしかけることは最初から無謀だとわかっていたのにどうして、そのような愚かしい戦争に向かって行ったのか。
 著者は日本のフアシズムの歴史を主に日本陸軍のエリートたちに照準を合わせて描いていく。第一次世界大戦は戦力・物資の豊かな「持てる国」が逆の「持たざる国」を圧倒したことで、「持たざる国」が今後「持てる国」相手に戦争していく場合、どうすべきかということが日本の軍人の大きな課題となった。このような状況下で、彼らはタンネンベルクの戦いを例に挙げて、兵力は少なくても大軍に勝利するチャンスはあると考えるようになった。タンネンベルクの戦いとは第一次世界大戦初期、ドイツ軍がロシア軍を破った戦いで、この時ロシア軍はドイツ軍の二倍以上の兵力を持ちながら敗れた。陸軍のエリートたちはこの地を訪れて、兵力は少なくても作戦の立て方によって勝利できると、事例としては稀有なものを一般化することで、軍国主義を推し進めて行った。その結果表れたのが「戦陣訓」であり、戦場で捕虜になるくらいなら自決せよという教えが兵士たちに重くのしかかって行った。
 その典型がアッツ島玉砕で、そこで採られたられた戦法が「バンザイ突撃」だ。陣地に籠って敵に抗するのではなく、動ける全兵力で勇猛果敢に突撃した。結果はほぼ全滅。この戦法は陸軍の「皇道派」の小畑敏四郎らによって推奨されたものだった。山崎大佐は「バンザイ突撃」にあたって次のように訓示したという。「弾が尽きたら銃剣を以て突撃せよ。銃剣が折れたら、鉄拳を以て躍りかかれ、鉄拳が砕けたら、歯を以て敵兵を噛み殺せ。一人でも多く敵を倒すのだ。一兵でも多く殺してアメリカを撃砕せよ。身体が砕け、心臓が止まったら、魂魄を以て敵中に突撃せよ。全身、全霊をあげて栄誉ある皇軍の真髄を顕現せよ」。これぞ精神主義の極致。これが神風特攻隊、一億玉砕へとつながる。
 著者はこのようなフアナティックな精神主義の由来を、わかりやすく述べている。精神主義の強調は時代の悪化と正比例する。運動クラブの体罰も軍隊の支配・被支配の関係の変形だと思うのだが、どうだろう。

ホンコン・マカオ紀行 

2013-01-06 15:18:18 | Weblog
 最近ブログの頻度が落ちているが、身辺の雑事に忙殺されていることが主な原因である。旅行もその一つの要因であるが、今回その責めを負うべく旅行記を書くことにした。昨年12月21日から24日まで、ホンコン・マカオに行った。ホンコンは二度目、最初は返還前の1996年、マカオは初めて。第一に感じたことは、人間の数がやたら多いこと。おそらく返還後、大陸から多くの中国人が流入したのであろう。中国人以外の外国人も多い。そのために観光客用の店やホテルも沢山建っている。宿泊したのは、ハイアット リージェンシー香港 チムサーチョイのハーバービュールーム。対岸の香港島が一望できる。このホテルは新しく、ひときわ目を引く高層建築だ。エレベーターはルームカードがなければ動かないシステムになっている。これは人口の増加による治安の悪化を懸念したものと言えるだろう。
 部屋から見える老舗のペニンシュラホテルは健在だが、周りに立派なホテルが林立していることもあって、少し色あせた感じがしないでもない。しかし、午後2時からのティータイムは盛況で、入場を待つ人の列の長さは驚異的、一時間半待ちと言う。これではイーヴニング・ティーになってしまうので諦める。前はこれほど混むことはなかった。香港の大陸化は徐々に進行しつつある。
 以前は香港から広州へのオプショナル・ツアーがあったが、今は少ない。当時は香港から大陸に入ると確実に差があった。大陸には人々の笑顔が無いのである。日々の生活が苦しく、笑っている暇もなかったのだろう。香港の洒脱な感じとは明らかに違うと実感できた。しかしそのイギリス的なものは希薄になっている。夕食は人気の中華料理店で摂る。酢豚は日本のものよりカラッとしていて美味しい。夜は香港島へ渡り、ガイドさんの案内でビクトリアピークから夜景を楽しむ。ここも人が多い。俗化という言葉がぴったりである。フエリー乗り場には、法輪講に注意せよという横断幕がいくつも掲げられている。大陸の戦略を忠実に履行しようとする勢力が香港に存在することを証明している。かと思えば、露店の本屋には、共産党に批判的な雑誌も多く並べられている。その代表的なものは『争鳴』で、返還前から反共産党のスタンスだったが、今も変わらない。30香港ドル(400円)で買う。日本で買うと1000円はする。ぼったくりもいいところだ。中身は習近平体制の批判で、活字も簡体字ではなく、台湾と同じ繁体字である。あと30年して、大陸の政治体制に飲み込まれたとき、これらの言論を尊重する体制になっているだろうか。はなはだ疑問である。
 二日目、長女は友人の結婚式出席のため、山の手のとある教会へ。家族一同タクシーで同行する。香港の上流階級は子女をアメリカの大学へ行かせることが多いという。家では英語を話すそうだ。この階層の人々にとっては共産主義政権は脅威ではないかと推察する。蟻のように群がって押し寄せてくる中国人たちを見て、どのような感慨を持つのだろうか。
午後、黄大仙という道教寺院へ。現世利益を願う善男善女が大勢参拝している。夕刻、女人街へ。人が多くてなかなか前に進まない。日本では見たこともない人の群れである。これで治安が保たれているのだから香港警察はすごい。相当厳しい取り締まりをしているのだろう。その証拠にホームレスの姿が街にはない。どこかにまとめて収監されているのだろう。そのへんの事情が知りたいものだ。
 三日目、高速フエリーでマカオへ。乗り場はハーバーシティーというショッピングセンターになっていて混雑している。乗り場はこちらという親切なおじさんについて行くと、ある旅行社のチケット売り場に案内された。正規の売り場はどこかと探す。ダフ屋見たいな人が手に切符を持って営業している。めいめい勝手な値段で売っているようだ。いかにも中国という感じだ。娘たちに買ってもらって乗り場へ。大変な混雑。まるで引き上げ船(乗ったことはないが)のようだ。大きな荷物を持った中国人の団体が乗りこんでくる。マカオまで1時間だが、彼らはずーと席から立って海を見ていた。内陸部の農民らしい。傍若無人を絵にかいたようだ。香港の若い女の子が文句を言っていたが、聞き入れる気配はない。この人たちが、中国共産党を支えているのだろう。日頃農村で頑張っているので、ホンコン・マカオの旅行で息抜きをさせて貰っているのかもしれない。昔の農協主催の外国旅行みたようなものだろう。降りるとき税関で、この団体の女性の荷物にトイレットペーパーがあるのを発見した。香港土産がトイレットペーパーかよ。昭和40年代の日本だな。到着後、シャトルバスでコタイ地区へ。ここは埋立地でホテルとショッピングセンターがある。海が茶色く濁っている。大河の河口でもないのに。環境汚染もけた違いだ。そこで人々はカジノや買い物にうつつを抜かす。なにか埃っぽくて好みに合わない。虚栄の市とはこのことか。ヴェネチアの街角を再現したザ・グランド・カナル・ショップスは噴飯もの。でも、妻と娘たちは楽しそうだ。昭和40年代に阪急の地下とかで客寄せのために水を流していたのを思い出した。懐かしい。ここは空もスクリーンで青く描いている。フードコートでラーメンを食す。混乱の極み。
 再び本島に戻って、セントポール天主堂跡へ。参道はほぼ女人街状態。中国人たちは遺跡より買い物に興味があるようだ。それと写真。高台からマカオの下町を見る。一部スラム化している。向こうは広東省珠海市だが、向こうの方が発展している。早めの便で香港に帰り、夜はよせ鍋で最後の夜を楽しんだ。
 今回香港で感じた「ひといきれ」は日本では体験できないものだった。発展途上の熱気とはこのことだろう。これに比べれば日本の街は死んでいるに等しい。