金持ちも貧乏人も権力者も市井の個人もその差を無化するものがある。それは死である。これこそは誰彼無しに訪れて、避けることはできない。死を前にして歩んできた人生を肯定するか否定するか、それは人間の数だけあるであろう。本書の著者の加藤氏は現在90歳。彼が送るラブレターは最近90歳で他界した妻に宛てたものだ。二人は小学校の同級で、25歳で結婚して以後65年間連れ添ったが、その最愛の妻に捧げたのが本書というわけだ。
二人は東京の山の手育ちで、加藤氏は一橋大学卒の社会学者、夫人は青山学院卒のもと中学校の英語教師。いわばプチ・セレブのカップルと言える。私は加藤氏より20歳下の現在70歳だが、学生時代に氏の本を読んだ覚えがある。京大で中国文学の高橋和巳と同僚で、同い年だったと書かれていたが、懐かしい名前である。彼は吉川幸次郎の弟子で、将来を嘱望されていたが、残念ながら39歳の若さで亡くなった。ガンであった。そのころ高橋は全共闘のシンパで、圧倒的な人気があった。私も彼の全集を買って読んでいた。小説は難解な語句を駆使する観念性の強い文章であった。彼の六朝文学に関する論文も同様であったが、学界からの評価は悪くなかった。
さて加藤氏だが、結婚してハーバード大学に留学、婦人同伴でのアメリカ生活と普通なら自慢話になるようなことも、嫌みがないのはそのお人柄かと拝察した。ラブレターとあるが氏の自分史でもあるようだ。とにかく偕老同穴の夫婦だが、夫人が先に逝ってしまった。残された夫は90歳であるから、普通なら夫もその寂しさから体調不良を起こし妻の後を追うという展開になるのだが、加藤氏はどうであろう。でもこのような形で夫婦がこの世で生きた証を文章にして残せたことは折る意味幸せなことだと言える。世の有象無象はこうはいかないのだから。
氏は90歳で交通事故を起こしたことで、免許の返納を決意したのだが、その時の文章が印象に残った。曰く、「あなたがいなくなってしまったいま、もはや、クルマを持ち、運転する理由は皆無である。クルマはあっさりと売却した。あの事故のおかげで半世紀以上、燦然と輝いていたゴールド免許も失った。動かすことのなくなったクルマの運転席にすわって、ただバッテリーに充電するだけのカラふかしをしながら、運転席に目をやると、ついこのあいだまでそこに座っていたひとのことを思い出して、やたら悲しくなった。そんな近距離送迎専用のクルマだったから走行距離は四年間で三千五百キロ。ほとんど新品ですね、馴らし運転もすんでいない、とディーラーは呆れたような顔をした。ニンチをあるがままに受け入れながらおたがい笑ってすごすニンチ仲間はいなくなってしまったのである」と。妻に対する愛情があふれる文章である。65年という時間は加藤夫妻にも否応なく流れて、間もなく加藤氏にもこの世との決別の時が来る。ああ無常。
二人は東京の山の手育ちで、加藤氏は一橋大学卒の社会学者、夫人は青山学院卒のもと中学校の英語教師。いわばプチ・セレブのカップルと言える。私は加藤氏より20歳下の現在70歳だが、学生時代に氏の本を読んだ覚えがある。京大で中国文学の高橋和巳と同僚で、同い年だったと書かれていたが、懐かしい名前である。彼は吉川幸次郎の弟子で、将来を嘱望されていたが、残念ながら39歳の若さで亡くなった。ガンであった。そのころ高橋は全共闘のシンパで、圧倒的な人気があった。私も彼の全集を買って読んでいた。小説は難解な語句を駆使する観念性の強い文章であった。彼の六朝文学に関する論文も同様であったが、学界からの評価は悪くなかった。
さて加藤氏だが、結婚してハーバード大学に留学、婦人同伴でのアメリカ生活と普通なら自慢話になるようなことも、嫌みがないのはそのお人柄かと拝察した。ラブレターとあるが氏の自分史でもあるようだ。とにかく偕老同穴の夫婦だが、夫人が先に逝ってしまった。残された夫は90歳であるから、普通なら夫もその寂しさから体調不良を起こし妻の後を追うという展開になるのだが、加藤氏はどうであろう。でもこのような形で夫婦がこの世で生きた証を文章にして残せたことは折る意味幸せなことだと言える。世の有象無象はこうはいかないのだから。
氏は90歳で交通事故を起こしたことで、免許の返納を決意したのだが、その時の文章が印象に残った。曰く、「あなたがいなくなってしまったいま、もはや、クルマを持ち、運転する理由は皆無である。クルマはあっさりと売却した。あの事故のおかげで半世紀以上、燦然と輝いていたゴールド免許も失った。動かすことのなくなったクルマの運転席にすわって、ただバッテリーに充電するだけのカラふかしをしながら、運転席に目をやると、ついこのあいだまでそこに座っていたひとのことを思い出して、やたら悲しくなった。そんな近距離送迎専用のクルマだったから走行距離は四年間で三千五百キロ。ほとんど新品ですね、馴らし運転もすんでいない、とディーラーは呆れたような顔をした。ニンチをあるがままに受け入れながらおたがい笑ってすごすニンチ仲間はいなくなってしまったのである」と。妻に対する愛情があふれる文章である。65年という時間は加藤夫妻にも否応なく流れて、間もなく加藤氏にもこの世との決別の時が来る。ああ無常。