読書日記

いろいろな本のレビュー

高瀬庄左衛門御留書 砂原浩太朗 講談社文庫

2024-03-20 14:15:46 | Weblog
 最近は時代小説が人気のようで、図書館にもコーナーが設けられている。主に江戸時代ものだが、本書もその一つである。昔は司馬遼太郎、山本周五郎、海音寺潮五郎、池波正太郎、藤沢周平などの作品を読んで楽しんだが、今は時代小説作家が山ほど出現し、書店や図書館の書棚をにぎわせている。気楽に読めることが第一で、江戸時代の歴史・風俗を背景にすることで、何か異界に入っていく快感も味わえることも人気の原因と思われる。今日の朝刊の出版社の広告欄にも「この放蕩侍、滅法強い!時代小説界のニューヒーロー誕生」とか「世に怖きは噂の力。町方同心魂を存分に見せよ!」などの惹句を冠したシリーズ物が跋扈している。現代小説を江戸フレーバーで味付けしたのが、最近の流れのようだ。シリーズものにすることでフレームワークを固めて、あとは事件をでっちあげる、これで大量生産が可能になる。読者は人生の糧を求めるわけではなく、暇つぶしで読むだけなので、これで十分と言えば十分なわけだ。

 本書を書店で見た時、腰巻に「生きる悲哀を全て味わえる必読の時代小説」とあり、直木賞候補、山本周五郎賞候補、そして野村胡堂文学賞、舟橋聖一文学賞、「本屋が選ぶ時代小説大賞」「本の雑誌」2021年上半期ベスト10第1位の四冠、武家物の新潮流にして絶大なる評価を得た出世作!とこれでもかという宣伝文句につられて購入。九か月近くほったらかしにしていたがやっと手に取った次第。400ページの長編だが、「生きる悲哀を全て味わえる」ことはなかった。カバーの要約には「神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。五十歳を前に妻に先立たれ、俊才の誉れ高く、郡方本役に就いた息子を事故で失ってしまう。残された嫁の志穂とともに、手慰み絵を描きながら、寂寥と悔恨の中に生きていた。しかし藩の政争の嵐が、倹しく老いてゆく庄左衛門を襲う」とある。「郡方」とは、藩では代官の上にある地位で、年貢・戸口・宗門・検断・訴訟など農村に関わる職務である。また「御留書」とは、郡方が担当する村の庄屋から申告された収穫高や、自分で行った検見、見聞した現地の様子をまとめた報告書のこと。この主人公が藩の政争に巻き込まれるという設定なのだが、元々そう高くない身分なので、巻き込まれたといっても藩の存続云々の話にならないところが難点だと思われた。そして登場人物がやたら多い(特に後半)ので、人物のイメージがはっきりしない感じがした。最初に登場人物一覧表をつけておけば読みやすいのに、、、、。

 本書を読む一方で、池波正太郎の『鬼平犯科帳』(文春文庫)を二冊読んだが、こちらは数段読みやすい。手練れの小説という感じで、気楽に読める。火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公とする捕物帳で、フレームワークは決まっているのだが、毎回いろんな盗賊とその周辺の人物がヴィヴィッドに描かれていて楽しく読める。さすが熟練の技という感じだ。池波正太郎はもともと新国劇の座付作者もやっていたので、作品には会話が多く戯曲的要素が濃い。話の中身も多様で、事件の展開が楽しめる。その伝でいうと『真田太平記』(新潮文庫)もお薦めだ。

 砂原氏の今回の作品は、全編生真面目感が横溢しており、純文学的時代小説と言っていいのではないか。腰巻の「生きる悲哀を全て味わえる」という文句は言ってみれば若者向けで、高齢の読者からしたら「何言ってんだい」という突っ込みも入るかも知れない。でもこれだけの長編にできたからには、これから庄左衛門を含めて「神山藩作品」がどんどん書けそうだ。

この世にたやすい仕事はない 津村記久子 新潮文庫

2024-03-06 09:55:12 | Weblog
 タイトルが面白いので読んでみた。津村氏は2009年に『ポストライムの舟』で芥川賞を受賞、その後も順調にヒット作を出している。私は彼女の熱心な読者ではないが、時々読んでは人間関係の描き方がうまいなあと感心することがことが多い。津村ワールドというべきものを持った有能な作家だと言える。本書は大学卒業後14年間働いた会社をストレスでやめた後、非正規で就いた五つの仕事について述べたもの。主人公は作者の分身と思われる女性だ。目次は、第1話 みはりのしごと 第2話 バスのアナウンスの仕事 第3話 おかきの袋のしごと 第4話 路地を訪ねるしごと 第5話 大きな森の小屋での簡単なしごと となっている。これらの「しごと」を著者は実際体験したのだろうか、本当にこれらの仕事があるのだとしたら、世間は広いものだと言わざるを得ないし、著者が想像で描いたとすればそれはそれですごい能力だ。

 学校教育を終えたあとの関門は就職ということになるが、就職は生きる糧を手に入れる手段で非常に重要になってくる。したがって高校などでも生徒は就職に有利になるようにと、よりレベルの高い大学を目指すという風潮が一般的だ。最近の中高一貫校の人気はそれを助長している。よりレベルの高い高校、大学に入れば将来は保証されるということだろうが、どっこい社会はそう簡単ではない。職場に入ればそこでの人間関係や取引先の人偏関係に悩まされることになる。そこをどうクリアーするかが大きな問題である。高学歴であってもコミュニケーション能力の不足で、脱落していく人間も多い。逆にそれほど高学歴でなくても持ち前の根性と愛嬌で出世していく人もいる。

 本書の主人公は大卒の三十代半ばの女性で、バリバリのエリートではなくごく普通の人間として描かれており、読者は感情移入しやすい。その彼女が14年間務めた会社を辞めて、進路を転換したのだ。一大決断と言えるが、逆に言うとそれをせざるを得ないほどストレスが溜まっていたと言えよう。このように日々ストレスフルな環境にいれば、結婚云々の話はなかなか難しくなるのは想像に難くない。女性の高学歴化によって晩婚化は定着し、これが少子化問題に拍車をかけていることは間違いない。自分にそこそこの収入があれば、無理に結婚する必要もないのだろう。これは一種の文化的成熟の結果であり、歯止めをかけるのは難しいだろう。

 本書の五話を読むと、それぞれの職場には上司もいれば同僚もいる。その人間関係の中で仕事をするわけだが、仕事そのもののストレスに加えて、人間関係のストレスが大きくなってくる。これは私の経験からも言えることだ。馬が合わない、そりが合わない人間と仕事をせざるを得ない時ほどつらいものはない。こうした人間関係をスムーズに乗り越えるすべは、高学歴だからと言って身についているわけではない。ここが人生のダイナミズムで、いわばカオスの中でのたうち回らざるを得ないのである。「この世にたやすい仕事はない」とはよく言ったものだ。

 この五つの職場で主人公は働いた。そこに現れる上司・同僚はいずれも存在感があって、作者の体験が投影されていて共感できる。第5話の最後の主人公の述懐、「どんな穴が待ちかまえているかはあずかり知れないけれども、だいたい何をしていたって、何が起こるかなんてわからないつてことについては、短い期間に五つもの仕事を転々としてよくわかった。ただ祈り、全力を尽くすだけだ。どうかうまくいきますように」を読むと、その健気さに落涙しそうだ。若者よ健闘を祈る、そして幸福をつかんでくれ‼

戦争とデータ 五十嵐元道 中公選書

2024-03-01 15:14:51 | Weblog
 副題は「死者はいかに数値となったか」である。本書は本年度の大佛次郎論壇賞受賞作とある。人間が死んで死者の数字に代わってしまう、戦争とはまことにむごいものだ。この数字を研究するとは変わった人もいるものだ。戦争での死者をいかに正確に把握するかについて書かれたもので、これを一冊の本として読ませるのは並大抵ではないと思われたが、視点が珍しいので最後まで読んでしまったというのが実際のところだ。前書きに「戦争全体の把握にはデータが肝要だ。特に死者のデータは戦争の規模、相手との優劣比較で最も説得力をもつ。ただ発表されるデータにが正しいのかは常に疑念があるのだが、、、、、」とある。

 戦死者の数の統計はいわば汚れ仕事で、普通いかに戦争が起こらないようにするか、そのために人類が心がけることは何かというのが思想家、政治家、教育者の仕事になる。しかし、いつまでたっても盗み同様戦争はなくならない。国家が存在する以上軋轢は避けられないのが実情だ。よって戦死者数の正確な把握というのは冷徹なリアリズムに裏打ちされた営為ということになる。

 本書によると、戦死者の保護は1906年のジュネーブ条約で明文化された。それが実際試されたのは1914年に勃発した第一次世界大戦からだった。この時の戦死者は両陣営合わせて1000万人超で、あまりに多いので各国は敵軍はもとより、自国の軍隊の死者すら対処に困り、抜本的に制度を作り直す必要に迫られたとある。そしてフランスでは兵士の認識票を工夫したり、イギリスでは1915年初めに墓地登録委員会を設置し、一元的に遺体と埋葬地の管理を行った。ここら辺の記述は死者に対する扱いがキリスト教文化圏の特質が出ていると感じざるを得ない。戦争の目的は勝利することであるが、同時に戦死者の数字の正確さを期するというのは、日本を含む東洋的思考とは違っている。

 また戦争では兵士のみならず、市民(本書では文民と言っている)の犠牲も多く出る。非戦闘員は巻き込んではならないというのが不文律だが、第二次世界大戦末期の連合国によるドイツの都市ドレスデン大空襲、アメリカ軍のB29による日本の都市への空襲、とりわけ広島・長崎への原爆投下によって、いともたやすくこの不文律が破られている。都市の場合文民の犠牲者数は比較的数えやすいが、何十万という数字を挙げたとして戦争のむごさを再認識するだけで、戦争抑止の運動に持っていくのは至難の業と言えよう。

 本書で著者が戦死者の例として挙げているのは、ビアフラ戦争、エルサルバドル紛争、ベトナム戦争、グアテマラ内戦、旧ユーゴスラビア紛争で、文民保護の観点から赤十字国際委員会(ICRC)や国際刑事裁判所(ICTY)の役割に言及し、死者については特に1990年代以降遺体を掘り返して法医学的に確認したり、埋葬された死者を統計学的に分析する方法などが紹介されているが、今度は太平洋戦争でのアメリカとの交戦での死者数や、日中戦争での死者数にについて書いてもらいたい。とりわけ南京事件の文民の死者数についてはいろいろ説があって、3万~30万と一定しない。90年以上前のことで、非常に困難とは思うが何とかして頂けないものか。