読書日記

いろいろな本のレビュー

明治維新という過ち 原田伊織 毎日ワンズ

2015-06-21 08:08:01 | Weblog
 最近明治維新に関する本が多い。その多くは、明治維新の再評価を訴えるもので、内戦の勝者である薩長の立場から近代を捉えた歴史観に異を唱えるものである。すると当然、司馬遼太郎の明治維新肯定論も反論の対象になる。本書の副題は「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」で、腰巻のコピーをすべて拾うと次の通り、曰く、御所を砲撃し、天皇拉致まで企てた吉田松陰と長州テロリストたち。偽りに満ちた「近代日本」誕生の歴史。今も続く長州薩摩社会。「維新」「天誅」をとなえた狂気の水戸学が生んだ「官軍」という名のテロリスト。「明治維新」という無条件の正義が崩壊しない限り、この社会に真っ当な倫理と論理が価値をもつ時代が再び訪れることはないであろう。以上。
 明治維新の思想的バックボーンとなった水戸学とは、江戸時代水戸藩で興隆した、国学・史学・神道を基幹とした国家意識を特色とし、藩主徳川光圀の「大日本史」編纂に由来するが、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。藤田東湖や会沢正志斎らが国家の大義を説き、その遂行のためにはテロも許されると言った。「国体」「維新」「英霊」等々、これらの言葉は彼らの著書に出典がある。テロ肯定の考え方は昭和の2・26事件を誘発し、太平洋戦争に繋がり、大きな悲劇を生んだ。著者はテロリズムによって生まれた明治政府の再評価を促すべく、水戸学の批判、「大日本史」を編纂した水戸光圀批判を展開している。
 さらにテロ集団に討伐された会津藩をはじめとする佐幕勢力に対する残虐行為は夙に有名だが、これは明治政府の瑕疵として糾弾されるべきだろう。徳川慶喜の弱腰が批判の的になることが多いが、視点を変えれば別のストーリーも可能だ。とにかく明治維新・大政奉還万歳という司馬史観からの脱却が大事と説く。著者は司馬遼太郎の大学の後輩で、言いにくいのだがと断ってはいるが。
 ところで今、長州閥の政治の悪弊が頂点に達している。現内閣の集団的自衛権の行使を閣議決定してアメリカの手下になって戦争協力しようとしている首相と副総理は山口県の選出議員である。150年前の内戦の勝利者の子孫に今また苦しめられていることを思うと、今さらながらに維新の罪を感じざるをえない。であるから、例の「靖国史観」も薩長(官軍)の立場から捉えられたもので、その点をしっかり押さえておかないと失敗する。現に官軍に弓を引いた西郷隆盛は祀られていない。
 この問題を中国哲学の素養をもとに解説したのが『靖国史観』(小島毅 ちくま学芸文庫)で、話題の「維新」「国体」「英霊」等の水戸学のテクニカルタームを出典も含めて詳しく解説しており、非常に参考になる。小島氏も「靖国」をめぐる歴史認識がめちゃくちゃだと言い、その元凶は「明治維新」にあると断定している。吉田松陰がテロリストだということになると、今放送中のNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率低下もうなずける。地元の萩市も気勢があがらないだろう。長州閥の現政権にも暗い影を落とすような気がする。

逝きし世の面影 渡辺京二 平凡社ライブラリー

2015-06-12 09:08:19 | Weblog
 これは渡辺氏の代表作で、名作の誉れが高い。「逝きし世」とは近代以前の日本、すなわち「江戸時代」のことだが、かつての日本史の教科書では、江戸時代は士農工商の身分制度の中で特に農民は搾取され、悲惨な生活を送っていたというようなイメージを抱かせる記述が多かった。農民・町民を含めた庶民が毎日苦しい生活を強いられ、人生をエンジョイできなかったのかと言うとそんなことはないわけで、江戸時代の文化を見ればそれは明白である。著者はそれを文明と呼んでいる。そして曰く、「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の存在をできうる限り気持ちのよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」と。この事実を、幕末に来日した外国人の文献によって実証したのである。
 1856(安政三)年8月に着任したばかりのハリスは、下田近郊の柿崎を訪れ次のように書いている。「柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付きものになっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている」と。貧しいが、不潔ではない漁村の様子、庶民が人間的な生活を営んでいることに、ハリスは感動している。また他の外国人に共通する感想として、「日本には乞食がいない」というのもある。これも面白い。庶民、駕籠かき、馬てい、茶店の女、花柳界の女、町に住みついた犬、どれも伸び伸びと屈託なく生きている様子を文献から拾い出してコメントを加えている。曰く、江戸時代の政治体制は、「専制」とは程遠いものであった。外国人が見たのは、武装した支配者と非武装の非支配者とに区分されながら、実際は、支配の形態は極めて温和で、被支配者の生活領域が彼らの自由に委ねられているような社会、富める者と貧しき者との社会的懸隔が小さく、身分的差異は画然としていても、それが階級的な差別として不満の源泉となることのないような、親和感に貫かれた文明だったと。
 江戸幕府が統治した時代は近世で、これが明治維新によって近代に移行したのであるが、維新の大義は身分社会の打倒で、四民が平等に人生のチャンスが得られる社会の建設だったのだが、それが薩摩・長州を中心とする倒幕勢力であった。佐幕か尊王譲位かという二元論で権力争奪戦が行われ、結果は御承知の通り。江戸時代の統治を専制と見立て、維新を四民平等の理想実現の手段と自画自賛するという感じが否めない。でも庶民はすこぶる自由で幸福であった。明治維新以降帝国主義に傾いて、国民並びに近隣諸国を戦禍に巻き込んだことは近代化の大きな代償であった。今また時の政権は、この愚を繰り返そうとしているように見える。これもグローバル化の宿命なのだろうか。

北朝鮮とは何か(思想的考察) 小倉紀蔵 藤原書店

2015-06-01 10:04:25 | Weblog
 著者は韓国哲学の研究者であるが、最近は『新しい論語』(ちくま新書)なども発表してどんどん研究領域をひろげておられる。本書は北朝鮮についての論考だが、中国・韓国との外交戦略についても有益な意見を披歴している。
 結論から言うと、日本は一日も早く北朝鮮と国交回復すべきだということである。韓国は戦後独立を果たしたが、国の成り立ちから言うと、帝国・植民地主義の日本を反帝国主義の共産主義で打ち負かし建国した金日成の北朝鮮に正義があり、韓国はこの点で北朝鮮に負い目を感じている。従って韓国が日韓平和条約で解決したにも関わらず、未だに日本に戦後補償の面(慰安婦問題など)でクレームをつけてくるのは、北朝鮮の動向を見ているからで、日本と北朝鮮が国交回復して平和条約を結べば、韓国もこれにならって文句を言わなくなるという内容であった。朱子学の本場・韓国で修業した著者ならではの意見である。政府関係者は小倉氏を講師に招いてレクチャーを受けるべきだろう。
 氏は、中国・韓国・北朝鮮が平和国家日本に対する批判中傷をやめない理由は、この三国の建国事情に依るのだと言う。
 「まず、東北アジア三国は、大日本帝国の消滅後に、大日本帝国の打倒を国是として建設された国家である。従って、その国是がもし正当なものであるなら、すでに自国によって大日本帝国は打倒されたのだから(打倒されていないのであれば当該国家の正当性は崩壊する)、東アジアの太平洋上に浮かぶ列島は大日本帝国=日帝ではありえないはずだ。自分たちの打倒運動(抗日革命・抗日運動)によって大日本帝国が消滅したのでなくては、論理的な整合性が破綻する。だが他方で、大日本帝国が消滅してしまったなら、自分たちの国家の運動性はその使命を終えたことになってしまい、国家の正当性がここでも破綻してしまう。この矛盾を解決するために戦後の日本国にも、大日本帝国の残滓が濃厚に存在しているという認識が援用され、大日本帝国は打倒されたが、打倒日本帝国主義の運動は終わっていないというスローガンが可能になる。日本はこのことを十分理解しなければならない。」(以上要約)
 そして最初の植民地支配の謝罪問題についていうと、北朝鮮に謝罪して、過去の歴史問題の解決が進行すれば韓国側ももっと堂々と日本との歴史和解ができる筈だ。いずれにせよ、イニシアチブは日本にあると断言する。氏の力強い言葉に爽快感を覚えた。