読書日記

いろいろな本のレビュー

無月の譜 松浦寿輝 毎日新聞出版

2022-05-17 09:45:38 | Weblog
 本書は将棋の駒にまつわる一大ロマン小説で、毎日新聞に連載されたもの。最近将棋界は藤井聡太八段の活躍で世間の注目を浴びて、日本将棋連盟も笑いが止まらない。かつて坂田三吉をモデルにした村田英雄のヒット曲「王将」の世界から見ると隔世の感がある。棋士が世間的に認められた感が強く、勝負師として世間の裏街道を行くというイメージはもはやない。具体的にいうと、升田幸三のような棋士は今はいなくて、サラリーマン化している印象は否めない。

 将棋界でプロになるためには、奨励会に入会後四段に昇段することが条件だが、満26歳の誕生日を迎えるまでに三段リーグ戦を勝ち抜いて上位二位以内に入らなければならない。このリーグ戦は年二回行われ一年間でプロになれるのは4人ということになる。天才が集うこのリーグ戦を勝ち抜くのは容易ではなく、泣く泣く将棋界を去った者は多い。本書の主人公の小磯竜介も夢破れた一人である。逆に、先述の藤井八段は中学生でプロになった天才中の天才である。竜介は故郷の長野県上田市に帰省するが、その時若くして戦死した大叔父(祖父の弟)が駒師だったことを知る。どんな人物だったのか興味を覚え、大叔父の商業学校の同級生だった老人田能村淳造を訪ねて話をきくのだが、、、、、。

 話は大叔父の作った幻の駒「無月」を訪ねてシンガポール、マレーシア、ニューヨークと旅する話である。そして26歳で奨励会を退会して48歳で子供に恵まれた家族を築き上げるまでの自分史が描かれる。最後はハリウッド映画のようなハッピーエンドだ。新聞小説の型を踏襲しているという意味ではある種ありきたりと言えるが、これは構造上そうならざるを得ないという宿命を背負っている。この小説と並行して最近映画になった重松清の『とんび』(角川書店)も読んでみたが、これも新聞小説で、主人公の一代記。その中で希望と失意と再生が描かれる。それが市民の目線で描かれているので読者の共感を得やすい。それだから映画にもなるのだろう。

 しかし新聞小説は逆に一日一日の積み重ねであるから、毎回山あり谷ありの構成にしないと読者に飽きられる危険がある。それを挿絵がカバーするということもあるが、なかなか難しい。かつてドイツ文学者の高橋義孝氏は、新聞小説を、「あんな細切れの文章を載せて意味あるんでしょうかねえ」とテレビで言っておられたのを思い出す。夏目漱石は朝日新聞社に入社して連載小説を書いたが、その当時の新聞の読者は今とは違ってインテリが多かった。だから読者層が明確なので、書きやすかったこともあるだろう。しかし今は大衆化して、新聞を読まない人も多い中で読者をつなぎとめるのは至難の業である。よって俗な話題で書かざるをえない。ここが辛いところだ。

 著者の松浦氏はフランス文学の研究家で元東大教授。詩人・評論家・小説家でもある多才な人で、芥川賞の選考委員もされていが、昨年の芥川賞の選評がおもしろかった。氏曰く、重要なことは「小説で何をやろうとしているか」という問いだと思う。それも実際に何を「やり遂げたか」より何を「やろうとしたか」のほうに意味がある。(中略)少なくとも何ごとかをやろうと試みたという気概と意欲が伝わってくる作品を読みたいと。これは新人作家に対する要望であるが、かなりハードルが高い要望である。新人に要望した手前、自作の小説にも当然その考え方を反映させていると拝察するが、それを頭に入れながら本書を読むと面白さが倍増するかもしれない。

黒牢城 米澤穂信 角川書店

2022-05-02 14:19:10 | Weblog
 第166回 直木賞受賞作で今村翔吾の『塞王の楯』と同時受賞。著者は推理小説作家で『満願』(新潮文庫)が有名。それを読んでいたので、どういう時代小説になるのか興味が湧いて読んでみた。結論からいうとあまり面白くなかった。何か冗漫な感じで『満願』のような切れがない。まあ『満願』は推理短編集であるから当然と言えば当然なのだが。 話は戦国時代の武将荒木村重が織田信長に反逆して有岡城(尼崎城)に一年間立て籠り、その間羽柴秀吉が村重を翻意するために使者として遣わした黒田官兵衛を地下牢に押し込めて、場内の謀反を図る一味と戦う中で、いろいろアドバイスを受けるというもの。約一年のも及んだ籠城の顛末を記したのが本作品である。

 この流れで推理小説に仕立てるわけだが、ここでは信長の内通工作に応じたものを、確定して処罰するという事件を複数用意して、それぞれの事件について誰が誰を殺したかということなどを描く手法で、その犯人を黒田官兵衛が推論して村重に答えるというもの。基本的に場内における仲間割れの首謀者を見つけ出すという作業になるわけだが、それがいまいちまどろしくて薄っぺらくて、歴史小説にする必要があるのかなという疑問が湧いた。

 荒木村重は約一年間の籠城後、天正7年(1579) 9月密かに有岡城を脱出して尼崎城に逃れた。11月に有岡城は落城し村重の妻子ら30余人が信長に捕らえられた。村重は信長から降伏するよう説得されるが受け入れなかった。怒った信長は京都で妻子36人を斬殺し、家臣およびその妻女600余人を磔刑・火刑という極刑に処した。村重は尼崎城を離れ、花隈城へ逃亡、妻子が悲惨な目に遭いながらも、しぶとく抵抗し続けた。天正8年(1580) 7月に花隈城が落城すると村重はついに毛利氏の下に逃げ込んだという。一説によると尾道に潜んでいたというが、その後の動静は不明。天正10年(1582) 6月の本能寺の変後、村重は境に舞い戻り、千利休から茶を学ぶ。後に村重は茶の宗匠として豊臣秀吉に起用されるという皮肉な運命をたどった。そして51歳で激動の人生を終えた。因みに村重の末子が画家の岩佐又兵衛である。彼は有岡城落城時は2歳であったが奇跡的に生き延びた。黒田官兵衛は天正7年10月19日、本丸を残すのみとなっていた有岡城から栗山利安に救出さた。

 この数奇な運命を生き抜いた荒木村重を主人公にするならば、なぜ信長に謀反を起こしたのか、妻子を捨てて一人逃げたのはなぜか、後世から卑怯者という汚名を着せられるのはわかっていても生に執着した理由等々、小説としての面白い素材が満載だと思うのだが、それを捨てて籠城一年間の場内の描写に限定したその評価を選考委員に聴きたい気がする。その時々の村重の心情を追っていくだけでも面白い小説が書けると思うのだが。私としてはとにかく生き延びること、生きていればこその人生だという激励を村重の生き方から教えられた気がする。