読書日記

いろいろな本のレビュー

パナソニック人事抗争史 岩瀬達哉 講談社

2015-08-28 08:55:25 | Weblog
 パナソニックは旧松下電器。松下幸之助が一代で築き上げた会社である。幸之助が偉大な経営者だったことで会社は発展したが、世代交代して次の代に引き渡していかねばならないことも厳然たる事実である。幸之助は妻むめのとの長女幸子に婿を取って引き継ぎを図った。それが松下正治である。正治は1912年、旧伯爵平田栄二の二男で、東京帝国大学法学部卒。社長、会長を39年にわたり務めた。2012年、99歳で逝去。小学校中退で丁稚奉公から成り上がった幸之助にしてみれば、後継者に「貴種」を迎えてプレスティージを上げようとする気持ちは理解できる。しかしこの女婿は幸之助とは経営のセンスにおいて天と地ほどの差があった。幸之助が偉大すぎたのである。生きる苦労を知らずに育った人間は人の上に立って組織をまとめていくことが下手なことが往々にしてある。人の気持ちが理解できないからだ。
 このような人物が長らく松下電器に君臨したことによって、この会社は長期低落に陥ったのだ。『貞観政要』で、唐の太宗が家臣に「創業と守成といずれか難き」と尋ねたのに対して家臣はそれぞれ意見を述べたが、太宗は結局どちらも大切だということを認識したという話が載っている。本書を読んでまずこれを思い出した。松下においては「創業」は幸之助、「守成」は正治ということになるが、「守成」がうまくいかなかったということである。その原因は人材登用において、自分の気に入った人間ばかりを登用したからだ。権力者は媚び諂う家臣に弱いことは歴史書を紐解けばわかる。その辺がおぼっちゃまであった正治の限界と言えよう。
 この松下の人事問題は本書で初めて知ったが、著者の岩瀬氏は詳しい取材で大いに読ませる。このような事例は組織においては常に起こる問題で、大きな組織ほどトップの見識と人間性が問われるが、うまく機能している組織は少ないのではないか。その中で行なわれる人事評価の問題が悩ましい。はっきり言って評価の根本は「好きか嫌いか」であるからだ。組織の中でチームで仕事をしている人間に優劣をつけることは不可能ではないかと思う。であるのに、公務員・教員の世界にまで評価システムを持ち込んで安い給料をさらにへつって行こうとしている。まったく愚の骨頂と言う他はない。併行して『武士の奉公 本音と建前』(高野信治 吉川弘文館)を読んだが、平和の続く江戸時代に、「人切り」から「役人」として生きることになった武士たちの出世競争のに実相が描かれていて、大変興味深かった。試験制度で抜擢しようとすると、高い家格の武士が優秀な低い家格の武士に使われるのは嫌だと言って、試験制度を廃止せざるを得なかったというのは笑える。既得権益を享受する人間が勝ったわけである。家格で差別化された中で成り上がるのは大変だったようだ。このような中で低い階層の武士のやる気を出させるにはどうしたらいいかというのが藩主をはじめとする為政者の課題だった。これは現代の会社のトップより難しい仕事ではないか。
 もう一つ、本書を読んでいて感じたことは、松下幸之助が豊臣秀吉のイメージとダブったことである。一代で成り上がったが、その後、後継者に恵まれず豊臣家は崩壊してしまった。パナソニックがそうならないことを願う。

永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 早坂隆 文春新書

2015-08-14 09:24:08 | Weblog
 永田鉄山とは昭和十年十二月、東京三宅坂の陸軍省で相沢三郎中佐に惨殺された、当時軍務局長だった人物である。この暗殺事件は陸軍の統制派と皇道派の対立の極点の事象と見なされ、以後皇道派が陸軍を支配して行くきっかけとなった。この永田鉄山についての評伝は一般書としては珍しく、その意味で本書の意義は大きい。永田は長野県諏訪市の生まれで、陸軍士官学校から陸軍大学を経て、陸軍のエリートコースを歩んできたが、十一歳の時に父親を亡くしており、平坦な道ではなかった。その後結婚して家庭を持ったが、最初の妻は病死し、後に再婚をするなど結構苦労をしている。
 永田が陸軍で取り組んだことは、軍内の長州閥打破と国家総動員体制の研究である。彼は東條秀樹の一年先輩で、東條を抑えられるのは彼しかいなかったということで、もし生きていれば太平洋戦争に突入しなかったかもしれないと言われている。しかし天皇を中心にして軍の発言権を増大させて国政を牛耳ろうとする統制派からは目の敵にされていた。相沢中佐は事件の時は四十五歳、永田は五十一歳であったが、相沢は永田の仕事について詳しく調べたことはなく、ただ風評に惑わされての凶行であった。分別盛りの男が昼間堂々と永田の部屋に乗り込んで日本刀で惨殺する光景は鳥肌がたつ。本人の中では天誅という感覚だったのだろうが、統制派のフアナティックな感じが横溢して嫌な感じである。
 暗殺当日、永田は久里浜の自宅を出て陸軍省に向かう。子どもの頭を撫でながら「風邪をひかしてはいけないよ」と妻・重子に声を掛けたという。一方、相沢は代々木の西田税宅から陸軍省に向かった。この最終章はまるで小説を読んでいるような感じで鮮やかなイメージを喚起する。
 剣道の達人が真剣の突きで相手を倒す場面は誠に残虐。近代社会の陸軍省の執務室の情景とは思えない。しかし日本刀で敵を殺戮するのは日本軍の常套手段で、これが日本軍の残虐性を世界に喧伝してしまったともいえる。
 上官の命令、神風特攻隊、命を捨てる、負のスパイラルが延々と続く。結局、軍の暴走、太平洋戦争、原爆投下、敗戦となり、軍は崩壊。以後、民主主義国の誕生、高度経済成長、先進国日本、と70年の歴史を歩んできたが、為政者はこの戦争の経験をしっかり受け止めて、無辜の民を戦禍に巻き込まぬようにしなければならない。