読書日記

いろいろな本のレビュー

隣人が殺人者に変わる時 ジャン・ハッツフェルド かもがわ出版

2013-07-17 15:21:09 | Weblog
 1994年4月、ルワンダでフツ族がツチ族に対して襲撃を始め、その後100日間に渡ってジェノサイドが繰り広げられた。虐殺は「マチェーテ」(なた)で切りつけるという原始的なもので、残虐さを一層際立たせた。この件に関しては、多くの書物が出されてことの顛末は克明に報じられている。「ホテル・ルワンダ」という映画もあった。今回は被害者で幸運にも生き延びた人々のインタビューで構成されている。
 ルワンダ内紛は1921年ルワンダとブルンジがベルギーの統治下になって以来の歴史があり、ツチとフツの抗争は繰り返されてきた。1994年4月、経済の悪化、政府と亡命ツチ勢力(RPF)との和平協定の失敗で、国中が不安にかられツチとフツの間に異様な緊張感が漂い始めた中、フツ系大統領ハビャリマナの乗った飛行機が何者かの手によって撃墜された。それをきっかけに、昨日まで仲良く暮らしていた隣人のフツたちが過激派のフツに率いられマチェーテを持ってツチたちを襲い始めた。映画ではこのなたが中国製であると指摘されていた。事実ならば、死の商人を地でいく卑劣な行為である。ツチたちは学校や教会に救いを求めて避難するが、そこでも殺戮にあい、生き残った者たちは身を隠すために森の中や沼地に逃げ込み、昼間は泥の中に身を隠し、夜になると這い出してひたすら食物を探すという生活を強いられる。
 殺戮者は9時から16時まで仕事をこなし、夕刻前にはきっちり仕事を終えた。暗くなると逆に襲われることを心配したからだ。その間、家畜をする以上の残虐な方法がいろいろ採られた。人間性が希薄になって行ったことが語られている。
 インタビューに答えた人々は、なぜ昨日までの隣人をかくも残虐に殺せるのか不思議だと答えている。目の前の現実が現実として受け入れられない。何故。神は救ってくれないのか等々。純朴な農民が殺人者に変わる理由は?それは過激派の先導者のアジテーションによるのではないか。毎日ラジオ放送で「ごきぶりのツチを殺せ」というようなメッセージが流されたことは確認されている。ある人は、教育を受けていない農民は事の善悪を判断する力に欠けている状態の上に、指導者の過激なアジテーションによってすっかり洗脳されてしまったのではないかと分析している。それが悲劇の大きな要因ではないかと。首肯すべき見解である。それと西側先進国の無関心。一種のレイシズムと考えられる。
 折しも参院選の真っ最中。選挙演説の中身をしっかり冷静に受け止めて正しい判断を下さなければという思いを新たにした次第。

レニングラード封鎖 マイケル・ジョーンズ 白水社

2013-07-01 04:40:03 | Weblog
 副題は「飢餓と非情の年1941~1944」。ヒトラーはバルバロッサ作戦でソ連へ侵攻し、たちまちレニングラードに迫った。このスラブ人とコミュニストの牙城を消滅させることがアーリア人の使命だというわけである。赤軍派は後退し、レーニンゆかりのこの都市がドイツ軍に包囲され、兵糧責めに遭う。三年間で80万人の市民が飢死等で亡くなった。赤軍の作戦ミスもそれを助長した。この戦いをめぐるスターリンを中心とするソ連首脳部の混乱ぶりがリアルに描かれており、ジダーノフの無能ぶりが曝け出されている。無能な指揮官によって無辜の民が犠牲になるというのは歴史には多いが、これだけの犠牲者が出たことには胸が痛む。ナチズムとコミュニズムの野蛮性と暴虐性がレニングラード市民を俎上に載せて炸裂する様は歴史の暗黒時代を読む者をして刻印せしむる。戦争はもうたくさんだと思う人が本書を読んで増えることを願うばかりだ。
 日々食糧配給が少なくなる中で市民はどのように生きたのか。一例として飢餓を前に人肉を食べる状況が生まれる。人間の尊厳を保つか保たないか踏み絵を踏まされる時が来たのだ。その中で市民は懸命に生きようとした。時は1942年8月9日レニングラードフイルハーモニー会館大ホールで、ショスタコービッチの交響曲第7番の演奏会が開かれた。極限状況の中での崇高な人間の営みとして賞賛に値する。実際この話を聞いて感動した。
 1944年1月27日レニングラードは完全解放された。都市が破壊されるということで言えば原爆で被害を受けた広島・長崎と比較してどうかという問題が想起される。こちらは一瞬に破壊・殺戮されたことで、人間の苦悩・苦しみが個個に表明されることはなく、大量死の事実だけが残るという結果だが、これが却って悲劇だと言えよう。個個の死が描かれないことの悲劇だ。本書を出版したのは白水社だが、最近ではトロツキーの伝記を始め有意義な本を積極的に出している。大いに評価したい。