読書日記

いろいろな本のレビュー

大阪の生活史 岸政彦(編) 筑摩書房

2024-07-11 10:02:12 | Weblog
 『東京の生活史』(2021年)『沖縄の生活史』(2023年)に続く第三弾である。テーマはそこにゆかりのある人物150人の聞き取り調査で、社会学のメソッドの一つである。『沖縄の生活史』は未読だが、太平洋戦争の激戦の地であり、米軍基地の問題等に苦しんできた生活が語られるのだろうが、ぜひ機会があれば読みたいと思う。今回は大阪で生活する人間の個人史が語られるが、私自身大阪で26歳から45年間府立高校教員として仕事をしたので、自分の生活史とかぶる話題が多く、面白く読ませてもらった。私が感じた大阪の特徴は三つ、1在日韓国朝鮮人の問題に取り組む運動体の活動が活発であること、2同和問題に対する取り組みが盛んで、これも1同様学校現場では必ず取り上げられる。3,もう一つは感覚的なものだが、人と人の関係で、他人に対するハードルが低いということである。

 1と2については出自を隠すかさらすかという問題が大きい。1では本名を名乗るかどうか、2では部落民宣言をするかどうか、これらは非常にセンシティブな問題で、単に宣言をすればいいというものではない。その後の各自の人生がうまくいくかどうかを見極める視点も必要だ。(難しいことだが)しかし1970年代は運動体の力が強い時期でもあったので、そういう流れが教育現場にも押し寄せてきた。特に2については府立高校の中でも温度差があった。解放同盟が支配下に置く学校では、当時の社会党系の教員が同和問題を独占化し、自分たちの主張を具現化させていった。そこでは部落民宣言はごく普通に行われていたと思う。したがってその学校に赴任した場合、そのやり方に従うことが要求された。全員がその趣旨に賛同するわけではないので、3~4年は我慢して転勤を目指すということになる。当時の教職員組合は主流派(共産党系)と反主流派(社会党系)があって隆盛を誇っていた。(今では考えられないがストも打っていた)

 そんな中、組合の大会に出ると、代議員がいろんな問題について発言するのだが、ある時、件の解放同盟系の高校の若い教員が、私の妻は元生徒で部落民ですが云々と自分ではなく妻の出自を公にしたのを聞いて驚愕したのを覚えている。40年以上前のはなしである。あの若い教員はその後どうしただろう。運動体の犠牲になっていなかったらいいのだが。私はノンポリの組合員だったが、この時代は生徒急増期で学校現場はある種の熱気を帯びていた。その後、組合の分裂で、それぞれめいめいに活動したが、組合員は激減した。当然だろう。

 この同和問題について本書で、茨木市出身の大北喜句雄氏が述べられているのだが、元々全日本同和会というのがあって、それが解放同盟に吸収されて今に至っているとのこと。解放同盟は運動に際して資金を確保することが重要で、このために当局と折衝して金を持ってくるようにしなければということであったようだ。解放同盟と裏金という問題は、この流れで理解する必要があるという。この解放同盟の重要なタクティクスが部落民宣言だ。大北氏の独白、「ただ、高2の時に、部落民宣言せんとあかんと言われて,それをしたのだけは、頭が真っ白になったのは覚えているけどなあ」。「頭が真っ白」とはまさに実感という気がする。高2の多感な生徒にとっては重いテーマである。この宣言運動の総括はなされたのだろか。

 3については、こちらに住んだ人間ならすぐ実感できると思う。私は特に男女関係について言えると思う。本書に出てきた人々の男女関係は、例えば織田作之助の『夫婦善哉』をはじめとする小説を読むと理解できる。なんでこんなにめんどくさい関係を持つのか続けるのかと思うが、当人たちは一切意に介していないようだ。逆にそれを楽しんでいる風さえ感じられる。自分を含め状況を客観化して見るという発想がないのかもしれない。男に泣かされる、女で苦労する、それも人生と割り切ればそれでいいのかもしれない。島倉千代子じゃないが、人生いろいろである。


 

ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅 レイチェル・ジョイス 講談社

2024-07-03 12:54:39 | Weblog
 本書は最近映画になった「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」の原作で、2012年に発表されたが、著者としては小説デビュー作で、いきなり英国文学最高の賞であるマン・ブッカー賞にノミネートされて大きな反響を呼んだ。もとはBBCのテレビ・ラジオに二十本を超える作品を提供してきた脚本家であったようだが、読んでいて登場人物の描き方が粒だっており、その片鱗をうかがわせる。その点で映画にし易い作品だと言えよう。映画の方はまだ未見だが、早くしないと終わってしまいそうだ。

 主人公はハロルド・フライ、65歳、長年勤めたビール工場を定年退職して半年が経つ。内向的で人づきあいが苦手、家では結婚して45年になる妻のモーリーンとは昔から関係は冷えたままだ。秀才の息子はケンブリッジ大学に行っていたが精神を病んで自死してしまった。一般的に言うと、厳しい老後を送りつつあるという状況だ。そんな中、フライのもとに一通の手紙が届く。手紙の主はクウイニー・ヘネシーという女性で、ビール工場時代の同僚である。彼女は20年も前に突然彼の前から姿を消したのだが、がんで余命いくばくもないという内容だった。フライはこの女性に世話になったことがあり、返事をしたためて投函しようとしたが、それよりもこのまま歩いて彼女のもとに歩いていけば、彼女の命を救えるかもしれないと思うようになった。そこでフライが住んでいるキングスブリッジから彼女がいるベリックまで800キロの道のりを歩き始める。

 小説は目的地にたどり着くまでの87日間の旅行記だ。途中、メディアの知るところとなり、それぞれの悩みを抱えた人や思惑を持った人を引き寄せて集団が作られ、「二十一世紀の巡礼の旅」などともてはやされたりもする。その中で様々な人間と交流する様子が生き生きと描かれる。今まで家に閉じこもりがちだったフライにとって新しい世界が開けていく。歩くうちにハロルドの心が徐々に開かれ、今まで直視することを避けてきた家族との過去のあれこれがよみがえってくる。旅先から妻に出す手紙や電話によって、冷え切っていた妻の気持ちも次第にほぐれていく。息子の早世はこの家族にとって痛恨の出来事だったが、この無理筋とも思える巡礼の旅によってその悲しみが昇華される記述は見事というほかはない。もと同僚のクウイニー・ヘネシーの死は避けられないが、彼女を献身対象とすることで、自身の苦悩から解放されていくという構図はまさに巡礼の旅そのものだ。この巡礼に参加した人々もそれぞれの人生があり、読者はそれを読んで、自分の今の境遇を相対化することができる。ここら辺、映画はどう描いているのか見てみたいものだ。

 800キロ離れた女性のもとに歩いていくというのは悟りを開くための旅と言えないこともなく、その強固な意志は宗教心と言ってもいいかもしれない。この旅を終えたフライは神や仏との機縁を持ちえたという意味で宗教者である。聖である。晩年になってこれを体験できたことはなんと幸福なことか。