読書日記

いろいろな本のレビュー

「吉本隆明、自著を語る」上巻 ロッキング・オン

2013-02-24 14:46:30 | Weblog
 吉本は昨年亡くなったが、本書は2004年から2009年にかけて、雑誌「SIGHT」に連載されたもので、聞き手は渋谷陽一。吉本は晩年、テレビに出ることが多かった。コピーライターの糸井重里が吉本に心酔して講演会を企画、それをNHKが放映するという形で我々は戦後の思想の巨人の話をリアルタイムで聞くことができた。車いすで『言語にとって美とは何か』の「自己表出」と「指示表出」を熱く語る姿は多くの聴衆のみならず、テレビで見ていた者にも感動を与えたと思う。昨今の、ものを食べるか、クイズか、お笑か、しかないテレビの中では出色の硬派番組であった。吉本曰く、テレビを見ててもね、この頃は食いもんとお笑しかないんですよ、極端に言うとそれが一番多い番組なんです。それもはっきり言ってロクな内容ではない。それは戦争中と同じでね、でももう笑うより仕方がないっていうかね(笑)と。戦時中と同じだという彼の言葉は非常に重いと考えなければならない。そういうバカなものに慣らされて、思考力をマヒさせられた結果、戦争の波に飲み込まれ、大きな厄災を招いてしまったのである。バカなテレビで人気を博した者が選挙に出て、バカな人間の支持を受けて当選し、バカな政策を打ち出す、これまた戦時中に劣らぬ厄災と言うべきだろう。
 吉本は軍国少年として戦時中を過ごし、二十歳までには死ぬであろうと覚悟を決めていた。そして死ぬなら天皇のために死のうと考えた。吉本にとって自分の命と引き換えになるのは天皇しかいなかったわけだ。死を前にして普遍なるものに繋がりたいというのは、人間の大きな願望であろう。しかし、生き残り、戦後を生きなければならなくなった時、戦後の民主主義とどう折り合いをつけるかが問題になったが、左翼として生きる道を選んだ。でもその心情は、かつての軍国少年であった自己をあっさり捨て去るのではなく、後ろめたさを感じつつのものであった。この視点があるからこそ、共産党が主導していた党派的性格を帯びた極めて画一的な戦争責任追及に対する痛烈な批判を展開し、その後全共闘運動に共感を示し得たのであろう。
 最近中国で起こっている愛国無罪のデモについても、「愛国とか民族主義っていうのは、歴史や文化史のある段階で誰もが通るわけですよ。で、今中国は、ちょうど愛国と社会主義的な理念がくっついたんだから民族社会主義、要するに日本の軍国主義と同じですよ。これを現実的な悪だっていうふうに決めつけると、それは本当に昔ながらのリベラリズムになっちゃうわけです。それは間違いだと思います。反日は愛国だからいいんだって言ってるのは、それは日本からはありがたいこと言ってるわけじゃないけど、でもこれが間違いだっていうことはない。」とかつて愛国でやられた自分を振り返って、その愛国というメッセージに対して何が出せるかという具体的な方法がない限り戦後は無いと強調する。
 吉本の党派性に対する批判は『「反核」異論』(1982年 深夜叢書社)においてピークを迎える。1982年1月に中野孝次ら36名の作家の連名で雑誌『文藝』に掲載された「署名についてのお願い」に端を発する「文学者の反核声明」は大きな盛り上がりを見せ、同年3月には523人の署名が集まった。この運動は2千万人の署名運動に進展し、翌年5月には大規模な集会も行なわれた。そうした情勢の中で敢然と反旗を翻したのだ。米レーガン政権の欧州核軍備強化を受けて、親ソ連的な党派性を持つことを批判したのだった。この反核声明は一見無害な平和メッセージに見えるが現実的には反米親露的なものであり、ロシアの核戦略に乗ってしまっている党派性の強いメッセージなのになぜそこに気づかないのだという失望が表明されたのだった。この程度の政治家のよく使う嘘に乗るっていう手はないでしょう。乗ったらそれは最後まで連れていかれてしまうという危惧の表明だった。戦争を体験し愛国に振り回された軍国少年であったればこその魂の叫びだった。私も当時、身一つで抗うている吉本に共感し、この本を買い求めた記憶がある。
 このように全編箴言に満ち溢れている。本当にその死が惜しまれる。合掌。
 

教室内カースト 鈴木翔 光文社新書

2013-02-12 08:30:04 | Weblog
 教室を支配する「地位の差」をカーストと呼び、その実態を生徒・教師のインタビューを交えてまとめたもの。「カースト」はご存じの通りインドの身分制度で、階層間の壁は厚く、下位から上位への移転は不可能。教室内カーストも同じだという。上位にいる生徒は気が強く、傍若無人に喋るタイプで、下位の生徒はおとなしくて目立たないタイプだというが、これに関しては特に目新しい発見はない。ただ上位にいると学校生活が楽しく過ごせるという生徒の言葉が、社会のありようをそのまま反映していて興味深い。生物界においても食物連鎖の頂点に立つものは、襲われる心配がないので、餌をとる苦労はあるが悠々と生活できる。その精神的安定度は何よりも大きい。さすれば、下位の生徒はいついじめに遭うかびくびくしながら学校生活を送るという意味で、食物連鎖の下位にいる動物と同じだと言えよう。
 カースト上位は、文化祭・体育祭・遠足・修学旅行のクラス活動について主導権を握り、自分たちのやりたい方向にもっていこうとする。とにかく声が大きく気が強いので、そういう生徒が三四人固まれば、おとなしくてまじめな生徒は何も言えなくなる。このグループが勉強も部活もまじめにやる生徒ならまだしも、そうでない場合は、クラスをかき回すだけかき回してあとの責任を放棄するという場合も間々ある。その時はクラスが危機に陥る。担任として最も苦しい瞬間である。担任はこれらのグループをうまく利用してクラスの活性化を図ることは必要だが、彼等に迎合してはいけない。行きすぎた時は毅然とした態度で叱責することが大切。ところが、最近は生徒と教師の間が友達関係のようになっているので、これがいろんな意味でネックになっている。高校から中学、小学校へ行くに従ってその度合いは増加する。
 本書のインタビューで教師が、カースト上位の生徒は生きる力があって将来有望で下位の生徒はそれがなく、将来もだめだろうというようなことを言っているが、賛成できない。人間観察が一面的で、こういう教師が増えてくれば、学校のいじめ・差別問題はもっと深刻化するのではないかという危惧を覚える。

レンタルチャイルド 石井光太 新潮文庫

2013-02-03 14:39:27 | Weblog
 インドのムンバイでは女乞食が乳飲み子を抱えていたが、中には、手足を切断されているものがあった。理由は人々の憐憫を誘って、より多くおカネを恵んでもらうためだ。実はこの幼児はマフイアからのレンタルチャイルドであり、成長した子どもたちは「路上の悪魔」となり、今度は自分たちがマフイアとなって悪事に奔走する。この救いようのない負のスパイラルに衝撃を受けた著者はムンバイを三度フイールドワークして、その実相をレポートしたのが本書である。
 以前、インド映画を見ていて、子どもがマフイアにさらわれて乞食にされ、より金がもうかるように眼を潰されるという場面があった。子どもたちはそれでもマフイアを恨まず、生きる糧を与えてくれていると運命を甘受しているのだ。「神に弄ばれる貧しき子どもたち」という副題はそこらへんの事情を斟酌したものだろう。
 およそ人権擁護とは無縁の世界が存在していることの驚きを隠せないが、貧困は人間の尊厳を消し去ってしまうということか、またヒンズー教のカースト制度の影響か、はっきりしない。しかしそれでも人々はうごめくように日々の糧を求めて生きているということだ。極貧の中で生き抜くには人権尊重だけでは無理なのだろう。
 著者のスタンスは一貫してヒューマニストで、女性・子どもに対して優しい。売春婦の誘いも全部はねのけているが、それが少々鼻につくことも確かだ。ノンフイクションだが、中身は小説風で、登場人物の会話がセンチメンタリズムをかきたてる。前著『神の棄てた裸体』(新潮文庫)ではイスラムの国々の売春婦のリポートしていたが、ここでも著者のヒューマニストとしての慈愛が全編に溢れている。でも、危険を顧みずに異境の地に踏み込んで行ったのはエライ。この二作の甘さが嫌なら『絶対貧困』(新潮文庫)がお勧め。アジアの極貧の日常を突き放した筆致でレポートしている。人間の日々の生活を貨幣収入という量で測って、貧困だ富裕だというのは貨幣経済にすべてを取り込んだ議論で問題が多いが、グローバル化は貧しくとも自給自足で生きている人々を否応なく貨幣の世界に巻き込んで行く。貨幣の多寡が幸福の尺度になる社会は間違っている。競争を煽る政治家にだまされてはいけない。

山口百恵 中川右介 朝日文庫

2013-02-01 21:20:10 | Weblog
 山口百恵は1973年春に14歳でデビューし、1980年に21歳で引退した。私に関して言えば、1973年は21歳、1980年は28歳だった。気楽な学生生活を経て、新設高校の教員生活二年目で、トホホの毎日。到底定年まで続けられそうにないと思っていたが、不思議なことにその後32年間勤めあげて退職金をもらった。人生のダイナミズムを実感した次第である。百恵に関して言えば、一般人がさあこれからという時に引退して、結婚して専業主婦になったのである。現在52歳で、息子が歌手としてデビューしている。この32年、私は食べるために宮仕えに専念し、百恵は三浦友和夫人として、マスコミをシャットアウトして生きてきた。百恵も偉いが、三浦友和も偉い。芸能人の格から言えば、明らかに百恵の方が上で、三浦は逆玉と言われても反論できない状態だった。
 結婚後、心ないマスコミが百恵にアプローチをかけようとした時、妻と子供を守るために必死の形相で怒っていたのを思い出す。曰く、「引退して何年経っていると思ってるんだ。いい加減にしろよ」。三浦の苛立ちがストレートに出ていた。実は、私は三浦と同年齢で、なんとなく感情移入してしまうのだ。その三浦もここ10年は役者としても成熟し、人気俳優の域に入っている。喜ばしいことだ。
 本書は百恵のデビューから引退までを膨大な資料を渉猟して、年代記として非常にうまくまとめている。特に三浦との出会いから結婚まで、会話の再現という手法を駆使して、小説風に仕立てているのがうまい。百恵論としては、平岡正明の『山口百恵は菩薩である』(講談社 1979年)が先駆的な作品で、当時私もこれを読んで、平岡はすごいなと思ったが、本書もこの作品に触れているのはさすがである。スーパースターの座をさらりと捨てて、格下の役者と結婚して引退した百恵。逆に言えば、三浦は余程素敵な男だったのだろう。カネよりも愛を選んだ百恵。幸せになりたいという願いを実現させた百恵。52歳の近況をテレビで見ることはむりだろうなあ。残念。