本書の副題は「ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家」で、副題を表示しなければ何のことかよくわからない。英語の題は「In the Garden of Beasts:Love,Terror,and an American Family in Hitlers Berlin」でこの方がわかりやすい。
1933年、ヒトラーがドイツの実権を握り、人種戦争を企図していた時に シカゴ大学歴史学部教授のウイリアム・ドットは駐独アメリカ大使となって赴任した。妻と成人した息子と娘を伴って。本書はこのドット本人と娘のマーサを中心に描く。当時外交官の職はハーヴァード大学出身の裕福な者がなるというのが常識だったが、中産階級出のドットが抜擢されたのは異色で、いろいろ批判もあったようだ。しかしドットは中産階級の知識人が抱いているアメリカ的理想をもって外交にあたっていく。ヒトラーをはじめナチの幹部と正々堂々と渡り合う姿は立派という他はない。娘のマーサは級友からスカーレット・オハラと評されるくらい文才があり、しかもブロンド・青い目・透明な肌を持つ官能的で魅力的な女性だった。彼女は後にソ連のスパイとなり、奔放な男性関係で有名になった。とりわけゲシュタポ局長ディールス、そして前述のKGBの前身のNKVDのスパイであるソビエト大使館員ボリスとの関係は、まるで映画を見ているような感じがして、ドイツの変容が逆照射される。彼女は最初、ドイツでユダヤ人をはじめとする他民族に対する暴力が行なわれていることに対してまるで信用しないイノセントな存在であった。が、段々と状況がわかってくる。そして最後は「死ぬまで消えることのないほど十分に、血と恐怖を経験した」と書くようになる。
そして彼女の父ドットもドイツの深刻な状況に気付き始める。最初の1年間、国中に広がるナチスの残酷なテロに人々が奇妙に無関心で、大衆と政府の穏健な人物までもが新しい抑圧的な法令を積極的に受け入れており、更に暴力的な出来事を抵抗なく容認する姿に驚いた。友人のローバーに「貿易が落ち込んで、誰もが何かしらの苦境に陥っているという時に、ユダヤ人への迫害が起こることが理解できなかった。また、6月30日のようなテロ行為が現代で起こりうることも想像できなかった」と書き送っている。
ドットは殺人がドイツの民衆を怒らせ、政権が崩壊することを期待し続けたが無駄だった。この状況下で、ヒトラー、ゲーリング、ゲッペルスらの幹部と対峙する困難さは推して知るべしだ。
常識では考えられない暴力が日常になっていたのである。アメリカ本国もユダヤ人迫害がそれほどまでになっている状況を認識できていなかった。ヒトラーが画策していたのは人種戦争で、普通の国の利益をはかる戦争ではなかった。そのために膨大な軍事予算を組み、大衆を騙し続けた、それが前述のドットの感想に行きつくのだ。これに関しては近刊、『ナチスの戦争 1918~1949 民族と人種の戦い』(リチャード・ベッセル 中公新書)に詳しく書かれている。
学者であり、ジェフアソン的民主党員であり、歴史を愛し、若い時分に勉強した地である古きドイツを愛する農夫だったドットにとって、公権力による殺人が驚くべき規模で行なわれていたことは、平和とよりよい関係を築く大使という仕事とは何かを問い直さざるを得なかった。逆に言えば、それほど狂気に満ちていたということだろう。ナチ研究が終わらない所以である。
1933年、ヒトラーがドイツの実権を握り、人種戦争を企図していた時に シカゴ大学歴史学部教授のウイリアム・ドットは駐独アメリカ大使となって赴任した。妻と成人した息子と娘を伴って。本書はこのドット本人と娘のマーサを中心に描く。当時外交官の職はハーヴァード大学出身の裕福な者がなるというのが常識だったが、中産階級出のドットが抜擢されたのは異色で、いろいろ批判もあったようだ。しかしドットは中産階級の知識人が抱いているアメリカ的理想をもって外交にあたっていく。ヒトラーをはじめナチの幹部と正々堂々と渡り合う姿は立派という他はない。娘のマーサは級友からスカーレット・オハラと評されるくらい文才があり、しかもブロンド・青い目・透明な肌を持つ官能的で魅力的な女性だった。彼女は後にソ連のスパイとなり、奔放な男性関係で有名になった。とりわけゲシュタポ局長ディールス、そして前述のKGBの前身のNKVDのスパイであるソビエト大使館員ボリスとの関係は、まるで映画を見ているような感じがして、ドイツの変容が逆照射される。彼女は最初、ドイツでユダヤ人をはじめとする他民族に対する暴力が行なわれていることに対してまるで信用しないイノセントな存在であった。が、段々と状況がわかってくる。そして最後は「死ぬまで消えることのないほど十分に、血と恐怖を経験した」と書くようになる。
そして彼女の父ドットもドイツの深刻な状況に気付き始める。最初の1年間、国中に広がるナチスの残酷なテロに人々が奇妙に無関心で、大衆と政府の穏健な人物までもが新しい抑圧的な法令を積極的に受け入れており、更に暴力的な出来事を抵抗なく容認する姿に驚いた。友人のローバーに「貿易が落ち込んで、誰もが何かしらの苦境に陥っているという時に、ユダヤ人への迫害が起こることが理解できなかった。また、6月30日のようなテロ行為が現代で起こりうることも想像できなかった」と書き送っている。
ドットは殺人がドイツの民衆を怒らせ、政権が崩壊することを期待し続けたが無駄だった。この状況下で、ヒトラー、ゲーリング、ゲッペルスらの幹部と対峙する困難さは推して知るべしだ。
常識では考えられない暴力が日常になっていたのである。アメリカ本国もユダヤ人迫害がそれほどまでになっている状況を認識できていなかった。ヒトラーが画策していたのは人種戦争で、普通の国の利益をはかる戦争ではなかった。そのために膨大な軍事予算を組み、大衆を騙し続けた、それが前述のドットの感想に行きつくのだ。これに関しては近刊、『ナチスの戦争 1918~1949 民族と人種の戦い』(リチャード・ベッセル 中公新書)に詳しく書かれている。
学者であり、ジェフアソン的民主党員であり、歴史を愛し、若い時分に勉強した地である古きドイツを愛する農夫だったドットにとって、公権力による殺人が驚くべき規模で行なわれていたことは、平和とよりよい関係を築く大使という仕事とは何かを問い直さざるを得なかった。逆に言えば、それほど狂気に満ちていたということだろう。ナチ研究が終わらない所以である。