読書日記

いろいろな本のレビュー

日本軍兵士 吉田裕 中公新書

2018-04-27 09:13:29 | Weblog
 副題は「アジア・太平洋戦争の現実」で、先の大戦における日本陸軍・海軍の兵士たちが直面した現実を客観的資料により70年後に再現したもの。読んでいるうちに胸が詰まって、涙を禁じえなかった。著者によれば、1941年12月に始まるアジア・太平洋戦争の日本人戦没者数は、日中戦争戦争も含めて、軍人・軍属が230万人(朝鮮人と台湾人を含む)、外地の一般邦人が約30万人、空襲などによる日本国内の戦災死没者が約50万人、合計310万人である。さらに外国人について言うと、米軍の戦死者数は9万2000人から10万人、ソ連軍は対日参戦以降の戦死者が2万に余り、英軍は3万弱、オランダ軍は民間人も含めて2万7000人。中国軍と中国民衆の死者は1000万人以上、朝鮮の死者は約20万人、フイリッピンが約111万人、台湾が約3万人、マレーシア・シンガポールが約10万人、その他、ベトナム、インドネシアなどをあわせて総計で1900万人以上となる。まさにアジアの民衆にとっては厄災そのものであった。そして日本人戦死者310万人の大部分がサイパン島陥落後の絶望的抗戦期の死没者だと著者は言う。
 この時期の死亡者の実態は、病死、飢餓死が主であった。飢餓死と言っても、兵士はストレスや不安、緊張、恐怖などによって、ホメオスタシスと呼ばれる体内環境の調節機能が変調をきたし、食欲機能が失われて摂食障害を起こしていたと言われている。またこの時期、35万人を超える海没死者が出たとある。これはアメリカの潜水艦作戦の成功が要因だ。1943年の半ば以降、米海軍は魚雷の欠陥を是正したのみならず、日本商船の暗号解読に成功し、船団の待ち伏せが可能になった。日本側は一輸送船あたりの人員や物資の搭載量が過重であったことも犠牲者を増大させた。この海没問題が兵士に不安を与え発狂者が続出する事態が起こった。またこの時期の固有の戦死のありようとして特攻死がある。飛行機による特攻(航空特攻)は1944年10月に、海軍がフイリッピン防衛戦で神風(しんぷう)特別攻撃隊を出撃させたのが最初である。この特攻は一見戦果をあげそうだが、実際は空母などの大型艦船には通じなかったとある。と言うのも、航空機による通常の攻撃では、落下する爆弾に加速度がつくため破壊力や貫通力はより大きなものとなる。しかし、体当たり攻撃では、急降下する特攻機自体に揚力が生じ、機事態がエアブレーキの役割を果たしてしまうため、機体に装着した爆弾の破壊力や貫通力は、爆弾を投下する通常の攻撃より、かなり小さいものとなる。これが体当たり攻撃で大型艦を撃沈できない理由なのだ。今回この事実を初めて知ったが、ただやみくもに死を急ぐ日本軍の特徴がこの一件にもよく表れている。その軍の思想的背景は第3章の「無残な死、その歴史的背景」に詳述されている。精神至上主義で人命軽視の軍隊では到底米軍には歯が立たなかったのだ。さらに物資の不足による軍靴を始めとする兵士の戦闘装備の劣悪さ、物資の補給もせず現地調達せよという大本営命令、すべて近代戦の範疇から外れており、近代国家アメリカに勝てるわけがない。日本は今後この教訓をしっかり肝に銘じなければ、再び過ちを犯す可能性が高い。本書は今10万部突破したようだ。もっと多くの人が本書を読んで、兵士の直面した現実を知れば、彼らの鎮魂になるのではないか。合掌。
 

ヒトごろし 京極夏彦 新潮社

2018-04-13 09:00:12 | Weblog
 1000ページを超す大部の小説は新撰組副長・土方歳三の物語である。タイトルの「ヒトごろし」は土方のことで、彼は自分のことを人殺しが好きで、人を殺しても罪の重さなど微塵も感じず、後悔もしない、化け物だと思っている。彼は人を斬りたいがために新撰組を作り、幕府の権力のもとに勤王の志士を斬りまくったという異色の新撰組物語である。司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新撰組血風録』とは無縁の世界が描かれており、新撰組フアンは衝撃を受けたのではないか。
 土方が殺人に魅せられたのは、七歳の時、武家の妻が中間奴と不義密通を犯し、逐電の途中に夫の武士に惨殺される場面を見たことによる。切られた女の碧天に噴き上がる鮮血、これを甘美な死の景色として心に刻み込まれたと書いてある。刀で人を殺すという人倫にもとる衝動に取り憑かれたのだ。異様な人物設定である。この土方が新撰組結成前に、見廻り組の佐々木只三郎と会った時、佐々木は言う、「お前、人殺しが好きだな。人殺しという行ないは、どんな時も、何であろうとしてはいけねえことだろうよ。大罪だ。人を殺したら必ず罰せられるのだ。どんな形であれ罰せられるのだ。獄門になるか遠島になるか入牢するか、どんな形であっても罪は必ず償わねばならんのだ。どんなに乱れた世の中であっても、どんなに人心が狂うておっても、そこだけはきっちりしておかなくてはならんのだ。国の箍が緩んでも、そこだけは変らねえのだ。ただな、罰するのはお上だ。親方は幕府だ。人殺ししてえならそういう身分になるしかねえな」と。
 これは国家権力というものをわかりやすく述べたもので、土方の殺人衝動は国家権力そのものに抑制されるべきもの、逆に権力側に立てば戦争などの名のもとに殺人が正当化されるといことだ。
でも、刀での切り合いが、戊辰戦争になると、大砲や鉄砲の戦闘に変わる。土方はこの戦いについて次のように言う、「これらの戦いはな、立ち合いもねえ。名乗りもしねえ。誰が誰を殺したのかもわからねえ。ただ大勢が一度に死ぬだけのもんだ。殺した方も人を殺したって気持ちは持てねえ。大砲だの鉄砲だの撃ったてだけだ。それで皆死ぬ。沢山死人がでた方が負けだ。兵隊はただの将棋の駒だよ。武勲も武功もねえ。全部が全部、成ることのねえ歩だよ」と。
 近代戦が殺人のタブーを簡単に破ってしまうことを言い当てている。死の「無名化」というべきもので、第二次世界大戦のホロコースト、最近の民族浄化に繋がるものだ。人殺しは悪だが、それを倫理だけで抑制することはいささか困難であるということを土方を通して知らしめているのではないか。本編は以上のテーマを含みつつも小説としての面白さを存分に味わわせてくれる。近藤勇は出世にしか興味のない人間として、沖田総司はなぶり殺しが好きな変質狂として描き、ディストピア小説としての面目躍如たるものがある。芹沢鴨の暗殺、古高俊太郎の拷問、池田屋事件、伊東甲子太郎暗殺と時系列で展開される新撰組の事件が会話を中心に描かれる。それが血なまぐさいリアリティーを増幅して読者を京極ワールドに引きずり込む。久しぶりに面白い小説を読んだ。

「中国」という神話 楊海英 文春新書

2018-04-04 10:06:28 | Weblog
 副題は「習近平『偉大なる中華民族』のウソ」である。著者は中国・内モンゴル出身の文化人類学者で日本国籍を取得し、現在静岡大学教授。文革時代にモンゴル人の同胞がソ連のスパイという嫌疑で「漢民族」から弾圧を受けた実情を『墓標なき草原ー内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店)に記している。現在、チベット・新疆ウイグル・内モンゴルという中国の辺境にある異民族地帯を、中国は帝国の領土として分離独立を認めず、弾圧を加えている。その強権的な姿勢の中で、習近平は「中華民族の偉大なる復興」をスローガンにして人気取りに腐心しているが、これは壮大な絵空事であるということを自身の体験を踏まえて証明したのが本書である。
 歴史的に見て、中国歴代の王朝は周辺の遊牧民族の侵入に頭を悩ませてきた。「万里の長城」はその苦闘を物語るモニュメントと言える。中華思想からいうと周辺の遊牧民は「蛮族」であり、「蛮族」から学ぶべきものは何もないというのが彼らのスタンスだ。「蛮族」に対する懐柔策として有名なのが「王昭君」の物語で、出典は『漢書』9の元帝紀と94下の匈奴伝である。そこには、匈奴の呼韓邪単于に後宮の王檣(字は昭君)を嫁がせたこと、単于に嫁ぎ、一男二女を生んだことが書かれているだけで、物語化されるのは晋の葛洪の『西京雑記』においてである。美貌を恃んで宮人画工の毛延寿に賄賂を渡さなかったばかりに醜く描かれた王昭君が匈奴に嫁がされてしまうという例の話である。著者は言う、この頃の中国の知識人たちは彼女を「可哀そうな、悲劇的な女性」だと思い描くようになった。琵琶という楽器を抱えて、泣きながら「野蛮人」に連れて行かれたストーリーを作ったのだと。そして今日、匈奴をモンゴル人の祖先だと見なす中国人は王昭君の「名誉を回復」し、彼女を「民族団結のシンボル」だと位置づけるように変わった。彼女の偉大さは、「野蛮な胡俗」であるレヴィレート婚(死亡した夫の代わりにその兄弟が結婚する習慣)の「屈辱」に耐え抜いて、漢と匈奴=中国人とモンゴル人との「平和と友好」をもたらしたことにあるとされている。そこには、中国を「か弱い女性=犠牲者」、匈奴を「強い男性=加害者」になぞらえる政治的なシンボル操作がうかがえると。これは植民地支配の常套手段で、愛国教育の名のもとに子どもにたたき込んでいけば真実となる。中国では連環画という幼児書で歴史の故事から革命の物語、外国の有名な文学作品や科学知識の普及を意図したものなど、多岐にわたって行なわれている。王昭君の話なども連環画で子どもに読ませているのだろう。このような形で異民族支配を実行しているが、漢人の目に余る拝金主義がこの異民族融和の文化政策を雲散霧消させているのが現状である。あまりにも欲どしいのだ。
 また中華民族の復興にはチンギスハンの元帝国が実現した広大な領土の回復というのがある。いま海洋進出に躍起になっているのを見てもわかる。しかし元はモンゴル人の王朝で、それを中華の帝国と言うには無理がある。しかし中国人はジンギスハンをモンゴル人から切り離して、中国の英雄として利用しようとしていると著者は言う。無理筋の話も真実めかして外交に活かす、それが「一帯一路」戦略だ。内陸アジアを取り込もうとする戦略だが、チベット・新疆ウイグル・内モンゴルは民衆との軋轢が深刻で、著者はこれを「中国最大のアキレス腱」だと言っている。これらの地域の支配統治に正義はなく、たとえ力で抑え込んでもその反作用の力が暴発して、習近平政権の足元を掬う危険性がある。そうなると腐敗撲滅運動もすっかり色あせてしまうだろう。