読書日記

いろいろな本のレビュー

五色の虹 三浦英之 集英社

2016-02-26 09:18:58 | Weblog
 副題は「満州建国大学卒業生たちの戦後」とある。戦前日本がアジアの植民地に大学を作った例としては、台北帝国大学、京城帝国大学、旅順工科大学等々、現地の日本人の入学を主な目的にして作られたものが大部分だが、この建国大学はいささか様相が違っている。書中に引用されている説明には次のように書かれている。≪建国大学は「満州国」における文系最高学府として、関東軍と「満州国」政府によって1938年に新京市(現長春市)に創設された。「民族協和」をその建学の精神とし日本人・朝鮮人・中国人・モンゴル人・白系ロシア人の優秀な学生を集めて共同生活の中で切磋琢磨して、将来の満州国建設の指導者たるべき人材を養成するとの教育方針に加えて、すべてが官費で賄われ全寮制で授業料免除といった軍関係の学校並みの条件から、創立当時は合格定員150名に対して日本領および満州国内から約二万人以上の志願者が集まった≫と。(因みにタイトルの五色はこの五民族を指す)さらに「民族協和」を実現するために学生同士の自由な討論が保証され、日本の植民地政策の是非も論じてよいということだった。しかし満州国自体が中国では「偽満州」と書かれるくらい傀儡国家であったことと、創設に満州建国に縁の深い関東軍参謀本部の石原莞爾大佐が関わっていたこと、更に同じ関東軍参謀本部の辻政信大尉が石原の意を受けて大学の骨格を決めて行ったことなどを考えるとこの大学の胡散臭さが感じ取れる。
 石原は満州事変の首謀者だったにもかかわらず、東条英機と対立して敗戦後も戦犯指定を免れたという人物で、『最終戦争論』で日米の戦いを予言した。片や辻は数々の戦争犯罪に関与し、「地獄の使者」と恐れられた人物だ。彼も戦後延び、1961年にラオス旅行中消息を絶った。
 本書はこのいわくつきの大学の卒業生を、日本、中国、台湾、モンゴル、カザフスタンに訪ねインタビューするというものだ。そこで建国大学の実態と彼らの戦後の人生を浮き彫りにするという狙いだが、一様に彼らの口は重く、なかなかその狙いは実現していない。特に中国に在住の卒業生には公安の監視がついて、インタビューがドタキャンされるという具合だ。共産党の「偽満州」に対するスタンスが逆照射されてしまう。当然卒業生は反革命分子と見なされ、不当な扱いを受けたことは想像できる。彼らは、在学中日本の帝国主義に異を唱えていたのだと抗弁しても理解を得られなかった。歴史の狭間でうたかたのように消えていった大学。でも入学した彼らは学力優秀で、違ったコースを歩めば、また違った人生が待っていたかもしれない。これを運命として甘受できたかどうか。難しい問題である。

赤めだか 立川談春 扶桑社文庫

2016-02-15 16:31:03 | Weblog
 立川談春は故立川談志の弟子で今売れっ子の落語家である。最も予約が取りにくい噺家として有名である。最近は役者としてもテレビに出演している。これは一応エッセイと銘打っているが、私は青春小説として読んだ。登場人物の描き方が非常に生き生きとしていて談志門下の弟子たちの表情も非常に豊かで、文章力を感じさせる。随分頭の良い人なんだろう。「赤めだか」とは師匠が飼っていた金魚のことで、次のように書かれている。「庭の水がめに飼っている金魚は、金魚とは名ばかりで、いくらエサをやってもちっとも育たなかった。僕達は、あれは金魚じゃない、赤めだかだ、と云って馬鹿にしていたが、大きくならないことも師匠好みらしく可愛がっていた。出かける支度を整えて、家元、談々、関西、僕で庭へ出ると、談秋はまだエサをやっている。水がめをみて家元は目をむき、僕達は息を呑んだ。談秋、麩一本丸ごと指先でつぶして、全部水がめの中に入れていた。膨張して層になったお麩の中で金魚がピクピクしている。お麩の中で溺れる金魚を僕は生まれて初めて見た。家元が笑顔で、ものすごく優しい声で、『談秋、金魚はそんなに喰わねエだろ』と云った。肩を震わせて『申し訳ございません』と小声で呟きながら、談秋は手でお麩をすくって捨てている。わけがわからなくなっているのだろう、お麩と一緒に、金魚もすくって何匹か捨てている。それを見ないフリをして家元は門を出て大通りへ向かって歩いてゆく。僕達三人も黙ってあとをついてゆく。僕が一度だけ振り返ったら、談秋はまだ水がめの中に手を突っ込んでいた。その日、談秋は家元の仕事場にやってこなかった。」その後、ドジな談秋は入門半年で弟子を辞めるのだが、前座修行の若者の姿が過不足なく描かれており、なかなか読ませる文章になっている。「家元」の部分は本文では「談志」に「イエモト」とルビが振ってある。談志が小さんに反旗を翻して、落語協会を飛び出して「立川流」を標榜していたことに合わせているのだ。当然弟子たちの出演の機会は少なくなり、他の一門に比べてハンデがあった。
 その中で、前座から二つ目になるのが彼らの大きな目標であるが、それがなかなか難しい。師匠が白といえば、黒いものでも白になる世界である。まして天才肌の談志師匠に合わせて修行するのはどれだけ苦労の多かったことか。談志門下では、二つ目昇進には、50の話を語れなければならず、そのうえで師匠の試験が待っている。入門から4~5年は地獄の日々である。本書では弟子たちが築地市場で一年間修業させられる話が書かれている。築地の魚屋ではなくしゅうまい屋で働くのである。これが落語とどういう関係があるのかと弟子たちは疑問を抱きながら、師匠の命令ゆえ抗えない。これに耐えてこそ一人前の噺家になれると信じるしかない。理不尽な師匠の命令に耐えるしか、この道では生きられないと懸命に努力するのである。談春が今あるのもこれに耐えたからだろう。苦労した人間の語り口が、古典落語に一層の輝きを与えるのだろう。何か今日の、教育に対するアンチテーゼを突きつけられた気がする。