読書日記

いろいろな本のレビュー

レッド・ルーレット 私が陥った中国バブルの罠 デスモンド・シャム 草思社

2023-07-17 10:05:07 | Weblog
 今中国共産党は岐路に立たされている。コロナ禍による経済不況とそれに伴う就職難、人民の生活は厳しいの一点。にもかかわらず独裁者習近平に対する忖度による誤った外交・内政がさらに人民に塗炭の苦しみを強いる。その人民の不満をそらすために、中国は福島原発処理水の海洋放出に対して、「汚染水」と呼んで反対し政治問題化すべく、A.S.E.A.N.会議で取り上げさせようとしたが失敗した。このA.S.E.A.N.に出席したのが元外相で現政治局員の王毅だ。相変わらず強気の発言で、「汚染水」を飲料水にして飲んだらどうだとしょうもないことを言っている。この男本来なら引退する年齢(70歳)だが、戦狼外交の旗手として活躍したことが習近平に気に入られて政治局員になった。忖度の成果が出たわけである。A.S.E.A.N.には本来なら外相が出席するのだが、外相の秦剛はこの二週間余り消息が不明だ。台湾のメディアは不倫問題で取り調べを受けていると報道したが、中国外交部は体調不良と報じるのみで、詳しい説明はない。この前まで元気そうな姿が報じられていたが、一体どうしたのだろう。一説に習近平の逆鱗に触れたという観測もある。だんだんと北朝鮮化しているではないか。

 本書の著者デスモンド・シャムは1968年上海生まれ。親は教員で9歳の時香港に移住し、その後アメリカのウイスコンシン大学で金融と会計学を学び、1993年に卒業、香港に戻って株式仲買人となる。その後妻となるホイットニー・デュアンと出会い、共同で都市事業開発に乗り出す。二人は、改革開放の好景気に乗って、北京空港の物流センターや北京中心部の再開発などの事業を成功させ、莫大な資産を築く。現在はホイットニーと離婚し、一人息子とイギリスに在住。以上が巻末の著者略歴である。因みに元妻は2017年北京の事務所から拉致され拘束され、いまだに消息不明とある。習近平の腐敗一掃の渦中に放り出されたのだ。著者もこの影響でイギリス移住を余儀なくされた。本書は中国におけるサクセスストーリーであると同時に転落のストーリーでもある。この原動力になったのが中国共産党の政治体制である。

 まず著者の出自であるが、両親は中国が貧しい頃に育ち、特に父は国に信用されない身分の家の子供だったとある。これは元農民だったという意味なのかよくわからないが、節約してコツコツと貯蓄し、一生懸命働くことでようやく中産階級に入れたようだ。まさに階級社会、共産党の幹部の子供は優遇されるのも納得できる。このような社会でビジネスで成功するには極上のライフスタイルを演出することが大切というのが著者と妻の持論だった。著者曰く、「中国で最大級の取引をしたいなら、力のない人間だと思われてはいけない。誰が無力な相手と一緒に仕事をしたがるだろうか?見栄を張るのもゲームの一部なのだ。妻はいつも挑発的な態度をとっていたが、これは卑しい出自のせいである。どこかに、自分が見下されているのではないかという不安があるのだ。彼女は『世の中を見返す』ために戦っていた。妻にとって、車や宝石や美術品は世界に立ち向かう勇気を与えてくれるものであり、人々の冷笑に対する防御壁だった」と。共産党の厳しい階層性が人民を苦しめるという実例として腑に落ちる話である。学歴競争をはじめこの国の生存競争は厳しい。その不満をどう和らげていくか、体制批判に向かわないようにする方策を提示するのが政権の課題だ。

 人を見返すために成功する、その手段として必要なのは誰と「関係」(グワンシ)を結んでいくかということである。そのコネと金を使って階段を上っていく様子が詳細に書かれている。高級官吏から下っ端の役人まで、とにかく彼らは自分の権力をフルに使って収賄する。コネ社会と言われるゆえんである。本書では、これが政治局員レベルで行われていることを詳述している。例に上がっているのは温家宝元首相の妻と著者の妻の「関係」である。著者の妻は温家宝の妻と懇意で、彼女の助けを借りて許認可を融通してもらい、お互いウインウインの関係を築いたことが書かれている。温家宝については在任中から家族が蓄財に励んでいるといううわさが絶えなかったが、本当だった。温家宝自身は蓄財に直接かかわらなかったようだが、これを見ても共産党幹部の腐敗は底なしだ。習近平は腐敗一掃キャンペーンを掲げて違反者を牢屋にぶち込んでいるが、これは政敵打倒の方便に過ぎないと喝破している。これで習近平は3期目を実現したのだ。彼の一族も不正蓄財をやっていることは間違いない。それがばれるのがヤバいので権力の座から降りられないのだという見立ても成り立つ。その習近平がマルクス・レーニン主義をしっかり学習させよと言っているが、噴飯物である。本人がマルクスやレーニンの書物を読んだかどうかは疑わしいのだから。

 この異形の大国相手に外交を展開するにはそれなりの有識者を集めて戦略を練ることが必要だ。とにかく相手に見下されないようにしなければ。相手は見下すのが得意なのだから。その点で垂秀夫中国大使の毅然とした態度・発言は立派だ。林外相も見習ってほしいものだ。

茗荷谷の猫 木内昇 文春文庫

2023-07-08 14:13:43 | Weblog
 本書は幕末から昭和にかけて生きた名もなき市井の人々を描いた九編の短編からなる小説集だ。舞台が、巣鴨、品川、茗荷谷、市谷、本郷、浅草、池袋、池之端、千駄ヶ谷で、江戸~東京の風物詩という感じ。本書の腰巻に第八編の「手のひら」が2011年のセンター試験の追試問題に出題されて、過去問を解いた受験生を感動させたと宣伝しているので読んでみた。

 時代は昭和三十年代の東京、夫と二人暮らしの佳代子は田舎から上京してくる母と二年ぶりの再会を果たし、銀座、浅草、日本橋を案内する話。田舎の親を東京に呼んで案内するという話はたくさんあり、特に珍しくはない。たいてい親の都会慣れしない言葉や動作が、呼んだ息子や娘の羞恥心を表面化させるという設定だ。黒島伝治の小説や、小津安二郎の「東京物語」などを例として挙げることができる。子供もほんの少し前まで田舎者だったが、二、三年の都会生活ですっかり田舎者を上から目線で見るようになるのが面白い。

 センター試験追試の問題は、娘の佳代子と母のやり取りを心理的に分析して正しい選択肢を選ばせるという趣向である。田舎者の母と元田舎者の娘の心理的葛藤を読み取るわけだが、基本はわかりやすいので、逆に設問の仕方が難しい。第一問は、東京見物の前日、娘の家で娘の夫と食事しているときに、母がカエルの鳴くようなゲップをしたことについて。「母は愕然とした様子で口を押え、それから黙ってうつむいた」とあるが、この時の母の内面についての説明で最も適当なものを選べというもの。正解は「食事中にゲップをするという若い頃には決してしなかったはずの不作法が自分のことながら信じられず、娘夫婦の手前いたたまれなさを感じている」で、これはまあできるだろう。

 第二問は、母親がちびた下駄を履いていたので、新しいのを買い替えてあげようという娘の申し出を勿体ないと断り、甘味処で休みましょうという申し出も断ってしまい、一人で娘の昔話に興じる記述に続く「ちびた下駄の音がからからと空疎だった」についての設問。この「下駄の音」に対して佳代子はどのような感慨を抱いているかを選ばせるもの。これは難しい。正解は「人々の価値観のずれや老いをあらわにしてしまう東京に響く下駄の音に寂しさを覚え、東京を案内して母親を喜ばせようとする自分の思いが届かず、屈託なく昔話をする母の気持ちとの食い違いをかみしめている」である。「からからと空疎」をどうとるかがポイントか。

 第三問は、翌日上野公園の不忍池に行く場面。母は外食は勿体ないからと、おにぎりと日水のソーセージを二本包んで出かけたが、途中で通行人にぶつかり、ソーセージがポロリと風呂敷包みから落ちてしまった。これで佳代子の怒りが爆発、「そんなちびた下駄履いてちゃダメじゃない!こんなところでおにぎりなんか、みっともないんだわ」 佳代子は大声で泣きだしたかった。この小説の山場である。ここで「母を責める言葉が、止まらなかった」の部分について、佳代子の内面にの説明として適当なものを選べ、という設問。正解は「母をもてなそうとする思いが空回りしてしまい、意思疎通がうまくいかない状況へのいらだちを募らせる一方、佳代子は都会で暮らす歳月の中で変わってしまった自分と置いた母との関係を適切に結びなおすことができず、この事態に対応するすべを見いだせないまま混乱した感情を抑えられないでいる」で見事にこの小説の主題を言い当てている。

 あとは割愛するが、センター試験の作問は相当の技量が求められるが、よくできていると思う。廃止されたのは残念というしかない。