読書日記

いろいろな本のレビュー

ポトスライムの舟 津村記久子 講談社

2009-03-31 08:54:06 | Weblog

ポトスライムの舟 津村記久子 講談社



 第140回 芥川賞受賞作で、「十二月の窓辺」を同時掲載した作品集。三十前の契約社員が主人公(ナガセ 29歳)で、目標は世界一周クルージングの旅行代金をためること。彼女は工場に勤めながら、友人のカフエの手伝いやパソコンの講師もしている。母と二人暮しで、その家に友人が子連れで居候と、女ばかりが登場してつつましい日常が淡々と描かれる。ポトスはその日常のありようの象徴と思われる。貧しいが生きがいのある日常だ。
 宮本輝の評は「つつましやかに生きている女性の、そのときどきのささやかな縁によって揺れ動く心が、清潔な文章で描かれていて、文学として普遍の力を持っている」と最大級の賛辞を贈っている。私はこの小説を読んで、会社内の上司と部下の関係、仕事の内容が分かって大変参考になった。言って見れば、現代版「女工哀史」「蟹工船」ではないかと思った。派遣社員の虐げられた状況はまさにそれだと思う。一応現代的な、会社勤めという装いを凝らしているが、搾取され、虐げられるという意味では変わらない。しかしそれが、体制批判、社会批判に向かわずに、少ない給料をこつこつ貯めて、世界一周したいというのがなんとも健気だ。女性ばかりが登場するというのも、今風と言えば今風。内向きの絆ばかりが描かれていて、なんとなく息苦しい。芥川賞はほんとにこれでいいのでしょうか?

宗教をめぐる批判 田川建三 洋泉社MC新書

2009-03-30 09:44:07 | Weblog

宗教をめぐる批判 田川建三 洋泉社MC新書



 田川氏は新約聖書学で有名な学者で、30年前の「イエスという男」は今も版を重ねている。個人的な体験を言うと、ちょうど30年前この本が出た頃、教室で3年の現代国語の授業をしていた時、ある男子生徒が授業を聞かず机の下で本を熱心に読んでいた。その本を取り上げたところ、「イエスという男」であった。こんな難しい本を読む高校生がいるのかと感動した記憶がある。そりゃ新米の私の授業より刺激的だろう。後生畏るべしである。
 氏はいう、人間は何のために生きるか、などという問いに対して答えるべきことは決まっている。そのように問うこと自体間違っている、と答えればよいと。のっけから乗りに乗っている。また、人が食って寝ることを「たったそれだけのこと」などと呼ぶのは、あきれるべき暴言である。食うためには生産しなければならず、寝るためには共同しなければならない。そこからあらゆる生産関係、社会関係が生じてくる。お互い十分に食って寝ようと思うなら、そのために生産関係、社会関係を新しく作り直していかなければならない。いかに食って寝るか、ということは、それを支え、作り出し、あるいは制限し、抑圧する世界の社会構造をどのように維持し、変革していくかということに他ならないと。非常に明快だ。氏は、このスタンスで宗教的な「聖なるもの」「非合理的なもの」に対して鋭い批判を展開していく。近代科学と宗教を二項対立の形式で並べてはならない。氏はルドルフ・オットーの『聖なるもの』という書を例にあげて、第一次世界大戦後に非合理的なものこそ人間の奥底にある一番重要なものだ、というような訴えかけ流行したが、そのような社会状況は一種のどす黒い危険性を孕んでいる社会だと言う。オットーが売れた第一次大戦から第二次大戦の間の時期、つまりフアシズムが形成された時期と、現在また「何か宗教的なもの」、非合理的なものこそ人間の本性なのですよという訴えかけが力を持ち始めたかに見えることと、ある種の類似した世相があると言わなければならないと警告を発している。この本は二十年まえの復刻だが、中味はすこしも古びていない。ナチスの台頭の過程を見れば氏の見解は確かに正しい。非合理性はマインドコントロールの重要な要素なのだ。
 後半はイエスについての記述で、故遠藤周作の『イエスの生涯』と『キリストの誕生』についての批判が展開されている。氏の一番得意な領域で、こてんぱにやっつけている。遠藤もあの世から「そこまで言わんでも」と微苦笑していることだろう。「イエスという男」という名作を世に出した人だから、間違いには黙っていられないのだろう。このリゴリズムが氏の氏たる所以である。

物語としてのアパート 近藤 祐  彩流社

2009-03-29 09:32:51 | Weblog

物語としてのアパート 近藤 祐  彩流社



 本書はアパートの歴史を作家の作品と結びつけて論じたものである。最初に登場するのは、詩人萩原朔太郎が住んだアパート「乃木坂倶楽部」である。彼はここに一月半仮寓しただけだが、詩の中に歌いこんでいる。このときの朔太郎は父の重病、妻との離婚問題、長男としての責任等々、精神的物質的な危機のピークであった。彼にとってここはシェルターであった。詩集『氷島』に「乃木坂倶楽部」を「坂を上がる崖上」と書いた。実際には急な坂を下っていく中間点にあったのだが、そうは書きたくない意識があったのだろう。そして二階に住みながら「五階」と書いた。著者曰く、おそらく朔太郎が「アパートの五階ーーー」と書いたとき、彼の脳裏には、『御茶ノ水文化アパート』や『同潤会アパート』など建築史上の名品が浮かんでいたのではないか。『乃木坂倶楽部』とは比較のしようもないほどの風格があり、時代の羨望を一身に集めた名建築である。(中略)仮寓から一年半、やっとのことでその苛酷な日々を一編の詩に封じ込めようとしたとき、現実の木造二階建てのアパートを時代の先端を行く名建築に重ね合わせてみる。『乃木坂倶楽部』を「坂を上がる崖上」の「五階」と書くことで、朔太郎は自らの悲痛な体験を、詩という虚構世界に昇華させたかったのではないかと。昭和初期の「アパート」という語感には新しい希望のようなものが孕まれており、朔太郎はそれを敏感に感じ取っていたのだ。以上が第一章の中味だが、つかみとしてはなかなか面白い。以下、中原中也、辻潤、萩原葉子、太宰治、阪口安吾、寺山修司、森茉莉、古井由吉らの作家とアパートの関わりを作品をまじえて、文学史の講義のように展開させていて、読んでいて大変面白い。
 このアパートの持つ「アジール性」と「アウラ性」はその後、時代とともに変化する。60年代の公団住宅、70年代のマンションと、その中で営まれる生活は大家族から解放された、核家族といわれる小人数の家族単位になった。しかしその家族性は歴史性の欠如によってもろく、壊れやすいものだった。公団住宅やマンションの住人も高齢化を迎え、限界集落になろうとしている。今はワンルームマンションという個人が雨露を凌ぐパターンが出現した。そしてルームシェアリングという形式も確実に増えている。古い家族関係の崩壊と新しい個人主義の登場。今後どうなっていくのでしょう。
 著者は経済学部出身で、アパレル会社を退社後、建築事務所に勤めた後、一級建築士になり、独立という異色の経歴を持つ。第六章、第七章の集合住宅の歴史と今後の展開を予測した部分は読み応えがある。時代はもうマンションか一戸建てかという二者択一の時代ではない。なぜなら、そこに住むべき家族が壊れているのだから。

 

歴史と外交 東郷和彦 講談社現代新書

2009-03-29 08:37:11 | Weblog

歴史と外交 東郷和彦 講談社現代新書



 著者は元外交官で外務省を引退した後、日本にとっての重要な外交問題についてフリーな立場でコメントしたものである。氏の祖父東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時の東條英機内閣とこれを終戦に導いた鈴木貫太郎内閣の双方で外務大臣となり、戦後に極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として禁固二十年の刑を受け、1950年に獄中死した。また父の東郷文彦は、東京裁判当時、外務省総務局総務課に勤務していたが、占領軍の意向で終戦連絡事務局に出向し、茂徳裁判の弁護活動に参画した。その後、外務省でアメリカ畑を歩き、1960年の安保条約改定交渉の時の安全保障課長として岸信介総理を支え、1969年沖縄返還交渉の時の北米局長として佐藤栄作総理を支え、カーター政権時代の駐米大使を最後に引退した。
 父子三代に渡って外務省で保守本流の政治家とともに日本の国益のために働いてきたという自負といささかの慙愧の念が文章の節々に感じられる。しかし叙述は平静で厭味が無いのは、いわゆるノブレース・オブリージュが身についている証か。靖国問題、従軍慰安婦問題、日韓・日台問題、原爆投下をアメリカに抗議すべきかどうかの問題、東京裁判問題など重要な問題について、権力の中枢にいたものしか分からない日本の立場をわきまえた論を展開している。歴史の真実とは何かということについて一石を投じていることは間違いない。
 例えば台湾問題について氏は言う、「日本は、1895年から五十年間、台湾を統治してきたという歴史がある。もしも、その統治にいささかなりとも誇る点があると思うなら、その統治を経て形成されてきた台湾というもの、その台湾の民主化と台湾化の問題に、日本全体として、もう少し関心を持つべきではないか」と。全く同感である。台湾へは日本から多くの観光客が訪れるが、日台の歴史を知っている人がどれくらいいるだろうか。歴史を学ぶことによって新しい認識が生まれるわけで、そのレベルで交流できる人間が増えることが、今後の台湾との関係をより良きものにする必要条件である。外務省のみならず、官僚は日本の国益、国民の幸福のために日夜努力する存在であって欲しい。実際、東郷氏のような優秀なひとも多くいるに違いない。大阪府の橋下知事に、国土交通省はぼったくりバーと一緒だとか、文部省はバカの集まりとか、聞くに堪えない下品な言葉で攻撃されっぱなしではなく、反撃できる態勢をそろそろ整えて欲しい。それにしても橋下の下品さはどうだろう。それを聞いて溜飲を下げるマスコミと愚民たち。東郷氏からディセンシー(上品さ)を学んで欲しい。

パリデギ  黄暎 岩波書店

2009-03-20 18:32:53 | Weblog

パリデギ  黄暎 岩波書店



 副題は「脱北少女の物語」 パリは少女の名前。彼女は死者の魂を聞き取ることのできる能力を持っている。いわば巫女(ムーダン)という設定だ。一家は飢餓に苦しむ北朝鮮を逃れて国境を越えて中国に渡り、そこから「蛇頭」の手引きでなんとロンドンに渡る。彼女はその途中で家族全員を失って、天涯孤独の身になるが、ロンドンでパキスタン人のアリと知り合い、結婚し、子供ができる。ロンドンは移民、難民が世界中から集まる場所で、一つのコスモスという設定だ。その街で、パリはテロや暴力に苦しむ人々の声を聞く。
 脱北小説というので、家族、民族のどろどろした怨念が描かれているのかと思ったが、そうではなかった。朝鮮半島の特殊性をロンドンというマクロコスモスで普遍化したという感じで、読後感はお茶漬けのあっさりで、焼肉のこってりではなかった。著者は言う、「韓国的な形式と叙事に、現在の世界が直面している現実を突き合わせた作品で、今日的な現象である《移動》をテーマとしながら、戦争と葛藤の現代世界に対し、文化と宗教、民族と貧富格差を越える、多元的な調和の可能性を模索したものです」と。さて、この方法は成功しただろうか。大江健三郎はこの本の腰巻で、「この国の現実逃避のヤワな神秘主義に逆らって云々」と賛辞を贈っているが、朝鮮民族の特殊性をとことん極めたほうが、普遍性に行き着き易いのではないかと思う。南北問題を地球上の他の紛争と一緒くたにしたが故に焦点がぼやけてしまった。
 著者曰く、「私は北朝鮮の難民を新自由主義世界システムの負の部分と見ており、程度の差はあれ、周辺部地域では餓死寸前の惨状が見られます。(中略)自らと朝鮮半島の現在の生を、世界の人々と共有しようとすることこそ、作家としての私が国境や国籍に縛られない《世界市民》になる道なのです」と。北朝鮮の独裁、人権抑圧体制が、自由主義(資本主義)国の責任だという論法はいささか奇異に感じられる。また世界市民という言葉もなんだか実感が湧かない。私が読後感じた物足りなさは、著者のこの考え方に異論があることの間接的なリアクションなのだろう。

天理教 島田裕巳 八幡書店

2009-03-14 08:14:00 | Weblog

天理教 島田裕巳 八幡書店



 天保九年十月二十六日、大和国山辺郡庄屋敷村(現在の天理市三島町)中山みきに神が降りた。神はみきの口を通して「我は元の神・実の神である。この屋敷に因縁あり。このたび、世界一列を助けるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」という言葉を語りだしたという。この話は二代真柱の中山正善のもとで、昭和三十一年に刊行された『稿本天理教教祖伝』(天理教の教団が公認した初めての教祖伝)の記述である。すなわち、開祖である中山みきの神憑りが「啓示」として描かれているのだ。著者によれば事実はもっと泥臭く、産後の肥立ちが悪かったみきが、精神に変調をきたし、神憑くりを繰り返していたらしい。
 そこから、みきの宗教家としての歩みがはじまるわけだが、彼女が「をびや許し」(産婦の安産を祈るまじない)と呼ばれる救済を始めるまでには、少なくとも十六年の歳月が経っていた。産婦たちを救うようになったみきは、周囲から庄屋敷の神さんとよばれるようになり、をびや許しから数年が経った文久年間に入ると、信者と言えるような人間たちも出てくる。その時点では、みきに天降ったとされる神は、天倫王命や天龍王命、さらには天輪王と呼ばれていた。しかし周囲から迫害を受けたため、慶応三年に、みきの長男秀司が京都の吉田家に入門し、公許を受けている。そのときには、天輪王明神という神名が使われていた。
 この吉田家への入門は、みきの宗教世界に大きな影響を与えた。吉田家の吉田神道で祀られた十二柱の神が十柱にお神として取り入れられ、その全体を象徴する天輪王明神が、やはり吉田神道のの影響で、創造神としてとらえられるようになる。この吉田神道が天理教に大きな影響を与えているという指摘は、本書で初めて知った。また、みきに憑いた神も最初から一つではなかったということも重要だ。
 教団が大きく成長する過程でくぐらなければならないハードルはたくさんある。天理教に限らず、国家権力との軋轢、布教のトラブル、信者獲得の方法等、宗教団体の維持は並大抵ではない。それを乗り越える意志は、宗教的情熱によって担保されるのだろう。天理教教会本部の威容は信者の情熱の象徴と読める。一女性の憑依から新宗教へ、組織を維持するため苦闘はさらに続く。あしきをはろうて助けたまえ、てんりおうのみこと。

オオカミ少女はいなかった 鈴木光太郎 新曜社

2009-03-07 08:35:32 | Weblog

オオカミ少女はいなかった 鈴木光太郎 新曜社



 心理学の数々の迷信や誤信がいかに生み出され、流布されていくのか、その過程を明らかにしたもの。表題のエピソード以外に「まぼろしのサブリミナル」「なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くか」「ワトソンとアルバート坊や」(ワトソンの育児書)など、有名なものが取り上げられている。心理学だけに嘘と相関関係が深く、眉唾ものが多いのは何となくわかっていたが、これほど捏造されていたとは驚きだ。
 オオカミが人間の赤ちゃんを育てることはありえないと考えるのが普通だが、真相はどうだったのか。著者の見解はこうだ、「別々に森に遺棄され、なんとか生き延びた二人の女の子がいた。(オオカミに育てられたのではなかった)。ある時、彼女らは村人達にいけどりにされるが、言葉を話さず解さないため、その処置に困っていたところに、たまたま伝道旅行で牧師のシング(オオカミ少女を捏造した本人)がやってきた。村人たちは、シングに子どもたちを託した。シングは彼女たちを自分の孤児院で育てるうちにオオカミ少女に仕立て上げた。」古代ローマを建国したロムルスとレムスはオオカミに育てられたという伝説は世界史の教科書にも載っているが、オオカミ少女アマラとカマラはこれとよく似ている。受け入れられやすい下地があったのだろう。
 サブリミナル効果とは映画などの中に、瞬間とさえ言えない短時間のメッセージが書かれた画面を繰り返し映写すると、無意識のうちにそのメッセージに影響されるというものである。1956年にアメリカ、ニュージャージー州の映画館で、広告業者のジェイムズ・ヴィカリーはウイリアム・ホールデン主演の映画「ピクニック」の中に、「ポップコーンを食べろ」とか「コカコーラを飲め」というメッセージを流したのが、最初だ。これで売り上げが大きく伸びたというのだが、この実験についての論文も報告も無く、与太話の一つにすぎないと著者は断言する。これが広まり信じられる背景には、フロイトの精神分析法がアメリカで根をおろしつつあったことや、ナチスがどうしてドイツ国民の支持を得、ユダヤ人の大量虐殺を始めとしてさまざまな非人道的なことを実行したり、許容したりすることができたのか。なぜ人は煽動されてしまうのかというように、同調行動、集団の圧力、説得が研究の焦点として盛んに研究されていたことが指摘されている。サブリミナル広告は、まさにそうした大衆の心理操作の恐るべき事例でありえたのである。現代はテレビの普及によって、意識そのものに同じメッセージ流し続けて、一種のマインド・コントロール状態になっている。既に意識下を刺激するという複雑な作業は必要ないのだ。第8章の「ワトソンの育児書」の恐怖条件付けに関わって、為政者や権力者が、あるいは国家が、条件付けによって人間をコントロールしようと考えたとき、どういうことになってしまうか。ナチスの台頭によって、科学の名を借りた人種政策や優性主義的政策が行われ、数知れぬ人々が犠牲となった歴史を忘れてはならない。ナチスの生成と消滅の過程を検証することは人類の生存を欠けた重大な要件になると思う。歴史に学ばねばならない。その意味で、テレビ等のメディアによって無能化された人間が再生産されていくと、批判力を持った人間はいなくなり、国家は全体主義に牛耳られる危惧がある。その流れで、教育もそのお先棒をかつがされるのだ。教育の権力からの独立はわが国の「教育基本法」にきちんと謳われているわけで、権力の教育介入は阻止しなければならない。であるがゆえに、「くそ教育委員会」とほざいている某知事は今すぐ退場すべきだと考える。
 

日中戦争知られざる真実 黄文雄 光文社

2009-03-02 09:35:15 | Weblog

日中戦争知られざる真実 黄文雄 光文社



 黄氏は台湾出身で、一貫して反中国のスタンスで評論活動をしている。彼の本のタイトルはドキッとするようなものが多いので、キワモノ的に見られる危険性があるが、まともな内容のものも多い。本書なども日中戦争史を丹念に調べて書かれており、岩波から出してもいいくらいの価値がある。
 本書のポイントは、これまで間違いだらけだった「日中戦争」の真相を徹底探究!というもので、コピーは、反日・侮日・排日の挑発に乗った日本は、中国の「百年内戦」というブラックホールに呑み込まれた!である。日本が中国を侵略して、中国人民に多大の被害を与えたというのが常識だが、黄氏のは中国の内戦に引きずり込まれて、結局共産党が漁夫の利を得たという図式である。これもあらかじめ著者が描いた構図に、歴史的事実を当てはめたという批判を受けるような気もするが、目からウロコの部分もある。蒋介石の国民党は多くの軍閥と戦いながら全土統一を目指していた。軍閥を打倒したあと、毛沢東の共産党が当面の敵になった。そこへ日本軍が闖入してきたわけだ。国民党も抗争と分裂を繰り返し、最後には蒋介石の重慶政府対王兆銘の南京政府という「徹底抗日」路線と「和平救国」路線の対立になった。近衛首相が「蒋介石を相手とせず」という声明を出したいきさつも国民党の内紛と関連している。共産党はこの間、汪兆銘の国共合作で洞が峠を決め込んで政権奪取の機会を窺っていたのだ。泥沼の内戦は日本軍という異物によって抗体(国共合作)ができて、その後、抗体の中で異変が起こり、共産党が勝利した。蒋介石はアメリカの軍事・経済的援助の下で、共産党軍に対して絶対的優位に立ちながら最後に負けたのは、国民党の自滅であった。抗日戦で消耗したのである。
 黄氏曰く、弱体化したロシアは、ロシア革命によって「帝政→共産党独裁」のかたちで復活した。だがそれも七十数年で再び滅びてしまった。中華人民共和国の成立も、腐敗して分裂した中国が社会主義革命を経て一時的に「共産党(社会主義)中華帝国」として東アジア世界に復活したというだけのことであると。最近の中国の状況を見るにつけ、真実を言い当てていると思う。