読書日記

いろいろな本のレビュー

飛行機の戦争1914-1945  一ノ瀬俊也 講談社現代新書

2018-05-29 09:12:47 | Weblog
 1914年とは、第一次世界大戦下、ドイツ軍が立て籠もる青島要塞の攻略戦で日本陸海軍の飛行機が偵察や爆撃、ドイツ軍飛行機との空中戦など、初の実戦を体験した年である。1945年は勿論敗戦の年である。この間、日本は制空権の獲得の重要性から、飛行機の量産体制を視野に入れて、国民に飛行機の宣伝をいろいろ行なっていたというのが本書の概要だ。
 従来日本海軍は戦艦大和や武蔵に代表されるような「大艦巨砲主義」に囚われて、飛行機の重要性を認識していなかった。これが敗戦の原因になったということが言われているが、これは誤りだということを、多くの資料を使って論証している。なるほどあの戦艦大和や武蔵は巨費を投じて造られた最高速度速度27ノットを誇る素晴らしい戦艦である。しかし就航して以降、華々しい活躍を見せることなく、武蔵はレイテ沖海戦で、大和は沖縄へ向かう途中で、敵の飛行機の総攻撃を受けて沈没した。あのイメージが「大艦巨砲主義」の欠点を助長したことは否めない。
 例の真珠湾攻撃は、航空母艦から飛び立った飛行機の爆弾投下によって戦果をあげたのであるから、山本五十六指令長官を始めとして、海軍の幹部は飛行機の重要性を認識していたはずである。そうでなければこのような作戦は計画しないだろう。にも関わらず、「大艦巨砲主義」批判が起こる所以は、戦後の戦争責任を議論する中で、「軍独特のひずみ」を象徴するものとして取り上げられたことにあると著者は言う。ワシントン条約以降、(「百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」という)この非科学的思想は軍縮戦法に、訓練に、造艦造兵思想にひろがったという軍事史家・大江志乃夫の説などが影響していると述べている。
 「天皇の軍隊」は「国民の軍隊」でもあり、その国民ともたれ合うようなかたちで無謀な開戦に突入していった点は忘れてはならない。その「もたれあい」の証拠として著者があげるのは、国民による陸海軍への飛行機献納活動(一人一人がお金を出し合うこと)である。陸海軍は飛行機の重要性をことあるごとに国民に宣伝して、その重要性を訴えた。将来日本が敵機に空襲され甚大な被害を被る可能性を示唆し、それを迎撃する飛行機を持つ必要があるといったことなどである。この空襲への恐怖は防空演習などで国民に刷り込まれた。また飛行機の宣伝の一環として、貧困層の立身出世の手段として航空兵になる道を勧めたことや、学校が航空兵志願に親への説得など一役買ったことが記されている。
 戦争はしてはならないというが、政府のプロパガンダによって国民がじわじわと巻き込まれる様子が、飛行機礼賛運動にみてとれる。新書にしては分厚くなったのは、その資料を私たちに提供してくれたからだ。
 

言ってはいけない中国の真実 橘玲 新潮文庫

2018-05-20 09:37:12 | Weblog
 一読して面白く、ためになった。現代中国の本質を捉えているという点で、反中ものの類書とは一線を画している。まず巻頭のカラーページに「中国10大鬼城観光」とあり、廃墟フアンにお勧めの観光地の写真が目を引く。「鬼城」とはゴーストタウンのことである。だれも住まない巨大な建造物を何の逡巡もなく完成させる中国のパワーに圧倒されるが、ここに中国の抱える問題が集約されているのだ。これは地方政府が経済成長を維持するために公共投資したものが具現化したものだ。住む人がいようといまいとに関わらず建設によってお金が回り、一時的な雇用が生まれる。しかし、この流れが中断すると、バブルがはじけて経済の破綻に向かってしまう。ここがジレンマになっている。この地方政府の暴走を抑えきれない中央政府という図式が鮮明になっており、この国の統治が一筋縄ではいかないということを感じさせる。
 著者は今の中国の問題の最大の要因は、人間が多すぎるという点にあるという。資料を見ると、広東省だけで、一億の人口がある。これは一つの国家としても十分な規模だ。よって全体で13億の人間を治めるというのは、難しいだろうなあということはよくわかる。その中国で人間関係を規定しているのは「グアンシ(関係)」だと著者はいう。家族、親族、友人、これらの関係を重視して人間関係を築いて、これを利用して世の中を渡っていくのが、中国人の流儀で、自分と「無関係」(メイクワンシ)な人間には文字通り「無関心」なのだ。この人間関係の源流は「秘密結社」の「帮」にあると著者は言う。この「帮」は「黒社会」(ヤクザ組織)に通じていて、更に中国共産党にも通じると述べている。確かに中国共産党は一種の利権団体だと思っていたが、これで腑に落ちた。
 「黒社会」と「中国共産党」の共通点は、①伝統的な「政治的帮会」との類似、②主要な組織構成員が破産した農民と失業した流民である点、③平均主義(平等主義)の手段とユートピアの追及、④思想の排他性、⑤政治面での残忍性、⑥行動様式の秘密性、⑦不断の内部闘争の七点を挙げて、それぞれに解説がついているが、ここでは省略。この共産党に対して、地方では宗族の活動が活発になってきており、祖先を祀り、祠堂を建て、族譜を編纂したりして、宗族同士で争ったり、地方政府と衝突したり、黒社会が復活したりしているという。このような秘密結社的人間関係の中で、腐敗を一掃することは困難で、持ちつ持たれつの人間関係が無くなることはない。従って習近平が唱える腐敗撲滅は氷山の一角を潰すだけのパフオーマンス的な意味合いでしかないと言える。その他、目から鱗の指摘が多くあり、お勧めしたい。

1924 ヒトラーが〝ヒトラー〟になった年 ピーター・ロス・レンジ 亜紀書房

2018-05-09 08:34:18 | Weblog
 1924年とはヒトラーがミュンヘン一揆を起こして失敗、逮捕されてランツベルク刑務所に収監された年のこと。ここで彼は『わが闘争』を書き、世界征服の野望を練り上げたという意味をタイトルに込めている。
 第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは支払い不能の多額の賠償金を課された。戦勝国フランスは賠償金支払い義務不履行を理由に、ドイツの工業の心臓部であるルール地方を不法に占拠した。これによってドイツ経済はがたがたになり、ハイパーインフレーションが起こり、国民生活は破綻に追い込まれた。ドイツ国民の怒りは爆発し、ナチスはそれをきっかけにして党員の数を増やしていった。ヒトラーは持ち前の弁舌で、今のようなだらしない議会や政府は不要と訴え、いくつかの愛国団体に呼びかけて「ドイツ闘争同盟」を結成する。その名誉総裁には第一次世界大戦の英雄ルーデンドルフ将軍を引っ張り出し、自身はその最高指揮官となった。本書93ページに将軍とのツーショットの写真が掲載されているがヒトラーの異様なオーラが印象的だ。眼光の鋭さとチョビひげのコンビネーションはどうだ。この時34歳。そして1923年11月の蹶起、まずはミュンヘンのあるバイエルン政府を倒して権力を掌握し、そこからベルリンへの進撃を敢行して天下をとる、その目的でナチス党は突撃隊員二千人で立ちあがった。しかし一時間後にはバイエルン政府の警察隊によって押しつぶされ、ヒトラーは逮捕される。本来なら国家反逆罪で銃殺されるところを、政府は何を恐れたのか、逆に刑務所で優遇するという展開になった。成功か死かという二元論的思考のヒトラーにとってこの展開はますます自信を深める結果となった。「ヒトラーは一揆の首謀者でこの企て全体の魂でした」というハンス・エーハルト州副検事の陳述は逆にヒトラーのカリスマ性を喧伝する結果となった。
 ランツベルク刑務所での一年間はヒトラーに、自分が世界の指導者たりうるという自信を植えつけたという意味でまさに「1924」なのだ。その成果が『わが闘争』で、彼は「残酷な熱狂」を以て執筆作業に取り組んだ。著者曰く、「これは単純な政治のパンフレットや楽しい回想録、よくある党綱領を書いているのではなく、彼なりの聖書、人生全体のイデオロギー的な手引き、新たな世俗宗教の教理問答を書いていたのである。新たな教義は国家社会主義であり、『わが闘争』はその聖典になる」と。そこに生存圏確保や、ユダヤ人撲滅が書かれたのである。人類ははこの聖典によって途方もない厄災を被ることになった。