読書日記

いろいろな本のレビュー

羽生善治論 加藤一二三 角川新書

2013-05-25 09:06:20 | Weblog
 著者の加藤九段は現在72歳。十八歳でA級八段になり、以来50年間A級に在籍した天才棋士である。その天才がこれまた天才の誉れ高い羽生善治九段を論じたものである。本書で話題の羽生九段は、名人戦で森内俊之名人に挑戦中だが、現在1勝3敗で瀬戸際に立たされている。タイトル獲得には3連勝しなければならず、これは至難のわざと言わざるを得ない。名人戦挑戦者リーグでは圧倒的な強さでここ三年挑戦者になったが、過去二回は森内名人に圧倒されている。とりわけ昨年は他の棋戦で絶不調だった森内名人に負け、将棋の難しさを痛感させた。
 加藤氏によると、これは羽生九段の対局数が多すぎて大事な名人戦に焦点を合わせられないからで、その点森内名人は羽生に比べて対局数が少なく調整しやすいと述べている。どの対局にも全力投球で手を抜くことが許されない立場であるから、羽生九段も苦しいだろう。
 本書を読んで、一応羽生九段のことをいろいろ書いているが、結局印象に残るのは、加藤氏自身がどれだけ偉大な棋士であるかという自画自賛である。羽生が対加藤戦で放った名手を、卑しくもプロであれば誰でも思い浮かぶ手である等々。加藤九段の若いころは大山康晴名人の全盛時代で、なかなか勝てなかった。その後中原誠名人の時代になって、また勝てなかった。そういう不運を背負ったが、一度名人戦で中原を破って名人位を獲得できたことは棋暦に花を添える慶事であった。
 その加藤氏は、敬虔なカソリック信者で対局中に讃美歌を口ずさむ。また、空咳を大きな音で傍若無人に連発する。対局中相手の後ろに立って将棋盤を眺めることもする。また対局室でのおやつの食べ方も尋常ではない。沢山食べるのである。食事もすさまじい量を召し上がるようだ。それで今も健康と言うのだからすごい。故米長邦夫九段はそういう加藤氏の立ち居振る舞いが大嫌いで、よく喧嘩をしていた。でも加藤氏は本書で米長九段の将棋を熟慮型の本格派とほめている。感情的にならず冷静な分析をしている。天才と言われる所以であろう。以前、近所の野良猫にえさを与えるので猫が寄ってきてその悪臭に悩まされていると、近所の住人が加藤九段を訴えたというニュースが話題になったこともある。これも宗教者の面目を表したものだろう。猫にエサをやって何がいけないんですかという感じだろう。近所の人にとっては、かなりの難敵になるであろうことは十分予想できる。
 そういう突き抜けた感じは本書に横溢している。

永山則夫 堀川恵子 岩波書店

2013-05-08 13:22:21 | Weblog
 副題は「封印された鑑定記録」。昭和43年(1968)から44年にかけて起こった4人連続射殺事件の犯人永山則夫は、犯行当時19歳。マスコミはこの事件を貧困による殺人事件と総括したが、物取りの殺人では無かったためにその動機が不明であった。永山は1997年に絞首刑に処せられたが、今回永山を精神鑑定した石川義博医師の100時間を超えるカウンセリングテープが発見され、石川氏が著者にテープを託したことからこの本が出版された。この鑑定記録から永山が精神的に追い詰められて自殺するかどうかの瀬戸際で起こされた殺人であることが分かる。石川氏の鑑定は永山本人のみならずその家族の歴史を追うことによって、永山自身の精神形成の履歴が語られるという労作である。博打好きの父とそれに苦労させられる母。聡明な姉と則夫に暴力をふるう兄たち。北海道の網走と青森県を舞台に貧困にさらされた家族の物語が展開され、まるで小説を読むような錯覚に陥る。これは著者の実力を物語るものだが、非常に誠実な筆致で上品な作品に仕上がっている。
 貧困が人間の成長にどれだけ暗い影を落とすのか、いまさらのように感じざるを得ない。社会のセイフティーネットが十分でない、日本がまだまだ貧しかったころの貧困家庭の実相がリアルに再現されて息を飲んだ。人間の存在感が今とは違う。食べ物が無いという飢餓感が人間を原初的な行動に駆り立てる。そこに礼節の入り込む余地はない。まさに裸形の人間が50~60年前は徘徊していたのだ。昨今の優しさ云々の世界ではない。
 何故殺人を犯すのか。その理由は百人百様で、深い闇の中に入って行かざるを得ない。『冷血』(高村薫)の2人の青年も、『冬の旅』(辻原登)の主人公も、本人たち自身がよくわからないままに殺人の罪を犯している。それぞれに心の深い闇に操られていると言えるだろう。さすれば殺してはいけないという倫理感がある場合と無い場合があるのだろうか。人間の心は善と悪にはっきり分かれるのではなくて、それが混在しているのだというのが近代的な考え方であるが、やはり根っからの悪人はいるのではないかという感じも否定できない。