読書日記

いろいろな本のレビュー

恋人  佐藤洋二郎  講談社

2008-06-29 20:57:30 | Weblog

恋人  佐藤洋二郎  講談社


 若い時に知り合った年上の離婚暦のある女性。男は結婚を熱望するが、女は拒否。男は作家志望で、持込原稿を出版社に持ち込むが採用してもらえない。三十年後に女の生地である函館で会いましょうという約束をして、二人は別れる。そして三十年経って男は函館に着き約束の場所に向かう。その途中で回想にふける。果たして女は現れるのか。まるでテレビドラマの脚本のようだ。今までの佐藤の作品に見られた緻密な構成が無いような感じだ。女が結婚を拒否した理由は最後に明かされるが、安物の推理小説のようでいまいち。
 若い頃は年上の女性にあこがれることは大いにありうる。しかも美人で離婚暦のある人ときたら、もうこれはたまらない。森進一にも「年上の女」というのがあるぐらいだから、一つの真理といってもいいのではないか。しかし「年上の女」が魅力的なものとして意識されるのは、悲しい別れがあってのことで、めでたく結婚してしまうとこれまた別の話になる。単調な日常の中でその魅力はだんだんと減殺していくことは確か。トホホ、もっと若い人と結婚すればよかったということになる。時間の経過というのは本当に残酷なものだ。

現代中国学  加地伸行  中公新書

2008-06-28 08:59:37 | Weblog



現代中国学  加地伸行  中公新書 

 本書は11年前に出版されたものだが、昨今の中国の状況を見事に予見しているのはすごい。著者は保守派の重鎮でサンケイ新聞のお抱え学者だが、中国古典に対する深い見識のうえに立っての発言なので、結構説得力がある。
 特に第二章の「儒教を読み込む」はおもしろかった。日本の仏教は儒教を取り入れているということを様々の例を挙げて解説されている。その中での家族主義が強固で西洋流の個人主義はなかなか根付かないという指摘は目から鱗であった。
 アメリカがいくら人権人権と言って中国を非難してもムダなのだ。かの国はいくら共産主義を掲げようが、強固な家族主義に支えられている以上、地縁・血縁の宗族組織の価値観によって行動せざるをえないという側面がある。したがって、そこのところを心得て外交を展開しなければならない。
 まあそれにしても、漢籍に親しんだことの無い政治家が、いくらあれこれ言っても、実のある中国外交は出来ないのではないか。政界に教養人が少ないのは痛い。



漢字を楽しむ  阿辻哲次  講談社現代新書

2008-06-27 22:36:37 | Weblog


漢字を楽しむ  阿辻哲次  講談社現代新書
 

 漢字の話題はネタ切れになることがないのか、著者はどんどん本を出している。故白川 静氏は一般向けの本は50歳近くまで出さなかった。氏の場合は甲骨文字、金文の研究に従事されていたので専門性が強すぎて、新書タイプの本には馴染まなかったということだ。それに比べると本書は身近な話題で結構楽しませてもらえる。
 第二章の漢字の「書き取り」を考えるが面白い。小学校では漢字の書き取りが厳密に行われていることがわかった。ハネるかハネないかが重大事らしい。これが本当なら、子供は息が詰まるだろう。漢字の歴史を考えたら、著者の言うようにそんなものはどうだっていいのである。ついでにいうと、書き順もどうだっていいと思っているが、どうだろうか。

ユダヤ人 最後の楽園 大澤武男  講談社現代新書

2008-06-27 05:40:31 | Weblog



ユダヤ人 最後の楽園 大澤武男  講談社現代新書


 第一次世界大戦後の窮状にあえぐドイツに成立したワイマール共和国、不安定な社会状況下で「共生」の理想を掲げて苦闘したユダヤ人の姿を活写したもの。革命家ローザ・ルクセンブルク、憲法を起草したプロイス、外務大臣ローテナウ、法務大臣ランズベルク、カフカやフロイト、そしてアインシュタインを始めとする数多のノーベル賞受賞者がワイマール共和国で活躍していたが、ヒトラーによる反ユダヤ主義の台頭によって活躍の場を奪われる結果となった。社会不安による民衆の心のすきを衝いて政権を取ったヒトラーに対して、ユダヤ人たちは最初はそれほど警戒心を持たなかったが、次第にその狂気に心胆を寒からしめられることになる。
 ドイツ人の理性はヒトラーごときをのさばらせることはないという楽観主義は厳しい現実の前に砕け散ったのである。世界文明の進歩に多大の貢献をして「学問の世紀」を生んだドイツ人とドイツ・ユダヤ人の英知、先見の明が非理性的、非合理的で空虚な言説によって曇らされて行く過程に歴史の教訓を見出すべきである。第一次世界大戦の敗北とロシア共産主義の脅威、そして国民生活の苦境のなかで、しだいに無秩序と暴力の国、良識を失った国に転落してゆくさまは見るに忍びない。こういうときに独裁者が現れるものなのだ。
 一部の狂気が6千万人のドイツ国民を支配するとは誰が予想しえたであろうか。良識の目を曇らされることの無いように個人的には研鑽を積みたいとは思うが、如何せん大衆の力は個人を飲み込んでしまう。テレビしか見ない連中を洗脳することはたやすい。その大衆を意のままにあやつろうとするニュースキャスターはさしずめミニ独裁者のようだ。つまらないコメントをしたり顔で吹き込むあの連中をまずなんとかしてほしい。見識、良識のかけらもなく、空疎な言葉のみが響く。こういう輩が政治勢力と結びつくと厄介だ。ノーコメント、これが正解である。






嘘発見器よ永遠なれ  ケン・オールダー  早川書房

2008-06-22 14:40:36 | Weblog


嘘発見器よ永遠なれ  ケン・オールダー  早川書房

 嘘発見器は1920年代にジョン・ラーソンというカリフオルニア州バークレーの博士号を持つ警官によって発明され、ラーソンの機会に夢中ななったレナード・キーラーによって普及していった。人間の感情を機械で読み取るという発想はアメリカ独特のものだと著者は指摘している。人種の坩堝といわれるアメリカでは、何が真実かということに関して客観的な判定方法が要請されていたのだ。そこにはロサンジェルス市警察の腐敗も一因になっていた。人間を基本的に信用しない風土があったのだ。
 東西冷戦のころは共産主義に対する恐怖から、兵士の思想調査、スパイの摘発に使用された。さらに同性愛者の摘発にも使用された。これは国のモラルの確認という大義名分から実施されたらしい。現在、嘘発見器による結果は裁判の証拠にはなっていない。これは質問の仕方でいかようにも操作できる危険性をはらんでいるからだ。証人が真実を語りますと宣誓する国が、一方で機械で人間の内面を探ろうという矛盾した行為を平然とやるというのが面白い。

ニーチェ (ツアラトウストラの謎) 村井則夫 中公新書

2008-06-22 14:07:57 | Weblog


ニーチェ (ツアラトウストラの謎) 村井則夫 中公新書
 ニーチェの「ツアラトウストラはかく語りき」の内容を解説したものだ。「永劫回帰」の思想を書き記したものと言われているが、原典の翻訳とこの解説を読んでも理解不可能だ。大体ドイツやフランスの哲学書の翻訳はどこまで正しいのか分からない。中には日本語になっていないものが多い。原典が難解な上に翻訳がむちゃくやだから理解しようがないわけだ。これでは本が売れるはずは無い。
 ツアラトウストラの名は拝火教の宗祖ゾロアスターから来ている。ゾロアスターの多面的な人間性をモデルにしているらしい。また「超人」「力への意思」など有名な言葉の出典になっている。この原典を極力分かりやすく解説しようとされる熱意は充分伝わってくる。しかし難解だ。仕方が無いので、リヒャルト・シュトラウスの「ツアラトウストラはかく語りき」(カラヤン指揮 ベルリンフイル ドイツグラモフオン)を聴いた。こちらの方がよくわかった。音楽の偉大さを再認識した。音楽は世界の共通語だ。

鉄人ルー・テーズ自伝  流 智美訳  講談社アルフア文庫

2008-06-16 19:40:38 | Weblog


鉄人ルー・テーズ自伝  流 智美訳  講談社アルフア文庫

 史上最強、最高のプロレスラー、ルーテーズの自伝である。これを読むとプロレスの歴史が一望のもとに俯瞰され、満載の秘蔵写真とともに、一流の格闘家の人生を追体験できた。日本では、1950年代後半からプロレスブームが起こったが、その主役は力道山だった。ちょうどテレビ放送が始まったのと同時期で、日本中を興奮の渦に巻き込んだ。彼の試合に興奮した老人が死ぬという事例も多々あった。空手チョップの威力はまさに敵なしの状態だった。力道山は大相撲出身で、レスリングの正統派のルーテーズとはルーツが違う。従って組み技になると絶対ルーが有利だ。実際テレビで両者の対戦を見たが、格が違うという印象を受けた。
 1950年後半から60年にかけてプロレスと大相撲は庶民の楽しみだった。みんなテレビの前に釘づけ状態で、大興奮。皆貧しかったが楽しい時代だった。今の物騒な世相を見るにつけ、豊かさの影の部分も甘受せざるを得ないとは、少し悲しい気がする。長生きすると、見たくないものも見なければいけなくなるのが、辛いところだ。

投資信託主義  藤沢久美  角川新書

2008-06-13 20:40:40 | Weblog


投資信託主義  藤沢久美  角川新書
 手間をかけない資産運用方法と人生を見据えた投資の法則という宣伝文句に釣られて買ったが、やはり金儲けは面倒くさくいからやめた。著者によると、日本人がこれまで資産運用をしてこなかったのは、しなくてよかった、する必要性が低かったからだという。日本の社会保障制度は、国や企業が運用のすべてを肩代わりする、素晴らしい社会主義システムだった。ファンドに言い換えれば、国がファンドマネージャーでみんなから預かったお金を国が運用し、社会福祉制度という形で還元してきたとも。しかし、これが景気後退と人口減少、グローバリズム化の流れの中で壊れてしまった。いわば55年体制の崩壊だ。社会主義が敗れて、個人主義の嵐が吹き荒れたということか。
 日本人は江戸時代から武士的美意識に慣れて来たせいで、お金儲けをいやしむ傾向がある。お金を運用して利殖にはしるのを嫌う。地位とかお金に対するこだわりを表面的には見せない気風がある。これが中国人とは違うところだ。でも最近の公務員に対する攻撃は、否応なしに老後の生活をどうするかを思案させる。いままでのほほんとやりすぎたという反省はある。給料10%、退職金5%カットおいおい本気かよ。でもお金を増やすなんてめんどくさい。お金は使うものだ。

変貌する民主主義  森 政稔  ちくま新書

2008-06-12 21:59:57 | Weblog


変貌する民主主義  森 政稔  ちくま新書

 民主主義は、新しい社会の希望であり、理想の政体と言われたが、今やその価値も色褪せつつある。民主主義はその長い歴史において、多数者による支配によって特徴付けられてきた。19世紀になると民主主義は次第に支持を拡大していくが、このとき多数者の支配を警戒するフランスのトクヴイルやイギリスのJ・Sミルは「多数者の暴政」という概念を用いて民主主義の現実を批判した。これは「世論」の出現と関係が深いと著者は言う。世論は民主主義には欠かせないものではあるが、この非人称的な存在が権力の座を占めることの問題性を彼等はいち早く指摘していたのだ。
 真理は少数者によって把握されることがあり、多数の意見が正しいという保証は無い。最近の日本の状況を見るとこの事を実感する。「民度の低い国民・に媚びる水準の低いマスメディア・に媚びる理念なき政治家・のテレポリティックスに踊らされる国民の民度低下の悪循環を断て」(社会学者 宮台真司氏の説を引く6月12日の朝日新聞夕刊「観流」より)の言のように、知識人の危機感は強い。一介のお笑い系弁護士が知事になれる状況はどう見てもおかしい。多数者の横暴だ。
 本書は民主主義と自由主義、ナショナリズム、ポピュリズムと民主主義という風にこれらのことばの定義をきちんと解説してくれている。特に公的サービスが社会に広く拡散し、多くが営利企業の原則によって営まれることによって、民主的コントロールが及びにくくなることは、民主主義の赤字の問題として深刻化しているという指摘を、J・R西日本の事故を例に挙げて述べているところは、説得力がある。このままの状態で衆愚化が進行すれば、民主主義は危機に直面することは確かだ。

ポル・ポト  

2008-06-08 15:19:40 | Weblog

ポル・ポト  フィリップ・ショート  白水社

 本文と注で880ページを超える大著で、読了まで2週間かかった。ポル・ポトは別名サロト・サル。その他、ポル、ブーク、ハイ、大叔父、長兄、「87」、ペン、「99」等の名を持つ。怪人二十面相みたいな奴だ。カンボジアがフランスの保護国であったとき、パリに留学してマルクス・レーニン主義に触れ、これが後のカンプチア共産党の結成の伏線なった。極貧農業弱小国を独立国家として作り上げること、それは純粋な農民をベースにして、清く誠実な社会を作ることであった。ポル・ポトによれば都市は堕落するもので、都市住民は汚れた存在で浄化すべきものらしい。農民を主体にして革命を行ったのは毛沢東だが、彼は毛を尊敬しており、文化大革命についても惜しみない賞賛を与えている。毛の知識人の農村への下放政策は確実にポルポトに受け継がれている。プノンペンを廃墟にして市民を農村に移住させたのはまさに毛の影響だ。それにしても、一部の幹部がこれだけの国民(150万人)を虐殺したのはなぜか。本書はクメール・ルージュの蛮行は指導者の無知・無教養と人々の怠惰な国民性が重なったためと分析するが、これに関しては異論があるようだ。(巻末の訳者あとがき参照)
 この社会主義革命は私有財産の没収、貨幣廃止、完全平等を実行しつつ企てられたが、如何せんそれを実務的に遂行する人材がいなかった。実用的技能を持たない無能な人々による社会革命イデオロギーが、どんな人々にもある悪しきナショナリズムの極致である民族浄化運動のようなものに結びついた代物だ。文明社会から取り残されたような農民が都市のインテリを弾圧するという構図で、革命は実行された。いわば奴隷社会の実現だ。著者は言う、「物質的・精神的私有財産」の破壊は、革命の衣をまとった仏教的な超越だった。人格破壊とは非実在の達成だったと。ポル・ポトがこの世に上座部仏教の理想郷を実現させようとしたのか否かはまだまだ論証が必要だが、意見としては面白い。しかし大量虐殺というのは思わぬところで起きる。そのメカニズムを理論的に検証できたらと思う。