読書日記

いろいろな本のレビュー

アメリカン・コミュニティ  

2008-03-26 09:54:10 | Weblog
 

アメリカン・コミュニティ  渡辺 靖  新潮社
本書は「アフター・アメリカ」に続くアメリカの現地調査報告である。前著はボストンに長期滞在し、市内の上層階級と下層階級の比較を通してアメリカの現状を分析するという趣向だった。今回は原理主義、超高級住宅街、巨大教会など九つのコミュニティの今日的状況を探りながら、アメリカ現代社会を読み解くというものだ。短期取材のミニレポートという感じで前著ほどの重厚さはないが、大変読みやすい。どちらかというと終章のまとめの部分が著者の力量が発揮されて読み応えがある。
 それにしてもアメリカの懐の深さには驚きを禁じえない。宗教原理主義を実践する集団が地域の中で受け入れられて共存しているのを見ると、日本ではこうはいかないよなあというのが素朴な感想。筆者は「いろんな選択肢が社会の中に担保されていて、それを認め受け入れる地元地域やアメリカ社会に敬意を抱く」と述べている。社会の中にさまざまなカウンター・ディスコース(対抗言説)を擁していて、それぞれがせめぎ合いながら、永遠に革命を続ける自由が保証される社会はかなり手ごわい。
 中国とは「自由」という視点で対極にある社会だと言えよう。(どちらも帝国という色彩が濃いが) しかしアメリカの自由を許容する態度が他国との外交で発揮されていないのが今最大の問題ではないかと思われる。世界の各国がそれぞれの価値観によって進みながら、かつ共存できる状況を作るためにアメリカは努力すべきだ。


民主党の研究 

2008-03-20 14:29:00 | Weblog


民主党の研究  塩田 潮  平凡社新書
 本書は「論座」「アエラ」「文藝春秋」「プレジデント」等の雑誌に91年以降、発表してきたレポートを加筆・修正したもので、民主党の軌跡と現状を解明し、今後を占ったもの。現在、日銀総裁人事が民主党の反対によって決まらず、福井総裁の後任が空席のままになることが確実である。民主党のスジ論は一理あるが、世界の中の日本の現状を踏まえて考える視点が欠落しているのも確かだ。反対のための反対では国益を害するばかりだ。この一件を見ても民主党のアイデンティティの希薄さと成熟度の無さが感得できる。
 本書で一番面白かったのは民主党の幹部の「鳩山由紀夫」「菅 直人」「小沢一郎」の 略歴を述べた部分で、それぞれのバックボーンがよくわかった。記者会見、討論会で見せる個性の違いが、この党の「寄り合い所帯」的性格を端的に物語っている。旧社会党から自民党まで幅広いグループが一つの党を名乗っているわけだから、これをまとめていくのは容易ではない。小沢一郎は経験もあり、知名度も高いが、自民党との大連立構想を勝手に自民党の福田総裁と密談するなど、自分勝手な行動が多すぎて党首失格という烙印を押された。その後、「一から出直します」と再出発したが、どこまで信じていいかわからないという国民が多いはずだ。個人的に言うと岡田克也がさらに経験を積んで力量をつければ、民主党も戦う集団になる可能性はあると思う。










韓国サーカスの生活誌 

2008-03-20 12:16:53 | Weblog
 

韓国サーカスの生活誌 林 史樹  風響社
 サーカスといえば昭和30年代を思い出す。娯楽の無い当時にあってサーカスはその中心的な役割を果たしていた。サーカスは移動するのが宿命であるがゆえに「哀愁」を帯びて語られるが、反面子供にとって悪いことをしたときなど「サーカスに売られるぞ」と脅されることもあり、この移動芸能集団が差別的な目で見られていたことがわかる。それは定住民から見て、移動民は異界の住人であり、一種の畏敬の念が差別感に転化したものと考えられる。
 韓国のサーカスは植民地時代の日本のサーカスを受け継いだもので、アシバ(足場)アミ(網)、イチリン(一輪車)などの日本語がたくさん使われている。韓国は両班の伝統を持つ国で、芸能人に対する差別が強い。1993年に公開されたイム・グオンテク監督の映画「西便制(風の丘を越えて)」はパンソリの旅芸人の放浪の旅を描いた秀作だが、民衆に差別される姿が描かれていた。サーカスに対する偏見も同様で、それが団員の劣等感に繋がっているようだ。団員は義務教育を受けていないものが多く、それが差別の再生産を助長している。日本ではサーカスの団員の子供は短期でも学校へ行って教育を受けるシステムになっているが、韓国ではそうではないようだ。また韓国では中学校中退の場合は兵役義務を免除される。したがってサーカスの団員は徴兵されないのだ。逆に言えば学歴の無い者は兵士にもなれないということになる。学歴社会韓国の面目躍如たるものがある。サーカスで生まれ育った者は言ってみればサーカスでしか生きて行けないのだ。
 韓国のサーカス団では年齢を基準とした規律と男女をはじめとした役割分担によって集団の秩序を守っている。この部分の報告・分析がハイライトである。一般社会ではご法度の暴力の行使も日常的に存在する。このように本書は移動芸能集団の実相を外部社会との関係、内部の人間関係や内部統制や序列にスポットを当てて描き出し、差別感情の淵源に迫る場合の示唆を与えてくれる力作である。



白暗淵(しろわだ)  

2008-03-17 21:46:05 | Weblog
 

白暗淵(しろわだ)  古井由吉  講談社
「群像」連載の十二の短編を集めたもの。前作「野川」と同様、古井の晩年の到達点を堪能できる。印象批評風に言えば、ベートーベンの後期ピアノソナタを聞いている感じ。晩年から振り返る過去。死を意識した人間の研ぎ澄まされた感覚を言葉によって描き出そうとする。作品を通じて感得されるのは、62年前の東京大空襲の体験が核になっているということだ。意識と無意識、生と死のあわいでさまよう人間が次々登場する。それぞれが時間の流れの中で浮かんでは消えてゆく。
 小説の基本であるドラマ性が敢えて水面下に放擲されているがゆえに、一切の解釈を拒絶する。そこに美があるのだ。小林秀雄が言った歴史の美の議論に通じるものがあると思う。高校の現代文の授業では扱えない気がする。だって解釈できないのだから。よってこの作品は、文学を教えることの限界をはっきり指摘したものと言えるだろう。

「うるさい日本」を哲学する  

2008-03-16 23:29:23 | Weblog


「うるさい日本」を哲学する  中島義道 加賀野井秀一 講談社
 中島氏の旧作「うるさい日本の私」は共感する点が多かった。電車・バスの車内放送、商店街の音楽、デパートの館内放送等々、気になりだすと本当に腹が立つものが多い。氏の偉いところはいちいち責任者を呼んで抗議するところだ。電通大の哲学の教授が真顔で「放送がうるさいからやめなさい」とあちこちで言いまわっている姿は感動的だ。我々日本人はなるべく波風を立てないように知らんふりをして通り過ぎるのに、本当に偉いと思う。本書は同じく騒音にうるさい哲学者の加賀野井氏となぜ日本はこんなにうるさいのか、その理由を往復書簡で考えたものである。
 私の個人的経験だが、日本ほどバカ丁寧に案内の放送(テープを流していることが多い)を入れる国は無いのではないか。台湾など、ほとんどそういうことは無く本当に静かだ。以前、中正国際空港から台北市内まで空港バスを利用したが、車内の案内放送はなく、客は自分で景色を見て「次降ります」と運転手に告げて降りていた。なんといい加減なと思われるかも知れないが、私は全然苦にならない。それでいいと思う。中国でも韓国でも同様だ。
 本書ではテープの音が至る所で流される原因を日本人のこまやかな気遣いにあるとするが、さらにその奥には言霊思想があると指摘している。すなわち他人から自分に向かって発せられるナマの声が恐ろしいので、テープによって衝撃を緩和しているというのだ。また見て見ぬふりをする我々のメンタリティーにも言及している。だからテープの放送も聞いてるようで実際は聞いていないのだ。その他あれこれ意見を述べ合っているが、決定的にこれだというのは無かった。よって少し期待はずれだった。
 最近は顧客からのクレーム対策ということもあって無意味でくどい放送がますます増えつつある。「そんなの聞いてなかった。どうしてくれるのよ」、この手のクレームにまともに相手をするからつけ上がってくるのだ。毅然とした態度で次のように言おう「ぼーとしてるお前が悪いんじゃ。このぼけー」




 



昭和天皇  

2008-03-12 10:10:29 | Weblog
 

昭和天皇  原 武史  岩波新書
昭和天皇が新嘗祭、神武天皇祭など頻繁に行われる宮中祭祀に熱心に出席し、「神」への祈りを重ねたということを本書で初めて知った。祭祀は宮中三殿(神殿、賢所、皇霊殿)と付属施設で行われる。ここは天皇家にとっての「聖なる空間」である。宮中祭祀の中でも11月23日勤労感謝の日の新嘗祭は、天皇即位に際してのみ行われる大嘗祭とともに重要な祭祀とされている。皇居内で天皇自身が植え、刈り取った初穂をはじめ、全国の篤農家から献納された米や粟でつくられた飯や粥、白酒や黒酒が皇祖神天照大御神に供えられる。その儀式を天皇自身がとり行うのだ。まさに秘儀という感じ。大都会東京の中の聖域(サンクチュアリー)だ。
 太平洋戦争末期の天皇と母の貞明皇太后の確執も初めて聞く話だ。「かちいくさ」を祈る皇太后は、戦況の悪化に反比例するかのように、神がかりの傾向を強めつつあった。その母に遠慮して戦争終結をためらったというのだ。その中で、近衛文麿や弟の高松宮ら宮中グループの戦争継続批判を受け(二人とも戦争終結論者だった)、終戦終結工作にようやく着手する意思表示を行った。その間、沖縄戦で多くの犠牲者が出ている。それを思うと、天皇の戦争責任は免れ難いのではないか。
 この戦争責任問題について1975年10月、米国から帰国直後の記者会見で「陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」と質問された天皇は、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」と答えた。この記者会見はテレビ中継され、私はたまたま見て、変わったコメントだなあという印象を持った。筆者は「この発言の背景には、自らの戦争責任を認めてしまえば高松の宮の言い分(開戦から一貫して戦争に反対したかのような言い分)を認めることにつながるという思いもあったかもしれない。けれども、天皇が責任を痛感していたのは第一に皇祖皇宗に対してであり、国民に対する責任観念を意味するはずの《戦争責任》という言葉には、にわかに反応できなかったのではないか」と述べている。兄弟同士の確執がこういう場面にも出ているという指摘は興味深い。
 昭和天皇は、皇太子時代の1921年3月から半年間ヨーロッパ 訪問に出た。そこでイギリスの皇室制度に触れ、帰国後皇室改革に着手した。それは女官制度の改革で、住み込みを廃止して日勤に改め、側室制度も廃止した。その結果、現在皇位継承者たる男子の誕生がないということは大いなる皮肉である。昨今、皇室を取り巻く様々の問題が報道されているが、これも近代化の宿命といえる。天皇家のアイデンティティをいかに保つか。これはなかなか難しい問題だ。今となっては三島由紀夫が「などて、すめらみことはかく人となりたまひし」と昭和天皇の人間宣言に絶望した意味もそれなりに理解できる。 








テレビ霊能者を斬る 

2008-03-09 23:41:13 | Weblog

テレビ霊能者を斬る  小池靖  ソフトバンク新書

 テレビ霊能者とは筆者によると、日本のテレビ番組で、霊視、霊能や死者からのメッセージを受け取る能力があることを主張し、かつ一定程度の人気を博している人物のことらしい。本書では江原啓之と細木数子を大きく取り上げている。江原の番組を仔細に見たわけではないが、霊能者という印象は希薄でどちらかというとカウンセラーという感じがする。宜保愛子の持っていたおどろおどろしさはない。細木の番組は以前からよく見ているがただの強欲なババアにしかみえない。やたら偉そうな物言いで、先祖供養の大切さを説いているのが印象的。出演者が先生先生とやたら持ち上げているのも前から気に入らなかった。一体何様だお前はと言いたくなる。実際本書の参考文献に挙げられている「細木数子 魔女の履歴書」(溝口 敦 講談社 2006)を読むと霊能者とは程遠い素顔が暴露されている。先祖供養を説いたのも墓石屋と組んで墓石を高値で売りつける魂胆だったことが書かれている。それ見たことか。テレビ局の責任者出て来いと言いたくなる。
 今「スピリチュアル」という言葉をよく耳にするが、これは共同体によらない個人の霊的探求のことだ。筆者は「高尚な議論の文脈ではあまり相手にされないようなテレビ霊能者の現象。それこそが私達の等身大のスピリチュアルであり、真偽性をめぐる批判が多いことも含めて間違いなく現代的な宗教現象の一端なのである」と述べている。宗教なき時代の宗教ということか。以前取り上げた「国家・個人・宗教 近現代日本の精神」では精神的バックボーンとして「公民宗教」の必要性が説かれていたが、非正統的なサブカルチャーの位置にあったスピリチュアルがその位置を占めるようになった。テレビ霊能者はそれに一役買ったといえる。
 鎌倉時代に新仏教がたくさん生まれ、天台・真言など既存の宗派の存在を脅かしたが、これからはマスメディアに乗ってスピリチュアルが宗教現象となっていくのだろうか。その時にはまた新しい霊能者が出現するのだろう。まあとにかく、細木数子がテレビから消えるのは間違いない。




 


中国の闇 (マフィア化する政治 ) 

2008-03-06 21:25:50 | Weblog


中国の闇 (マフィア化する政治 )  何清漣  扶桑社 

権力は腐敗する。それが独裁政権であれば尚更だ。「中国問題の内幕」で中国共産党の腐敗に少し触れたが、本書は腐敗官僚が「黒社会(中国マフィア)」とつるんで国家財政を食いつぶしている状況を告発したものだ。筆者は中国の女性ジャーナリスト。98年に「中国現代化の落とし穴」で中国社会の構造的病弊と腐敗の構造を衝き、知識人層から圧倒的な支持を得たが、共産党政権下の政治的タブーに踏み込んだために圧力を受け、2001年にアメリカに亡命した。その後「中国の嘘」で言論統制の恐るべき実態を描いた。言うまでも無いことだが、中国には言論の自由が無い。案外この事を忘れている人が多い。今回の毒ギョーザ事件でも中国側の対応がはなはだ不誠実なのは、真相をはっきりさせるというより、国の体面を守ることに主眼が置かれ、不都合な真実を隠蔽しているからだ。同じ土俵に載っていないので今回のような事件はなかなか解決しないだろう。
 レントシーキングという言葉がある。これは権力を利用した超過剰利潤の追求の意である。中国においては汚職や腐敗を撃つキーワードとして多用されている。インドやトルコのレント額(汚職総額)はそれぞれGDPの7,3%と15%だが、中国は対GDP比の30%にのぼる。GDPの三分の一が腐敗官僚の懐に入っているという信じ難い実態は中国の腐敗現象の本質とその根深さを物語っている。まさに発展途上国以下の暗黒の大陸という感じだ。
 都市や農村の土地が地方政府の役人たちによって地上げされ、反抗する市民・農民を役人とつるんだヤクザや公安警察が暴力で鎮圧する。総人口の83%前後を占める社会の底辺層が略奪され虐げられている。正義はどこに消えたのか。
 中国における道義なき社会構造は政治体制改革の拒否と公正さと道義を拒否した経済改革が作りだしたものだ。社会の底辺層を食い物にする社会はもはや共産主義を名乗る資格は無い。最近中国では「論語」が読まれているらしい。仁義なき社会に仁義を取り戻そうということなのか。しかし、孔子のいう「仁政」は「賢人による治国」に基づいた「人治」を特徴としている。法律なき人治主義は現代の中国そのものだから、「論語」を読めば読むほど人治主義をはびこらせるという矛盾に陥るのではないか。オリンピックによって真の近代化ができるのか。これからの課題である。









ジャズマンがコッソリ愛するJAZZ隠れ名盤100 

2008-03-05 23:43:31 | Weblog


ジャズマンがコッソリ愛するJAZZ隠れ名盤100 小川隆夫 河出書房新社

 本書は「スイングジャーナル」誌連載の「アイ・ラヴ・ジャズ・テスト」を編集したものの第三弾で、ミュージシャンをゲストに招いて「ブラインドフオールドテスト」で演奏者を当てるものである。「スイングジャーナル」は日本で唯一のジャズ雑誌で、私も1972年から愛読している。学生時代はこれのレコード評を読んでから購入した。ジャズLPは当時2000~2500円で、今と変わらず高価だった。そこでジャズ喫茶へ行って350円のコーヒー一杯で3時間ぐらいねばった。そして、輸入版の新譜をリクエストして楽しんだものだった。70~80年代はジャズ評論家が大勢健筆を振るっていたが、中でも粟村政昭氏のものは非常に優れていて人気が高かった。彼は本誌の著者小川氏と同じお医者さんで、趣味であれだけ評論できるなんてと感心したものだった。その他、油井正一、岩浪洋三、大和明氏などの面々の名前が浮かぶ。懐かしい。
 ミュージシャンがミュージシャンの演奏をコメントする場合素直に意見を言う場合とそうでない場合がある。ライバル心が旺盛な場合は正直なコメントを引き出すのは難しいものだが、小川氏は上手くやっている。ニューヨークに留学経験があり、懇意なミュージシャンが多く、英語に堪能だからだろう。
 挙げられている100枚のうち30枚は自分のコレクションにあるが、まだまだ本格的なコレクターにはほど遠い。手元不如意で、CDばかり買っていられないのが現状だ。しかし、いつかニューヨークのビレッジバンガードなどのジャズクラブに行ってみたいという夢は捨てていない。ジャズは本当に素晴らしい。



「中国問題」の内幕  

2008-03-03 21:11:17 | Weblog


「中国問題」の内幕  清水美和  ちくま新書 
本書は胡錦濤と江沢民前総書記率いる上海グループとの主導権争いなど普通の新聞・雑誌では書かれることの無い、まさに中国共産党の内幕を白日のもとに晒したものだ。清水氏は共産党政治局員の友人がいるのではと思うくらいだ。
 いま中国は経済格差、環境問題、拝金主義、民族問題等々深刻な問題を抱えている。これは共産党そのものが腐敗と貧富の差を生み出す元凶になっていることに起因すると言っても過言ではない。一党独裁の限界が露呈したものだ。都市の党幹部から地方の幹部に至るまで国家の資産を食い物にして恥じない体質はこの国を破滅に導く可能性があることを筆者は危惧する。
 共産党内部の権力闘争はいまに始まったことではないが、それにしても12億の人民を7人の政治局党務委員が支配する中でドラスチックに展開される権謀術数。中国が中国たる所以である。
 胡錦濤は農民出身で清華大学の共産主義青年団出身のたたき上げである。彼はこの共青団系の人脈を権力中枢に作りたい意向だが、これに対抗するのが太子党と言われる中華人民共和国建国に功績のあった革命家の子弟たちである。そして、もう一つは斜陽だが、江沢民前総書記ら経済的富裕層を味方につけた上海グループである。この三つ巴の戦いがしばらく続く。
 よって対日本の外交も日本と直接向き合った形で行われるのではなく、内部のせめぎあいの結果に左右されることになる。これが中国外交の難しいところだ。豊富な情報と適切な判断が要求される。日本のインテリジェンス能力が問われるのだ。