著者は文化人類学者でアフリカ研究が専門の立命館大学教授、本書により2020年度・河合隼雄賞・大宅壮一ノンフイクション省を受賞した。氏はもともと東アフリカのタンザニアで、マチンガと呼ばれる零細商人の商習慣や商実践についてここ18年研究を続けており、今回の受賞に繋がった、気鋭の学者である。タンザニア研究の流れで、香港と中国本土に様々な商品を仕入れに渡航するアフリカ系商人たちの交易活動の考察のため、在外研究で訪れた香港中文大学での活動をまとめたものだ。
氏は安宿のチョンキン(重慶)マンションに住んで、そこでタンザニア人の中古車ディーラーのカマラ氏と出会う。スワヒリ語ができることで、カマラ氏の信頼を得て、彼の仲間のタンザニア人の商人たちの動向を取材することになった。文字通り体を張ったフイールドワークで、誰でもできるというものではない。カマラ氏は自称「チョンキンマンション」のボスで、アフリカから商売にやってきた同胞の世話役をやっている。その実態は、香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系顧客のやり方や手口に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料やマージンをかすめ取る仕事である。すなわち「信用の欠如」によって彼らの仕事が成り立っているので、両者を直接的に出会わせることなく(アフリカ系顧客を香港に渡航させずに)両方から仲介を依頼されることが重要となる。そして彼らブローカーの間では、「客筋の不侵犯」が重視されているが、それ以外の事柄ーー商売のやり方や業者との取引ーーは誰にでも開かれており、商品は早い者勝ちであった。
カマラ氏たちは顧客にネットワークを通じて情報を流す一方で、日々の情報交換や組合活動のためにSNSにグループページを構築し情報提供を呼びかけている。その中で彼らは組合員の資格や他者への支援に関わる細かなルールを明確化せず、メンバー間の貢献の不均衡や互酬や信頼がそれほど問題にならない。その背景に「ついで」の論理があると著者は言う。例えば、案内して欲しい場所が目的地への通り道なら連れて行くし、ベッドがあいていたら泊めてあげる。知っていることなら親切に教えるし、ついでにできることなら、気楽に引き受けてくれる。国境を越えた遺体搬送のプロジェクトも「ついで」の論理を基盤とした連携プレーで成し遂げられる。このように誰もがついでに便乗してやっているという態度を表明しているので、この助け合いでは、助けられた側に過度な負い目が発生しない。親切に即時的な返礼がなくても気にしないようにすることが目指されているという風に。
ここには文化人類額の重要なテーマである「贈与」と「返礼」の問題が提示されている。アフリカの狩猟採集民であるブッシュマンやピグミーの社会では狩りの獲物は当然のごとく全員で分配され、獲物を捕った者が偉そうな顔で、分けてやるという態度を示すことはない。逆に獲物が少ない等々の苦情が寄せられるくらいだ。これは部族内の権力の発生を阻止するためである。獲物を分けてもらって当然という顔をすれば、現代社会では礼儀知らずという非難を浴びるが、逆に言うと、生きるための素晴らしい知恵でもある。
著者は中国の最近の信用システムの実践を例に挙げて、個人の信用度を点数化して人間を序列化することへの危惧を述べている。曰く、評価経済、評判資本、信用スコア、これらすべては、信用の不履行を防ぐことではなく、信用の不履行を引き起こしそうな人間を排除するアイデアである。シェアリング経済は「シェア」という言葉に覆い隠されがちだが、誰にでも開かれている仕組みでもないと。その点、カマラ氏立ち上げたSNS機構(TRUSおユーザーは広義の「友人」である。ここでは評価を数値化することはない。生身の人間を見て商売をやるのだ。このタンザニア人たちの商売の仕方は、今後の一つの道筋を示したものとして期待できる。これをレポートした著者の力量も大いに評価すべきだ。
氏は安宿のチョンキン(重慶)マンションに住んで、そこでタンザニア人の中古車ディーラーのカマラ氏と出会う。スワヒリ語ができることで、カマラ氏の信頼を得て、彼の仲間のタンザニア人の商人たちの動向を取材することになった。文字通り体を張ったフイールドワークで、誰でもできるというものではない。カマラ氏は自称「チョンキンマンション」のボスで、アフリカから商売にやってきた同胞の世話役をやっている。その実態は、香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系顧客のやり方や手口に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料やマージンをかすめ取る仕事である。すなわち「信用の欠如」によって彼らの仕事が成り立っているので、両者を直接的に出会わせることなく(アフリカ系顧客を香港に渡航させずに)両方から仲介を依頼されることが重要となる。そして彼らブローカーの間では、「客筋の不侵犯」が重視されているが、それ以外の事柄ーー商売のやり方や業者との取引ーーは誰にでも開かれており、商品は早い者勝ちであった。
カマラ氏たちは顧客にネットワークを通じて情報を流す一方で、日々の情報交換や組合活動のためにSNSにグループページを構築し情報提供を呼びかけている。その中で彼らは組合員の資格や他者への支援に関わる細かなルールを明確化せず、メンバー間の貢献の不均衡や互酬や信頼がそれほど問題にならない。その背景に「ついで」の論理があると著者は言う。例えば、案内して欲しい場所が目的地への通り道なら連れて行くし、ベッドがあいていたら泊めてあげる。知っていることなら親切に教えるし、ついでにできることなら、気楽に引き受けてくれる。国境を越えた遺体搬送のプロジェクトも「ついで」の論理を基盤とした連携プレーで成し遂げられる。このように誰もがついでに便乗してやっているという態度を表明しているので、この助け合いでは、助けられた側に過度な負い目が発生しない。親切に即時的な返礼がなくても気にしないようにすることが目指されているという風に。
ここには文化人類額の重要なテーマである「贈与」と「返礼」の問題が提示されている。アフリカの狩猟採集民であるブッシュマンやピグミーの社会では狩りの獲物は当然のごとく全員で分配され、獲物を捕った者が偉そうな顔で、分けてやるという態度を示すことはない。逆に獲物が少ない等々の苦情が寄せられるくらいだ。これは部族内の権力の発生を阻止するためである。獲物を分けてもらって当然という顔をすれば、現代社会では礼儀知らずという非難を浴びるが、逆に言うと、生きるための素晴らしい知恵でもある。
著者は中国の最近の信用システムの実践を例に挙げて、個人の信用度を点数化して人間を序列化することへの危惧を述べている。曰く、評価経済、評判資本、信用スコア、これらすべては、信用の不履行を防ぐことではなく、信用の不履行を引き起こしそうな人間を排除するアイデアである。シェアリング経済は「シェア」という言葉に覆い隠されがちだが、誰にでも開かれている仕組みでもないと。その点、カマラ氏立ち上げたSNS機構(TRUSおユーザーは広義の「友人」である。ここでは評価を数値化することはない。生身の人間を見て商売をやるのだ。このタンザニア人たちの商売の仕方は、今後の一つの道筋を示したものとして期待できる。これをレポートした著者の力量も大いに評価すべきだ。