ジョージ・オーウエル(1903~1950)はイギリスの作家・評論j家で本名はエリック・アーサー・ブレア。『動物農場』や『1984』などのディストピア小説で、全体主義国家の恐怖を描き、最近とみに人気が高い。本書は没後70年のタイミングで出されたオーウエルの伝記で、作家の人となりや文学的評価を描いていて大変読みやすく中身も濃い。オーウエルの父リチャード・ウオームズリー・ブレアは英領インド帝国政府の阿片局の官吏で、オーウエルは英領インド、ベンガルのモティハリで生まれ、後に父をインドに残し、イギリスに帰国しパブリックスクールのイートン校に奨学生として入学。卒業後、19歳で英領インド帝国警察官となりビルマに向かった。
彼はイギリスの上流階級に属していたが、ビルマ赴任以後、英国人の現地人に対する理不尽な対応を見ているうちに、それに対する反発心が沸き起こり、その感情をエッセイ風の文章にまとめている。彼のこうした反帝国主義・反全体主義のメンタリティーが後にスペイン内乱に反フランコの民兵組織POUMに身を投じ、その体験を『カタロニア讃歌』に綴ったのである。自ら所属した民兵組織POUMがソヴィエトの指令で非合法化され弾圧された現場に居合わせ、かろうじて捕縛を逃れて帰国するという体験をした。これによってソヴィエト神話を暴露する内容の小説を書きたいと考えるようになった。これが『動物農場』のできる前段階である。
その後、1944年3月に『動物農場』は完成したが、これを引き受ける出版社はなかった。というのもこの時期ソ連は連合国側に属しており、ともにナチスドイツと戦う同志であったからだ。英国民は概ねソ連とその指導者スターリンに好意を寄せていたのだ。オーウエルは「ロンドン通信」の44年4月17日の記載で、「ロシアへの好感情が表面上はかつてないほど強くなっている。あからさまな反ソ的なものを発表するのは今やほとんど不可能に近い」と書いている。そのような状況の中で、1945年8月やっと出版にこぎつけることができた。。『動物農場』は『1984』とともに多くの読者を獲得し、オーウエルは作家人生で初めてカネに困らない境遇となった。しかしこれらの作品は東西冷戦の文脈に置かれて、資本主義からソ連の共産主義を叩く「反ソ・反共」の作品という風に読解の幅を狭めることになった。これはオーウエルにとってはつらいことであった。
1930年代からソ連のような全体主義国家に対する危惧を表明していた彼からすると冷戦構造の中で反共宣伝に使われるのは心外であったが、最近見た「赤い闇」(スターリンの冷たい大地で)に、1930年前半のオーウエルの反ソ活動をはっきり描いた場面に遭遇した。この映画は1930年前半にウクライナにおいて、スターリンの誤った食糧政策で深刻な食糧危機が起こっているという情報を得たイギリスの記者ガレス・ジョーンズが現地に行きそれを確かめるという内容である。全体主義が農民を死に追いやるという実例で、これを世界に発信しようとした記者の勇気を顕彰したものだ。この記者がオーウエルと交流する場面があったのだ。よってオーウエルは先験的な反全体主義者だと言える。その先験的把握者の作品が今も読まれているというのは大きな希望である。彼の全体主義批判の功績を多としたい。
彼はイギリスの上流階級に属していたが、ビルマ赴任以後、英国人の現地人に対する理不尽な対応を見ているうちに、それに対する反発心が沸き起こり、その感情をエッセイ風の文章にまとめている。彼のこうした反帝国主義・反全体主義のメンタリティーが後にスペイン内乱に反フランコの民兵組織POUMに身を投じ、その体験を『カタロニア讃歌』に綴ったのである。自ら所属した民兵組織POUMがソヴィエトの指令で非合法化され弾圧された現場に居合わせ、かろうじて捕縛を逃れて帰国するという体験をした。これによってソヴィエト神話を暴露する内容の小説を書きたいと考えるようになった。これが『動物農場』のできる前段階である。
その後、1944年3月に『動物農場』は完成したが、これを引き受ける出版社はなかった。というのもこの時期ソ連は連合国側に属しており、ともにナチスドイツと戦う同志であったからだ。英国民は概ねソ連とその指導者スターリンに好意を寄せていたのだ。オーウエルは「ロンドン通信」の44年4月17日の記載で、「ロシアへの好感情が表面上はかつてないほど強くなっている。あからさまな反ソ的なものを発表するのは今やほとんど不可能に近い」と書いている。そのような状況の中で、1945年8月やっと出版にこぎつけることができた。。『動物農場』は『1984』とともに多くの読者を獲得し、オーウエルは作家人生で初めてカネに困らない境遇となった。しかしこれらの作品は東西冷戦の文脈に置かれて、資本主義からソ連の共産主義を叩く「反ソ・反共」の作品という風に読解の幅を狭めることになった。これはオーウエルにとってはつらいことであった。
1930年代からソ連のような全体主義国家に対する危惧を表明していた彼からすると冷戦構造の中で反共宣伝に使われるのは心外であったが、最近見た「赤い闇」(スターリンの冷たい大地で)に、1930年前半のオーウエルの反ソ活動をはっきり描いた場面に遭遇した。この映画は1930年前半にウクライナにおいて、スターリンの誤った食糧政策で深刻な食糧危機が起こっているという情報を得たイギリスの記者ガレス・ジョーンズが現地に行きそれを確かめるという内容である。全体主義が農民を死に追いやるという実例で、これを世界に発信しようとした記者の勇気を顕彰したものだ。この記者がオーウエルと交流する場面があったのだ。よってオーウエルは先験的な反全体主義者だと言える。その先験的把握者の作品が今も読まれているというのは大きな希望である。彼の全体主義批判の功績を多としたい。