池田氏は生物学者で、山梨大学教授から早稲田大学教授を経て定年退職。最近はテレビのコメンテーターとして活躍している。前に『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)を読んで、今回は二冊目。傾向としては、呉智英や菜摘収の系統に分類できる人物かなと思う。ただし池田氏は生物学の見地からコメントするのが、他の二人とは味わいが異なる。本書の副題は「原則平等に縛られる日本社会の異常を問う」で、横並び社会の欠点をあぶりだしている。
先般ノーベル物理学賞を受賞されたプリンストン大学の真鍋淑郎氏は、日本に帰りたくない理由として、協調を求められる社会風土が嫌だからと述べておられた。ハーモニーを大事にする社会とは自分は相いれないという強烈なコメントだった。事程左様に自由人にとってこの国は息苦しいのであろう。私など市井の一庶民だが、テレビをつけるとどの局も同じような内容のものばかりで本当にあきれてしまう。これだけバカなことを垂れ流していたら権力に対する批判精神はなくなり、権力側の好都合な人間が大量生産されて、政府の思うつぼである。
一読して著者の言うことは大筋で首肯できる。第一章の「コロナ禍と平等主義」では、全国一斉休校措置がやり玉にあげられている。休校の根拠に乏しい政治的判断の甘さがこの愚策に結実した。こうやっとけば不公平感が解消されて文句が言いにくいだろという判断だ。こうやって平等にやっておけば手間がかからないからだ。国や役人の仕事が軽減されるから都合がいい。
第二章「見せかけの平等が不公平を生む」では、国立大学の授業料の高さが問題視されている。私立大学との差が大きいと公平感に欠けるというのが理由なのだろうが、著者曰く、「税金を使ってまで国立大学まで通わせて、それなりに教養がある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないばかりか、政府の政策にいちいち文句をつける、反政府分子になる恐れのほうが強い。だったら授業料を高くして、貧乏人を遠ざけてしまおうという魂胆だったのだろう」と。これはまさに全共闘世代の著者ならではの発言と推察した。
第三章「人間はもともと不平等」では、平等主義の教育が才能ある子供をつぶしているとか平準化は教育になじまない等々、教育現場に身を置いての経験則から発せられたものが多く、正鵠を得ている。ジェンダー平等の議論にしても、女性は平均値として、生まれながらにして料理や子育てに向く、何らかの能力を備えており、力仕事は身体的特性からして男性に向いているのは間違いないし、数学者や論理学者、あるいは哲学者に男が多いのも脳の仕組みと無関係ではないと述べ、ここを押さえておかないとなんのためのジェンダー平等かわからなくなると強調している。同感である。その他、第四章「平等より大事なのは多様性」、第五種『「平等バカ」からの脱却』と続くが、ネタばらしをすると読む楽しみが薄れるので、あとは読んでいただきたい。「目からうろこ」の話が面白い。
原則平等の日本社会だが、格差は広がるばかり。これを解消するのが政治家の課題だが、時の首相は富裕層の課税を実行すると総裁選で公言したにも関わらず、衆院選の前にこれを翻した。新自由主義からの撤退と言うが、具体策は提示されていない。今度の選挙で国民はどのような審判を下すのだろうか。選挙権は国民に等しく与えられた権利であるが、この「平等」を放棄する国民が多いことを著者は憤っている。平等を言い募るだけでなく、実践することが必要だ。
先般ノーベル物理学賞を受賞されたプリンストン大学の真鍋淑郎氏は、日本に帰りたくない理由として、協調を求められる社会風土が嫌だからと述べておられた。ハーモニーを大事にする社会とは自分は相いれないという強烈なコメントだった。事程左様に自由人にとってこの国は息苦しいのであろう。私など市井の一庶民だが、テレビをつけるとどの局も同じような内容のものばかりで本当にあきれてしまう。これだけバカなことを垂れ流していたら権力に対する批判精神はなくなり、権力側の好都合な人間が大量生産されて、政府の思うつぼである。
一読して著者の言うことは大筋で首肯できる。第一章の「コロナ禍と平等主義」では、全国一斉休校措置がやり玉にあげられている。休校の根拠に乏しい政治的判断の甘さがこの愚策に結実した。こうやっとけば不公平感が解消されて文句が言いにくいだろという判断だ。こうやって平等にやっておけば手間がかからないからだ。国や役人の仕事が軽減されるから都合がいい。
第二章「見せかけの平等が不公平を生む」では、国立大学の授業料の高さが問題視されている。私立大学との差が大きいと公平感に欠けるというのが理由なのだろうが、著者曰く、「税金を使ってまで国立大学まで通わせて、それなりに教養がある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないばかりか、政府の政策にいちいち文句をつける、反政府分子になる恐れのほうが強い。だったら授業料を高くして、貧乏人を遠ざけてしまおうという魂胆だったのだろう」と。これはまさに全共闘世代の著者ならではの発言と推察した。
第三章「人間はもともと不平等」では、平等主義の教育が才能ある子供をつぶしているとか平準化は教育になじまない等々、教育現場に身を置いての経験則から発せられたものが多く、正鵠を得ている。ジェンダー平等の議論にしても、女性は平均値として、生まれながらにして料理や子育てに向く、何らかの能力を備えており、力仕事は身体的特性からして男性に向いているのは間違いないし、数学者や論理学者、あるいは哲学者に男が多いのも脳の仕組みと無関係ではないと述べ、ここを押さえておかないとなんのためのジェンダー平等かわからなくなると強調している。同感である。その他、第四章「平等より大事なのは多様性」、第五種『「平等バカ」からの脱却』と続くが、ネタばらしをすると読む楽しみが薄れるので、あとは読んでいただきたい。「目からうろこ」の話が面白い。
原則平等の日本社会だが、格差は広がるばかり。これを解消するのが政治家の課題だが、時の首相は富裕層の課税を実行すると総裁選で公言したにも関わらず、衆院選の前にこれを翻した。新自由主義からの撤退と言うが、具体策は提示されていない。今度の選挙で国民はどのような審判を下すのだろうか。選挙権は国民に等しく与えられた権利であるが、この「平等」を放棄する国民が多いことを著者は憤っている。平等を言い募るだけでなく、実践することが必要だ。