本書は伊藤博文を「知の政治家」と捉え、従来の伊藤像を覆している。サントリー学芸賞を受賞した力作である。新書として読みずらいのは、第一次資料を提示して読みこなす作業をしているためだ。伊藤は若い頃から醜聞の多い人間で、政治家になってもそのイメージで捉えられることが多かった。司馬遼太郎の小説を読んでも、女好きの軽い人物という印象しかない。しかし明治政府の元勲として、近代化を推進する中での彼を見ると「知」への憧憬が人一倍深い政治家であったことがわかる。
幕末の時代、彼は新しい文明の知識を求めて海外に密航し、世界的視野を身につけて帰国した。その知識は身分制度のしがらみを越えて世に出ていくことを可能にした。伊藤はこの体験をもとに教育を国家の基と考え、教育を受けた国民が身分の枠にとらわれずに自由に職業に就いて自己の才能を発揮させることを国づくりの基本に据えた。維新後、彼はその制度作りに邁進した。そうして作りだされたのが、憲法、帝国大学、帝国議会、立憲政友会、責任内閣、帝室制度調査局、韓国統監府といった諸制度である。著者はこれらについて伊藤の貢献ぶりを詳細に描いている。
これらの制度は究極的には「国民政治」を実現するために構想されたもので、伊藤は近代日本を代表するデモクラシーの政治家だった。本書に、伊藤がトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を愛読していたという津田梅子の証言を紹介しているが、その証左であろう。彼は貧しい農民の出であるがゆえに、平等社会のもとでのデモクラシーの進展を好意的に捉え、それに積極的にコミットし、それに即した政治体制を樹立しようとした。その方法はゆっくりと無理をしない漸進主義というべきものであった。そして「知」の在り方は実学を基本として、官民がそれを媒介にして繋がり一つの公共圏が形成されることを追求した。福沢諭吉が官と民の峻別に固執し、官を排した民間の自由な経済活動を自らの足場としたのとは一線を画している。
しかしこのような伊藤の主知主義が逆に政治家としての限界を示すことになったのは皮肉である。その一例として著者は彼のナショナリズムに対する認識不足を挙げる。伊藤にとって、ナショナリズムのような非合理的な感情は、文明化が進めば自然と解消していく問題と捉えられており、韓国統監察として韓国に渡ってからもついに韓国人の反日ナショナリズムの何たるかを理解できずに、結果、それが彼の韓国統治の躓きとなった。1909年10月26日、ハルピン駅頭において韓国独立運動の義士安重根によって暗殺された。以後、伊藤は日本による韓国植民地化の元凶としてシンボライズされていることは周知の通り。その伊藤像はこの書によって描き変えられた。歴史研究の醍醐味を味わえる一冊である。
幕末の時代、彼は新しい文明の知識を求めて海外に密航し、世界的視野を身につけて帰国した。その知識は身分制度のしがらみを越えて世に出ていくことを可能にした。伊藤はこの体験をもとに教育を国家の基と考え、教育を受けた国民が身分の枠にとらわれずに自由に職業に就いて自己の才能を発揮させることを国づくりの基本に据えた。維新後、彼はその制度作りに邁進した。そうして作りだされたのが、憲法、帝国大学、帝国議会、立憲政友会、責任内閣、帝室制度調査局、韓国統監府といった諸制度である。著者はこれらについて伊藤の貢献ぶりを詳細に描いている。
これらの制度は究極的には「国民政治」を実現するために構想されたもので、伊藤は近代日本を代表するデモクラシーの政治家だった。本書に、伊藤がトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を愛読していたという津田梅子の証言を紹介しているが、その証左であろう。彼は貧しい農民の出であるがゆえに、平等社会のもとでのデモクラシーの進展を好意的に捉え、それに積極的にコミットし、それに即した政治体制を樹立しようとした。その方法はゆっくりと無理をしない漸進主義というべきものであった。そして「知」の在り方は実学を基本として、官民がそれを媒介にして繋がり一つの公共圏が形成されることを追求した。福沢諭吉が官と民の峻別に固執し、官を排した民間の自由な経済活動を自らの足場としたのとは一線を画している。
しかしこのような伊藤の主知主義が逆に政治家としての限界を示すことになったのは皮肉である。その一例として著者は彼のナショナリズムに対する認識不足を挙げる。伊藤にとって、ナショナリズムのような非合理的な感情は、文明化が進めば自然と解消していく問題と捉えられており、韓国統監察として韓国に渡ってからもついに韓国人の反日ナショナリズムの何たるかを理解できずに、結果、それが彼の韓国統治の躓きとなった。1909年10月26日、ハルピン駅頭において韓国独立運動の義士安重根によって暗殺された。以後、伊藤は日本による韓国植民地化の元凶としてシンボライズされていることは周知の通り。その伊藤像はこの書によって描き変えられた。歴史研究の醍醐味を味わえる一冊である。