中華帝国の皇帝は言わずと知れた習近平だが、最近は毛沢東の真似をしてそのカリスマ性を強調している。人民服を好んで着用するのもその表れの一つだが、国内旅行先を延安にすることを勧めたりしているのもそれだ。延安は革命の聖地で毛沢東ゆかりの地だ。習本人は文革の下放政策で延安のある陝西省の農村で7年間も苦労した。父の習仲勲はもと共産党の幹部だったが、毛沢東に反革命と攻撃され、家族全員が左遷された。その仇敵の毛沢東を尊敬するとは、いささか面妖な感じだが、そのカリスマ性に惹かれたのだろう。かつてのライバル李克強首相の影がどんどん薄くなるのに反比例して習近平のイメージが強くなる。メディアに操作を命じているのだろう。
本書はテレビでは到底知り得ない共産党の動きが時系列で述べられており、類書にはない記事が多く、イッツ気に読んでしまった。習の目標は「中華帝国の夢」を実現することで、それは世界一の帝国を作り上げ、アメリカに代わって地球を支配することらしいが、版図拡大はかつての元朝や清朝の後を追うもので、異民族支配の王朝の真似は本来漢民族の本意ではないはずだ。最近の経済成長でいい気になっている面があり、政策に拙速のそしりを免れない面が多々ある。南シナ海を埋め立てて飛行場を作っているのは、「海の万里の長城」を目指す意味らしい。元も清も滅びたことを考えれば、無理をすると共産党の崩壊に繋がることも視野に入れなければならない。
習近平外交のキーパーソンは5人いるとある。王滬寧中央政策研究室主任、栗戦書党中央弁公庁主任、楊潔篪外交担当国務委員、王毅外相、そして妻の彭麗媛である。その中で通訳上がりの楊潔篪と王毅のライバル争いの話題は個人的に興味深かった。楊は上海生まれ。高卒で外交部の一介の英語通訳からのし上がり、駐米大使を経て2007年に外相になった。その後国務委員になった。王毅は北京生まれで、黒竜江省へ7年半下放されて、北京に戻って、旅行ガイド養成学校の北京第二外国語学院日本語科に入り、28歳の最年長で卒業した苦労人だ。だが周恩来首相の外事秘書だった銭嘉東の娘が王毅に一目惚れし、卒業と同時に結婚。王毅は岳父の力で外交部へ就職して、後の出世の道を拓いた。実は37年前私が中国旅行した時、北京で王毅に会ったことがある。それは私の所属した訪問団と北京二外の学生との交流会でだ。万里の長城に一緒に行き写真も撮っている。それを見ると、男前の偉丈夫である。彼が25歳、私が27歳であった。こんなに出世するとは。二人を見ていると、運と気力が人一倍備わっていたように思える。共産党支配下における典型的なサクセスストーリーだと言える。逆に言うと、エリート大学を出ただけでは簡単に出世できないということだ。上海閥や北京閥等々、人間関係をいかにうまく作るかが重要だ。習近平の事跡を見ればわかる。
王毅は同じ北京人として習近平に取り入り、常に彼の顔色を窺いながら仕事をしていると紹介されているが、一介の通訳から成り上がった身からすれば、そんなことは朝飯前であろう。先日もオバマ大統領が広島訪問をしたことについての中国外相としての感想を求められて「南京のことも忘れてもらっては困る」と日本の戦争責任を免罪してはならないといつもの調子でコメントしていたが、オバマの今回のスピーチは原爆投下のお詫びというより(もちろんアメリカがお詫びをするわけはないが)将来の核廃絶がテーマで、その第一歩を被曝の地広島から歩み出そうという意味だったと思われるが、それを文脈無視で「南京を忘れるな」とはいかにもポイントがずれている。いくら習近平に気を遣っているとは言え、それはないよなあというのが私の感想である。皇帝に仕える宦官のようで、いやな感じだった。誰か諌めるものがいないと皇帝も身を滅ぼすことは、歴史を見れば明らかだ。習近平は二十四史を読むべきだ。
本書はテレビでは到底知り得ない共産党の動きが時系列で述べられており、類書にはない記事が多く、イッツ気に読んでしまった。習の目標は「中華帝国の夢」を実現することで、それは世界一の帝国を作り上げ、アメリカに代わって地球を支配することらしいが、版図拡大はかつての元朝や清朝の後を追うもので、異民族支配の王朝の真似は本来漢民族の本意ではないはずだ。最近の経済成長でいい気になっている面があり、政策に拙速のそしりを免れない面が多々ある。南シナ海を埋め立てて飛行場を作っているのは、「海の万里の長城」を目指す意味らしい。元も清も滅びたことを考えれば、無理をすると共産党の崩壊に繋がることも視野に入れなければならない。
習近平外交のキーパーソンは5人いるとある。王滬寧中央政策研究室主任、栗戦書党中央弁公庁主任、楊潔篪外交担当国務委員、王毅外相、そして妻の彭麗媛である。その中で通訳上がりの楊潔篪と王毅のライバル争いの話題は個人的に興味深かった。楊は上海生まれ。高卒で外交部の一介の英語通訳からのし上がり、駐米大使を経て2007年に外相になった。その後国務委員になった。王毅は北京生まれで、黒竜江省へ7年半下放されて、北京に戻って、旅行ガイド養成学校の北京第二外国語学院日本語科に入り、28歳の最年長で卒業した苦労人だ。だが周恩来首相の外事秘書だった銭嘉東の娘が王毅に一目惚れし、卒業と同時に結婚。王毅は岳父の力で外交部へ就職して、後の出世の道を拓いた。実は37年前私が中国旅行した時、北京で王毅に会ったことがある。それは私の所属した訪問団と北京二外の学生との交流会でだ。万里の長城に一緒に行き写真も撮っている。それを見ると、男前の偉丈夫である。彼が25歳、私が27歳であった。こんなに出世するとは。二人を見ていると、運と気力が人一倍備わっていたように思える。共産党支配下における典型的なサクセスストーリーだと言える。逆に言うと、エリート大学を出ただけでは簡単に出世できないということだ。上海閥や北京閥等々、人間関係をいかにうまく作るかが重要だ。習近平の事跡を見ればわかる。
王毅は同じ北京人として習近平に取り入り、常に彼の顔色を窺いながら仕事をしていると紹介されているが、一介の通訳から成り上がった身からすれば、そんなことは朝飯前であろう。先日もオバマ大統領が広島訪問をしたことについての中国外相としての感想を求められて「南京のことも忘れてもらっては困る」と日本の戦争責任を免罪してはならないといつもの調子でコメントしていたが、オバマの今回のスピーチは原爆投下のお詫びというより(もちろんアメリカがお詫びをするわけはないが)将来の核廃絶がテーマで、その第一歩を被曝の地広島から歩み出そうという意味だったと思われるが、それを文脈無視で「南京を忘れるな」とはいかにもポイントがずれている。いくら習近平に気を遣っているとは言え、それはないよなあというのが私の感想である。皇帝に仕える宦官のようで、いやな感じだった。誰か諌めるものがいないと皇帝も身を滅ぼすことは、歴史を見れば明らかだ。習近平は二十四史を読むべきだ。