読書日記

いろいろな本のレビュー

古代日中関係史 河上麻由子 中公新書

2019-08-21 08:59:30 | Weblog
 副題は「倭の五王から遣唐使以降まで」で、この時期の日中の関係について詳しい説明がなされており、日本史教科書の記述に変更を迫る見解がいくつもあって面白い。従来は中国側の日本に対する外交の具体的な説明は少なかったが、著者は『晋書』『宋書』『隋書』『旧唐書』『新唐書』などの中国の正史を始め、『続高僧伝』『唐会要』などの原典から倭国との関連記事を抜き出して検討を加えているところがよい。

 例えば607年に日本は隋の煬帝に「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す。恙無きや」云々で名高い書状を送った。この項の後に、「帝之を覧て悦ばず」とあり、煬帝は自分を「日没する処の天子」と言われたことに怒ったのだ、これによって日本は中国と対等の関係を築く意志を表明したのだという通説に対して疑義を呈する。まず、「日出処」「日没処」は単に東西を意味する表現に過ぎないという。(東野治之氏の説を引用)そして「天子」は「菩薩天子」のことで、中国の仏教を主宰する煬帝を賛美したもので、倭国としてもこれにあやかって仏教の移入に力を入れたいという願望を述べたのだが、まだ仏教伝播が不十分な倭の王が菩薩天子を名乗るのはおこがましいと言って、帝が怒ったのだという。そして「書を致す」という形式は、南北朝時代以来、中国では私信に多く用いられた文書形式で、国名・君主号すら記さない、「日出処天子」の書状は、国家から国家へと送られる公的な文書ではなく、私的な書状だった可能性があり、公的なものは他にあったということだ。よって倭国の書状の構成は、対等外交説の決定的な証拠とはなりがたいと断じている。
 
また、663年の唐・新羅と百済・日本の軍隊が白村江で戦い、日本は敗れ、百済は滅亡という事件があったが(天智天皇の時代)、この後日本国内では天武~持統~文武天皇と変わるなかで、対外防備用の山城の築城し、律令国家体制の完成を急ぎ、701年の大宝律令の発布で完成した。

 この辺の事情を茂木誠氏は近著『戦争と平和の世界史』(TAC出版)で次のように言っている、「その後、国号を「倭国」から「日本国」に改め、翌702年に再開された遣唐使が初めて唐に対して「日本国」の国号を使ったところ、唐の則天武后は「倭王ごときが無礼である」と不快感を表したが、そのままになった。白村江の戦いと壬申の乱はいわば「日本国を誕生させた戦い」ということができ、白村江の戦いは軍事的には大敗だったが、その後の国際情勢の急変、天武天皇の巧みな外交によって、唐による占領を免れ、中華帝国からの完全独立を達成した」と。誠に明快な説明で、予備校の先生らしい、歴史のダイナミズムを感じさせる記述だが、河上氏によると、七世紀の東アジアでは、「日本」は、中国から見た極東を指す一般的な表現に過ぎず、この日本を国号に用いることは、中国を中心とした世界観を受け入れることになる。
 
 つまり「日本」とは、唐(周)を中心とする国際秩序に、極東から参加する一国という立場を明示する国号であった。(東野治之氏の説を引用)そして「日本」は国号の変更を申し出て、それを則天武后が承認した。朝貢国であるからには、国号を勝手に変更することはできない。そのため、皇帝の裁可を仰いだのである。ここに、中華たる唐(周)に朝貢する「日本」という図式が定まる。決して唐への対等、優越を主張するためではなかった。都城を完成させ、律令制を整備した日本が目指したのは、唐が主宰する世界秩序下への参入であった。朝鮮半島での戦闘を皇后の座から見守った則天武后は、日本の朝貢使にことのほか喜んだとある。

 茂木氏の説とは真逆の結論になっているのが面白い。ナショナリズム喚起という点から言うと、茂木氏の説は有力だが、史料重視の天から言うと、河上氏の説ということになるのか。いずれにしても15回の遣唐使の中身をみると、唐は日本の宗主国であることは間違いがなく、仏教の伝来に際しては多くの学僧が唐に留学して貢献したことは確かだ。(最澄、空海など)また唐は唐で仏教の普及については抵抗があったことも確かで、中唐の韓愈などは「論仏骨表」を憲宗に奉って極諌した結果、逆鱗に触れ左遷された。韓愈は仏教・道教を批判して儒教を重んじるべきと行ったのである。この唐における仏教と儒教・道教のせめぎあいに遣唐使の学僧がどう感じたかということが分かればさらに面白くなるのではないか。

安楽死を遂げた日本人 宮下洋一 小学館

2019-08-16 11:59:04 | Weblog
 本書は先日放映された「NHKスペシャル」の舞台裏を描いたもので、放映後新聞等で大きく宣伝された。私はテレビを見てから本書を読んだが、放映のいきさつが細かく描かれていた。中身は、ある日本人女性(50歳余り)がスイスで安楽死をするというもので、本人が二人の姉に見守られながら致死量の薬品が入った点滴のコックを自分の意思でひねって死に至る様子が映し出されていた。それを見て私はいささか衝撃を受けたが、本人がそれを許可したということで、一つの人生の終焉の記念碑的なものとなった。私は女性が眠るように死んで行く様を見て、人生ってあっけなく終わるものだなということを今さらながら痛切に感じてショックを受けた。
 女性は40歳を過ぎてから「多系統委縮症」という徐々に身体機能がなくなる難病を患い、このままでは自分一人では何もできなくなり、家族に迷惑がかかるということで、安楽死が認められているスイスでの積極的安楽死を希望した。その役割を担ったのは「ライフサークル」という自殺幇助団体で、代表はエリカ・ブライシックという女性医師だ。彼女は脳卒中で寝たきりになった父の自殺幇助を契機に、この世界に足を踏み入れた。この一年で80人の「旅立ち」を手助けし、国外希望者も受け入れている。著者の宮内氏は以前から、安楽死の患者の取材をヨーロッパ各地で行なっており、エリカ・ブライシック氏とは旧知の仲だった。宮内氏には『安楽死を遂げるまで』(2017年 小学館)の著書があり、安楽死したヨーロッパやアメリカの人々をレポしている。女性はこのことを知って、宮内氏に連絡を取って「ライフサークル」を紹介してもらったようだ。これを読むと欧米人には生きるも死ぬも自分の権利という考え方が一般的であることが分かる。苦しんで死ぬのなら自分の意思で安楽死をというわけだ。しかし日本では安楽死は認められていない。もし医師が患者の意を踏まえて安楽死させたら殺人罪に問われてしまう。実際このような件は裁判になっており、最高裁まで争われてが医師は有罪判決を受けている。
 このような事情をを踏まえて、女性はスイスでの安楽死を決行したのである。姉二人に付き添われての死出の旅は悲しすぎるが、韓国語の通訳として活躍していた女性にとってこのままでは人間として生きる意味がないと判断しての決断だった。姉妹間の葛藤も如何ばかりかと想像される。
 最期に女性のベッドの横に二人の姉とブライシック氏が囲み、ブライシック氏が女性に最後の意思確認を行ない、自分の手で点滴のコックをひねるように指示する場面をテレビは映し出していたが、なんか釈迦涅槃図を思い出させるシーンだった。息を呑むという表現がふさわしい。死は忌避したいというのは人間の願いだが、やむにやまれぬ事情から自死する人も多い。今回は病気によって生きる意志を失って安楽死することの意味を考える機会を与えてくれたのではないか。どうせ死ぬなら苦しむより楽にというのが普通の感覚とは思うが。
 

資本主義と民主主義の終焉 水野和夫・山口二郎 祥伝社新書

2019-08-06 09:35:28 | Weblog
 副題は「平成の政治と経済を読み解く」だ。水野氏は経済学者、山口氏は政治学者で共に旧民主党の政策ブレーンだったが、ご承知の通り民主党政権は三年であえなく倒れ、第二次安倍内閣の誕生を誘導してしまった。その後、安倍内閣はかつてない長期政権を謳歌している。逆に言えばあの時の民主党の不安定な政権運営が国民のトラウマとなって、野党弱体化の原因となっていることは確かだ。二人はその反省も込めて平成の三十年を総括している。
 まずは日米貿易摩擦がトピックとしてあげられるだろう。今米中貿易摩擦でトランプ大統領は中国の製品の関税をあげて貿易赤字を減らそうと躍起だが、かつての日本もアメリカから同じような経済戦争を仕掛けられた。特に日本車の売れ行きがアメリカで増え、逆にアメリカ車が日本で売れないという状況にアメリカの自動車産業から怒りが沸き起こった。しかし燃費が良くて性能の良い日本車が売れるのは当然のことで、それを無視した日本車反対運動は理不尽に見えたことは確かだ。その他、農産品等の貿易についても規制緩和を求められ、これが日米安保条約とセットで圧力をかけられたことで、当時の橋本総理は唯々諾々とアメリカの要求に屈してしまった。この流れが小泉総理で仕上げの段階に入って、さらなる規制緩和が国内外に浸透した。郵政民営化はその象徴であろう。自治労に牛耳られていた郵政を民営化したのはいいが、今度は逆に郵便局員を過重なノルマで縛るブラック企業になってしまった感は否めない(カンポ生命の違法契約問題を見よ)。そしてアメリカの新自由主義の影響で、それにかぶれた政府お抱えの経済学者が、規制を取っ払ってお金の流れを自由にしようと企んだ結果、格差が生まれ、非正規雇用が増大した。銀行も競争にさらされつぶれたものも多かった。アメリカ流の自己責任論が喧伝されたのもこのころである。たまたまの勝利者が自分の人生を反省することもなく厚顔無恥な言説を垂れ流していたのも昨日のことのように思い出す。腹立たしいかぎりだ。
 その後、民主党が政権を担うことになったが、そのやり方は余りにも稚拙であった。鳩山首相は沖縄の基地移転問題について、「少なくとも県外」と述べて大いに期待されたが、結局実現しなかった。山口氏によると、思いつきで発言していたとのこと。その辺のことは最重要課題なのだから、政権幹部による意思統一が必要だった。その後、管内閣になったが、東北大震災が起こり、その対応で右往左往してしまった。山口氏は、菅首相について、思いつきで発言し、政策についてきちんとした見識を持っていない政治家で、官僚の操り人形であったと批判している。そして野田首相になるが、私は彼が尖閣諸島の国有化をしたのが大きなミスであったと思っている。あの時は石原東京都知事が都有化すると息巻いていたので、それなら国有化したほうがましだという判断だったのだろうが、案の定中国側の怒りを買ってしまった。その後の日中対立は激化の一途をたどった。
 そして野田首相の大罪は、安倍自民党総裁と党首討論で、議員定数削減、議員歳費削減と引き換えに解散を約束してしまったことだ。私はこの討論をテレビで見ていたが、解散を迫る安倍総裁に、「やりましょうよ」と野田首相が言い、「いいんですね」安倍総裁がと念を押す映像が印象的だった。明らかに拙速だと思われるやり取りであった。山口氏曰く、野田首相が党首討論でいきなり解散を持ちだしたのは、おそらく「救国の宰相」と後世に名を残したいため、くだけた言葉で言えば「ええかっこしい」です。しかし、政権保持という大目標を見失った暴走と言わざるをえません。鳩山首相の沖縄基地問題に関する暴走で始まった民主党政権は、暴走で終焉という、なんとも皮肉な結末でしたと。
 そして安倍現政権である。ポスト安倍は誰かという問題、世界一の借金国の実情、AIと労働者問題、日米安保、官僚機構崩壊、少子高齢化、民主主義劣化の問題等最後にわかりやすくまとめてくれている。今後の日本の進み方を示唆する好著だと思う。