本書は平成六年(1994)に朝日新聞社によって出版され、その年の「大佛次郎賞」を獲得した。その後、新潮文庫に入れられた。発刊から29年、以前読んだ記憶があるが、いま改めて読もうとしたのは、水戸藩の尊王攘夷の実態を「天狗党」を通して知りたいと思ったからである。そのきっかけは、最近読んだ『逆説の日本史27』(井沢元彦 小学館)で、井沢氏が水戸藩の「尊王攘夷」が朱子学に由来し、これが時代を混乱させたと書いておられたことだった。氏は夙に朱子学の弊害を『逆説の日本史』で説いており、このシリーズの特徴となっている。氏は日本史家の呉座勇一氏に素人が何を言ってるんだという感じで批判されることが多いが、歴史の読みものと割り切れば、結構楽しめる。
まず尊王攘夷を調べると、「天皇を敬い、外国人を排斥するということで、開国してしまった弱腰な幕府への反感と外国の侵略の恐怖により沸騰した思想で、そのエネルギーは倒幕の原動力になった」とある。そして「天狗党の乱」とは、「天狗党(水戸藩の後継者争いで徳川斉昭を支持した一派)が尊王攘夷を訴えるにあたって起こした暴動のこと」という説明がある。時系列によって乱を具体的にまとめると次のようになる。安政の大獄から桜田門外の変を経て、水戸藩は門閥派(守旧派)に藩政の実権を握られていた。激派(尊王攘夷派)は農民ら千人余りを組織し、筑波山で挙兵。しかし幕府軍の追討を受け、行き場を失っていく。最後に彼らは敬慕する徳川慶喜(斉昭の息子)を頼って京都に上ることを決意。そして信濃、美濃と進むが、頼みの慶喜に見放され越前に至ったところで加賀藩に降伏した。幕府に寛大な処置を嘆願したが、352名が処刑されるという無残な結果となった。
その一部始終を描いたのが本書で、挙兵した若者の血気盛んで無軌道なさまを田中愿蔵(22歳)に、方や反乱軍の首領となったが一貫して分別のある人物として武田公雲斎(63歳)に焦点を当てて上記の行程が進んでいく。イデオロギー実践とそれに苦しめられる民衆の実相が各地で行われる略奪暴行の描写で示される。隊長田中愿蔵をここまで無軌道にする、尊王攘夷思想とはという著者の問いかけが感じられる。また立場上彼ら尊攘派に就かざるを得なかった武田公雲斎の苦悩も理解できる。いずれにしても反乱が成功するには多くの困難が伴う。政治の世界の闇を垣間見る思いだ。田中も武田も刑死したが、彼らが頼みにした徳川慶喜の裏切りがクローズアップされるが、腰の引けた自己保身に走る男のザマが淡々とした筆致で描かれるのが秀逸。
吉村氏の歴史小説は、広く資料にあたって登場人物の表情がわかるほど精緻な描写をすることで多くの読者を得てきたと思う。宿場町で天狗党に金品を略奪される人々の苦悩と、略奪を意に介せず無慈悲に暴れる兵士。反乱(革命)の正義は人民を塗炭の苦しみに追い込む。これは時代を超えたテーマである。そして権力を持つものが己の利益で行動して他者を裏切り苦しめる。慶喜のような人物はどこにでも現れる。今世界で起きている問題の祖型はこの「天狗党の乱」にあると言えるだろう。降伏した天狗党を残酷に処刑した江戸幕府のやり方は、まさに政権末期の組織の悪弊がでたものだ。消滅する権力の姿がそこにある。
まず尊王攘夷を調べると、「天皇を敬い、外国人を排斥するということで、開国してしまった弱腰な幕府への反感と外国の侵略の恐怖により沸騰した思想で、そのエネルギーは倒幕の原動力になった」とある。そして「天狗党の乱」とは、「天狗党(水戸藩の後継者争いで徳川斉昭を支持した一派)が尊王攘夷を訴えるにあたって起こした暴動のこと」という説明がある。時系列によって乱を具体的にまとめると次のようになる。安政の大獄から桜田門外の変を経て、水戸藩は門閥派(守旧派)に藩政の実権を握られていた。激派(尊王攘夷派)は農民ら千人余りを組織し、筑波山で挙兵。しかし幕府軍の追討を受け、行き場を失っていく。最後に彼らは敬慕する徳川慶喜(斉昭の息子)を頼って京都に上ることを決意。そして信濃、美濃と進むが、頼みの慶喜に見放され越前に至ったところで加賀藩に降伏した。幕府に寛大な処置を嘆願したが、352名が処刑されるという無残な結果となった。
その一部始終を描いたのが本書で、挙兵した若者の血気盛んで無軌道なさまを田中愿蔵(22歳)に、方や反乱軍の首領となったが一貫して分別のある人物として武田公雲斎(63歳)に焦点を当てて上記の行程が進んでいく。イデオロギー実践とそれに苦しめられる民衆の実相が各地で行われる略奪暴行の描写で示される。隊長田中愿蔵をここまで無軌道にする、尊王攘夷思想とはという著者の問いかけが感じられる。また立場上彼ら尊攘派に就かざるを得なかった武田公雲斎の苦悩も理解できる。いずれにしても反乱が成功するには多くの困難が伴う。政治の世界の闇を垣間見る思いだ。田中も武田も刑死したが、彼らが頼みにした徳川慶喜の裏切りがクローズアップされるが、腰の引けた自己保身に走る男のザマが淡々とした筆致で描かれるのが秀逸。
吉村氏の歴史小説は、広く資料にあたって登場人物の表情がわかるほど精緻な描写をすることで多くの読者を得てきたと思う。宿場町で天狗党に金品を略奪される人々の苦悩と、略奪を意に介せず無慈悲に暴れる兵士。反乱(革命)の正義は人民を塗炭の苦しみに追い込む。これは時代を超えたテーマである。そして権力を持つものが己の利益で行動して他者を裏切り苦しめる。慶喜のような人物はどこにでも現れる。今世界で起きている問題の祖型はこの「天狗党の乱」にあると言えるだろう。降伏した天狗党を残酷に処刑した江戸幕府のやり方は、まさに政権末期の組織の悪弊がでたものだ。消滅する権力の姿がそこにある。