読書日記

いろいろな本のレビュー

続マスコミ偽善者列伝 加地伸行 飛鳥新社

2019-03-30 13:50:29 | Weblog
 柳の下のドジョウを狙った第二弾。加地先生の舌鋒はますます冴えわたる。基本は右派による左派批判だが、エセインテリを指弾するという趣が強いので溜飲を下げる読者も多いのではないか。「列伝」と言えば、司馬遷の『史記』を連想するが、本書は「偽善者」という修飾語が付いているので、本人の事跡を顕彰するのではなく批判することになる。政治家については立場がはっきりしているので、ある程度文脈の予想がつく。面白いのは文化人を扱ったものだ。今回は、第二章の見識なきメディア芸者のなかの・自称「教養人」の虚像ーー出口治明の言説と・儒教知らずインテリの典型--柄谷行人の言説が個人的に興味深かった。
 出口氏はもと大手生命保険会社の管理職を経て、現在某生命保険会社の会長をしているエリートである。趣味は読書で、最近世界史の蘊蓄を傾けた本を出したり、書評を出したりと学者顔負けの活躍ぶりだ。私は彼の著作を読んでいないので評価はできないが、そんなに騒がれるほどの人だろうかと思っていたところに、加地先生の本に登場されたという次第。中身は出口氏がある雑誌で担当していたコラム「悩みの出口」で「親の借金を子どもの自分が返済しなければならないが、給料が安いので困っている」という相談に対する答えに対する批判である。その答えとは、「親に自己破産させて、公的保障に頼ればよい。家族が苦労すべきではない。親孝行というのは学者に言わせれば、それは人為的に作り出された家族に関する虚像です」というもの。儒教研究の泰斗である先生の怒りが爆発した。「民法には直系の血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務があると書いてある。これを知らないのか」と。また「学者に言わせれば」というが、どの「学者」が言っているのか明記せよ。親孝行の「孝」が「虚像」とは、バカもやすみやすみ言え。私の本を読んでから言えと。まったく逆鱗に触れたという感じだ。先生曰く、「彼はエリートで、あちこちで教養を教養をとわめいている。しかし、その所説は無知で野卑。見識などまったく見られない。これが世の教養人なるものなのか。哀れよのう」と。そして最後にアフオリズム風の漢文の一節が引用される。「古人曰く、賢を行はんとして、自から賢とするの心を去らば、いづくんぞ往きて(どういう場合でも)美ならざらんや」と。(『韓非子』説林上)儒教関係でいい加減なことを言うとこのような結果となる。
 柄谷氏の場合は岩波書店の『図書』(2016年7月号)所載の「固有信仰と普遍宗教」の一節の「儒教では、親孝行が説かれ、天(超越者)を敬うことが説かれる。しかし、それらが本来、祖霊の信仰に根ざしていることは明示されないし、深く考えられていない」という部分。「こんなもの四書五経を読めばちゃんと書いてあるわ」と一蹴(四書五経は誰でも読めるというものではないが)している。そして最後に、柄谷某や多くの宗教関係発言者は柳田國男著『先祖の話』を金貨玉条としているが、同著が説得力を持たないのは、儒教の祖霊観に一言も触れていないからであると言う。この発言は短いが鋭い。最近柄谷氏は『世界史の実験』(岩波新書)を出したが、加地先生が批判した『図書』(2016年7月号)所載の一節はそのまま載せられている。加地先生のこの文章がどの雑誌に書かれたのか記載がないので事情がはっきりしないが、結果的に無視されたことになるだろう。岩波書店とお抱えの文化人は強いということか。ここにも格差問題が顕在化している。第三弾はここら辺を指弾してもらうと面白いだろう。なお、2019年3月30日の朝日新聞書評欄によると、出口氏は書評委員の一人で、肩書は立命館アジア太平洋大学学長となっていた。壮大な名前の大学の学長となればその権勢いかばかりかと推測されるが、生命保険会社の社長からどうやって転身したのか知りたいものだ。また柄谷氏も書評委員で、肩書は哲学者だ。

この道 古井由吉 講談社

2019-03-19 14:08:21 | Weblog
 古井氏は現在81歳。本書は「群像」所載の八編から成っており、晩年の日々の感懐を過去の記憶、現在の状況を織り交ぜて綴ったもの。特に筋らしいものはないが、目に触れる景物から想像力が喚起される表現が見ものだ。「野の末」では、散歩道の途中で高い石垣を見て次のように言う、「目の高さから、人の頭ほどの大きさの石が無造作に置かれているようでしっかりと咬みあって続く。それが夜目にはどうかすると、無数の髑髏が枕を並べてどこまでもつらなるように見える。そう見えてきても暗いような気分にならないのは、これも酔いを帯びて帰る道だからなのだろう。人の生涯は所詮、死者から死者へのつらなりの、その先端にしばしあるだけのことであり、生きながら年々その列へ組み込まれているのではないか、と考えれば足取りも楽なようになる。石と石の継ぎ目がそれぞれ女陰のようおにも見える。無数の女陰の列になる。しかし女陰と髑髏とは本と末のことだ、色即是空である、いや、空即是色のことか、と年寄りが戯れに思う。すぐに通り過ぎてしまう距離だが、石垣に沿って歩く間は、時が長く伸びる」と。
 無常観と煩悩のせめぎあいが見事に捉えられた文章である。生とは一瞬の輝きで、後は静謐な死の世界に収斂されていく様子を端的に捉えている。また同じ「野の末」で、オーロラが厄災の前兆だという話題から天明の大飢饉に話が及び、次のようにいう、「飢えてさまよい出た者たちに、戸を閉ざした家もあったという。あったはずだ。我が身がぎりぎりのところで生きているので、
人に食物を分かてば共倒れになる。余裕があるのに、見殺しにした者たちもあっただろう。どの土地の者だろうと、どの階層の者だろうと、直接にせよ間接にせよ、それぞれのやり方で、飢餓者たちを拒んだと言えるのかもしれない。後の世のわれわれも、人を拒んで生きながらえた者たちの、その末裔と考えるべきか」と。われわれの先祖は所詮この程度のものだったのだよという相対化の筆致が面白い。先祖がこうこう偉かったと威張れるものではないのだ。
 「花の咲く頃には」では、死についての洞察が述べられる。「死ぬということまでは、生きる内になる。最期を自分で決する覚悟のならぬ者にとっては、不意の死も頼みにはならないので、老いるにまかせ、衰えるにまかせ、息の尽きるのを待つよりほかにすべもない。これもそれなりに覚悟のいることだ。衰弱がすすめば、見当識も狭まって自身の手足のありかもわからず、昨日今日明日も、一日の移りもなく、家族の顔も見分けられなくなる。見知った顔だとは感じられるが、いつどこの人ともつかなくなるだろう。その域も過ぎて昏睡に入り、人事不省などというのも考えてみれば妙な言葉だが、人の存在はすでに失せているのだろうか。夢のようなものを、見てはいないか。夢の中では、人は立っている。立っている自身を、自身がまた見ている。主体があるということだ。空間もまだある。(中略)生きるということが時間と空間の更だとすれば、これも最後の、生きるという行為になるのではないか」と。人間は最後の最後になっても、夢を見ることで、生きる証を得ることができるということか。非常に勇気づけられる言葉である。
 本書は日常生活の瑣事を材料に過去の戦争体験を交えて織りなすアラベスクと言えよう。なかにちりばめられたアフオリズム風の描写は老年を迎えた読者の胸を打つ。願わくば、次作によって死と生のせめぎあいの諸相をさらに深く描いて戴きたい。

中国人の善と悪はなぜ逆さまか 石平 産経新聞出版

2019-03-13 11:14:44 | Weblog
 石平氏と産経新聞出版という組み合わせは、いわゆる「嫌中」本を想像させるが、本書はさにあらず、立派な中国文化論だった。もともと著者は北京大学出身で、民主化運動に傾倒していた。日本に留学後、中国の現状を批判して日本国籍を取得している。彼の嫌中は祖国中国を深く知った上でのもので、そこいらのごろつきのものとは一線を画している。本書の副題は「宗族と一族イズム」で中国の権力者はなぜ腐敗するのかというテーマを扱ったものである。その理由を「宗族」と「一族イズム」いう中国独特の人間関係によって説明している。中国人は家族・親戚を大事にし、その縁故関係をフルに利用して出世・栄達を実現するということは、科挙の試験に受かった者の一族は潤うという例を歴史で習って知っていたつもりだが、一読してここまで徹底しているとは、というのが素直な感想である。 
 中国では共産党の幹部を始め、地方政権の幹部、その他普通の公務員まで、その地位を利用して賄賂を手にすることは一般的である。その額も日本とは違ってけた外れに多い。この事象は中国の親族関係に由来すると著者は述べる。つまり、公の視点、社会の視点からみれば「悪」である腐敗は、中国人の親族関係においてはむしろ「善いこと」だと思われるのだと。中国人が最も大事にしている親族関係において、腐敗は一族に利益をもたらすので「善いこと」として評価され、奨励されている以上、中国から腐敗が消えることは永久にないと言い切っている。
 「一族イズム」は親戚や友人を大事にして便宜をはかることだが、その源流は中国伝統の独特の社会集団「宗族」にある。「宗族」とは、著者によると、同じ祖先を共有する父系同族集団のことで、近代以前の数千年間、中国の基礎社会、特に農村社会に根を下ろして中国社会を形作ってきた。例えば、ある農村の家族に五人の男の子が生まれたとすると、この五人の男子が成長して結婚して独立して家を構える。中国の伝統的相続制度は長子単独相続ではなく諸子均分相続であるから、独立した五人の男子によって五つの家が誕生する。これが同じ姓を名乗って、歴代同じ土地に住み同じ先祖への崇拝を基軸にして同族意識に結びつけられた集団となる。その場合、皆が集合して祭祀を行なう「祀堂」を建て、「族譜」を作成する。このように家族を超えた集まりが宗族である。ここでは先祖崇拝のみならず、族内の統制をはかることが為され、「族規」という族内のルールを作り、それを族内の全家庭に順守させる。違反した場合、族長を頂点とする族会組織はその者を裁判にかけ、一定の処罰を与えることができる。また族内の弱い者、病人、生活能力を失った者などに対する援助と救済、あるいは孤児となった子どもの扶養も行なった。また「族産」という共同財産を作り、様々な予算の財源にした。要するに宗族は国家の役割を担ったのである。従って広大な中国に於いては中央の皇帝がだれであろうと、地方は与り知らぬというという伝統が形成された。その関係は今でも続いており、地方政府は中央政府の言うことを聞かないということが多い。
 かつて共産党が政権を取った時、毛沢東は農村の宗族を毀して人民公社を作ったが、その内、人民公社自体が宗族化するという結果になって、解散に追い込まれた。これはアメーバみたいなもので、集団化すると必ずこの「宗族」とそこから派生した「一族イズム」のパターンになる。だから習近平指導部がいくら腐敗を撲滅させようとしてもなくならないだろうと著者は言う。そもそも習近平一族が「一族イズム」によって権力を利用し、富を蓄えているからだ。この巨大帝国をこれからどうするのか。腐敗をたたくことは先述のごとく難しいし、経済は米中摩擦で下降ぎみ、軍事力誇示はリスクが高い。習近平は自身を毛沢東に擬している気配が濃厚だが、オーラがないのがなんとなく気の毒な感じがする。

評伝 小室直樹上下 村上篤道 ミネルヴァ書店 ・ 高坂正堯 服部龍二 中公新書

2019-03-05 14:46:53 | Weblog
 今回は高名な学者の伝記二編を取り上げる。伝記はその人の生きた時代の雰囲気がよく表れるので読んでいて面白い。小室直樹(1932~2010)は貧困生活の中、福島県の会津高校を卒業し京大理学部に入学、数学を専攻し卒業後は阪大の大学院で経済学を学び、1959年フルブライト留学生として経済学で有名なミシガン大学へ、1960年マサチューセッツ工科大へ、その後ハーバード大学大学院で学ぶ。経済学の泰斗サミュエルソン(『経済学』岩波書店は1970年代のベストセラー)の指導を受けた。これだけの経歴を誇っていればエリートとして、帰国後はそれなりの地位について安定した学者生活を送れるはずだが、小室の破天荒な性格ゆえ、そうはならなかった。彼の評伝が上下二部の大部なものになったのは、彼の人間関係の複雑さによるのだろうと推察する。彼にとっては学問そのものが生きがいで、ポスト獲得のために政治力を使うという発想がなかった。天才と言われながら、一生不遇だった。であればこそ、この人物の人となりを記録して後世に残そうということになったのだ。
 小室は1963年に帰国して、東大大学院法学研究科に入学し、丸山真男の指導を受ける。その後は、東大の寮に住み着いて、学問研究に励むが天才がゆえの奇行から、大学教員の口が得られずくすぶっていたが、彼を慕う学生の要望で、自主講座を開いて蘊蓄を傾けることになる。経済学、社会学、数学など彼が勉強して身につけた知識を自主ゼミで受講者に教えた。その一番弟子が社会学者の橋爪大三郎だ。その他、中澤新一や大澤真幸など、現在活躍している人々は小室ゼミナールから巣立って行った。小室はその後、光文社のカッパブックスから何冊もの本を出して、ベストセラーになったが、学界からは無視された。しかし彼にとっては、どの出版社から本を出そうと真実は一つという信念があったのだろう。そもそも学問研究と実生活のバランスをどうとるかは学者に取って悩ましい問題だが、小室は前者に比重を置いた。家庭的幸福(後年結婚して家庭を持った)に無頓着だったが、この評伝で、後世に名を残すことになりそうだ。著者の村上氏はゼミゆかりの人物だが、小室の肉声を再現することに成功している。労作と言える。
 対して、高坂正尭(1934~1996)は京都の洛北高校から京大法学部に入学、卒業後はすぐ助手に採用され、若くして京大助教授から教授になった。父正顕は哲学者で師は西田幾多郎で、後に京大の教授になった。母子家庭の小室とはかけ離れた恵まれた家庭に育っている。高坂は小室とほぼ同世代人だが、持ち前の才能を発揮して順調に学者生活を送った。彼の師は猪木正道(後の防衛大学校校長、『共産主義の系譜』の著書がある)で、スタンスはやや右寄りだが現実主義と言われるように、何が何でも憲法九条を守れということではなかった。吉田茂を評価して、歴代の首相のブレーンとして活躍した。62歳で他界したのは惜しかったが、晩年はテレビのコメンテーターとして、独特の京都弁を駆使して人気があった。高坂の場合、学問研究と実生活のバランスはうまく取れていたといえる。しかし、離婚問題で本人は相当消耗したとの記述があった。学者には良くある話である。こういう点では高坂もヒトの子という感じで、なんとなく共感してしまう。どこまでもとがっていた小室とは趣を異にしている。著者の服部氏は高坂の教え子に当たる人で、恩師に対する思いは強いと感じた。高坂が生きていれば、現政権の憲法九条をめぐる動きをどう評価したか聞きたいものだ。その流れで言えば、ここに高坂の伝記が刊行された意味は小室同様大きいと言わねばならない。