ダブルさんの「気まぐれ日記」

趣味のマラソンを中心に、その日のあったことや思ったことを気まぐれに書いています。

あの日から28年・・・

2023年01月17日 | その他
28年前の1月17日、あの「阪神淡路大震災」が起こりました。
思い出したくないけど、忘れられないし忘れてはいけない出来事です。
その時は現役で1日おきの「24時間勤務」をしていました。
1月16日の朝9時に勤務を終わり、翌日の17日の朝9時からの勤務でしたので、発災時は自宅でした。
まだ暗い5時56分、我家の2階で寝ているとこれまで経験したこともない揺れで目が覚めました。
下から突き上げるようであり、また横に揺れているような大きな地震です。
家の柱や天井裏の梁などがミシミシと音をたてて1分くらい揺れていたかな。
揺れがおさまるまで布団の上で嫁さんをかばっていました。
揺れがおさまると隣の部屋で寝ている中学3年生の二男の様子を見に行くと、まだよく寝ていました。
起こすと地震のことは全くわからなかったそうです。
長男は大学1年生で京都市の下宿していましたが、全く被害はなかったようでした。

電灯は点いたので、部屋や階段の電灯を点けて2階から1階に下りてテレビのスイッチを入れました。
テレビでは早くも地震速報が流れていました。
まだその時は、あんなに大きな被害が出ている地震とは思いもしませんでした。
我家の室内の被害もほとんどなくて、外に出て家のまわりを見ても被害はありませんでした。
その後はテレビで地震関係の速報が放送されていて、震源とは淡路島の北部となっていました。
そして6時10分過ぎだと思います。
職場から電話がかかってきて「非常召集」で直ちに出勤するよう告げられました。
当時の私の勤務地は津名郡五色町都志にある五色出張所だったので、勤務地まで車で30分足らずでです。
電話が終わった後、すぐに着替えて車で勤務地に向かいました。
途中では屋根瓦が落ちている家屋などもありましたが、道路に亀裂など全くなくてスムーズに五色出張所に着きました。

直ちに召集で出勤してきた隊員4人と一緒に管内の一宮町郡家地区へ出動しました。
郡家地区に到着すると、いたるところで家屋が倒壊したり、1階部分がつぶれてその上に2階部分が載ったりしていました。
お寺の塀も倒れ、墓地の墓石もほとんどが倒れていました。
お寺の大きな建物も傾いていて、今にも倒壊しそうでした。
街区に入っていくと、人々からたくさんの情報が入ってきます。
建物の下敷きになっている、閉じ込められているなど、救出要請が次々とありました。
少人数の隊員でしたが、地区住民や消防団員と協力して現場を変えながら救出や救助作業をしました。
無事に救出した現場や残念ながら亡くなったりケガをしていた現場もありました。
夕方の暗くなる少し前に郡家地区の救出活動をすべて終了しました。
幸いなことに火災が発生しなかったことが救出活動がその日のうちの終了したと思います。
五色出張所に引き上げてきてテレビを見ると神戸市での大規模火災が映っていました。
それまでは神戸市内や阪神間でも大きな被害を受けていると初めて知りました。

当時は救急隊も兼ねていたので、震災当日以降も震災に関連した出場も多かったです。
それと当日の活動報告を書くのも何日かかかったと思います。
仕事関係が落ち着いてきてからは、非番日の多くをボランティア活動に行きました。
救援物資の仕分けや搬送、仮設住宅が建ち始めると引っ越しの手伝いなどの手伝いをしました。
あらためて震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げます。
また被害を受けられた皆さんのお見舞いを申し上げます。

現役の時は様々な災害に出動しましたが、何といっても一番大きな災害出動でした。
近年中に発生が予想される「南海トラフ」の南海・東南海地震が、ほんとうに心配です。
大きな災害では「公助」はあまり期待できないので「自助・共助」をしっかり備えておかなければと思っています。

今日もこの日記を読んでいただき、ありがうございました。
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