「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

1986年11月14日

2011-11-14 23:27:48 | 回顧
正編終了(#718)から丸25年。

昨年、くどいほど書いたので今年はあまり書きませんが、

言いようのない喪失感と、ボス=裕次郎さんへの感謝の気持ちのせめぎ合いで、

あのタイプライター調の締めくくりを目撃して、フィクション表示を観た後、

腰を抜かしてガックリして号泣したことをまた昨日のように想い出してしまいました・・・・。

やっぱり、裕次郎さんが沖さんの事をずっと気にかけてくれていたのが嬉しかったし、

そういうファン心理を解っていてくれたという部分もありました。

だからこそ、断腸の思い的部分が非常にキツかったですね・・・。

何度も言うように、フィクションがノンフィクションと確実に融合してしまった、後にも先にも無い「最終回」だったと思います。

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静かに・・・

2011-11-06 22:57:25 | 回顧
11月6日
松田優作さんの命日であります。

黙祷・・・

昨年は結構様々なメディアで追悼特集的な展開がありましたが、今年は比較的静かな感じがします。

1989年の話ですが。
優作さんが亡くなった時は、『ブラックレイン』の好評と『華麗なる追跡』放送からわずか1ヵ月後だったので、
それまでも今も一番驚きショックだった訃報だったと思います。
まさに「絶句」でした。

私が物心ついた頃、優作さんは無論ジーパンだったという認識はありましたが、既にテレビから離れ映画の人的感じだったと思います。
確か、優作さんにハマったのが『大都会PART2』のトクさんだったと思います。
1978年頃の話。
『探偵物語』については、本放送時個人的にちょっとついていけない部分があったので、ハマったのは再放送を繰り返し観るようになった頃だと思います。
ローテーション的に太陽の再放送の次が工藤ちゃんだったという事が多かったと思います。

私の世代で優作さんに対してある意味盲目的な好意を感じる人が多い理由は、間違いなくトクさんと工藤ちゃんの存在が大きいと思います。
摺り込み的な部分もかなりあると思いますが、個人的に嫌ではなかったのは多分ジーパンの存在があったからだと思います。

なので、1982年頃にテレビに出演されていた優作さんに変化を感じた時には結構驚きました。
それまでのイメージの打破に寂しさを覚えたことも確かですが、静かでストイックな演技に惹きつけられたことも確かです。
ただ、テレビっ子の私的には、優作さんが遠くにいってしまったというのもありました。

そのイメージがずっとあっての『華麗なる追跡』でしたから、セントラルアーツ+岡田さん絡みも含め、嬉しく視聴したを憶えています。
これからの優作さんの幅広いご活躍を期待したものでしたが・・・。

あれから20年以上経過しましたが、未だにあまり亡くなったという実感が湧かないのは不思議ですが、多分没後年々色々語り継がれるものが増えていったのと、裕次郎さんが亡くなった時はある意味それまで覚悟的なものが固まっていたのと違い、優作さんの場合はそういう実感的なものが無かったからかもしれません。

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1982年10月1日

2011-10-02 08:25:41 | 回顧
ゴリさん殉職から29年・・・って、29年!?
恐ろしく昔の話になってしまいました。

黙祷・・・

昨年の今日は当時の私の事を書きましたが、
今年は作品内でふと気付いたことを。

殉職シーンの本放送時の記憶がショックで飛んでしまったのは(竜In太陽や名場面集4で思い出した・・・)旧当直室から度々書いていますが、その他に「印象」に残っているのが、ゴリさん本人の一人称を「俺」と連発していたこと。当時のゴリさんはもうベテラン刑事の域だったためか、「私」を主に使用していましたが、殉職編は主に「俺」なんですよね。
なので妙に懐かしい感じがした記憶があります。
というか、既に落ち着きが板についていたゴリさんが若返った感じがしたと言った方が解りやすいかもしれません。

それがかえって寂しさを助長させたというか。

あぁ・・・これでゴリさんもリアルタイムでは見納めなんだと。

本作の予告編を観てからずっと凹んでいました。
編集や現像が間にあっていなかったせいで、予告編専用のシーンが多く、予告編の段階ではゴリさんは「頭を撃たれるのか!?」「ハチの巣にされるのか!?」とやきもきしたものです。
でも、実際視聴すると・・・銃撃戦からあまりにも壮絶で逆に夢うつつで観ていた感じがします。
多分我に返ったのは臨終シーンあたりだと。

それに作品内の一体感がハンパではなく非常に濃厚なんですよね。
一係メンバー全員のテンションが異常に高くて、山さんやジプシーまで興奮気味だし、ドックはネクタイで決めて妙に落ち着いているし、それが緊張感を高揚させて、観ているこっちがもうカチカチになるような感じで。
ゲストも左さん、塩谷さん、粟津さん意外はお馴染みのメンバーで、銃撃戦での戸川組面々もノンクレジットですがお馴染みの面々。
今まで「闘ってきた」ゴリさん卒業を盛り立てる意味もあったと思いますが、今考えても凄いメンツです。

しかし何度思い返しても、1982年10月1日は半端ではなく凄いテンションになった1日でした・・・。

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葛藤があったからこそ観続けた?

2011-09-21 00:30:29 | 回顧
太陽本放送時の私自身が経験した「拒否反応」について、
こうやって書いてみると、やっぱり何か大きな変革期に出てきたキャラクターに対して症状が出たようです(^_^;)

マイコンにしてもあれだけ葛藤させてもらい、マミー登場前後からはある意味男性的な視点の太陽を背負っていたボギーの後任ですし、DJにしても山さんの後任ですし。

何事も長くなると人間ある程度は安定を求めるので、そういうところにハマってしまった感じがしますが、こういった拒否反応を乗り越えて太陽は視聴し続けなければならないというシンドイ面もあったわけで、その点、太陽と云う番組は厳しい番組であったと思います。

いや、本当に好きだったり、尊敬していたキャラクターが死んでいくのは辛いですよ。

それに、スニーカーにしてもラガーにしてもボギーにしても最後(死や別れ)を観るのは一層辛いものがありました。

ただ、個人的にどうも押し出しの強いキャラには拒否反応を示すという傾向があるようです・・・まあ、保守的ではあるので(^_^;)
逆に他のメンバーについては、お馴染みだったり、安定感があったりして、安心して観ていられたので症状が出なかったと。

ドックにしても変革期に登場したにも拘らず症状が出なかったのは、多分見慣れていたからだと思いますし、ジプシーもトシさんもそれに準じた感じでした。
ブルはまさに太陽っぽいキャラクターであると思っていますし。

個人的にロッキー以前は受け入れのみの状態だったので、基準的には「面白い」「カッコイイ」「馴染みやすい」が基準だったと思うので、そこに葛藤などが入りこむ余地が無かった感じです。なので、スニーカーのインパクトは太陽自体の変化と相まって強烈だったものと思います。

私が「太陽中毒」を名乗っているのはこの辺りの葛藤込みで太陽から抜けだせないということが理由なんで(^_^;)
なので、ファンとしては多分相当不真面目な方かと思っています。
そういう意味でも、ヒーロー的目線では観ていなかったですし、今でも観ていないかもしれません。
まあ、幼児の頃から刑事モノを愛し、土曜ワイド劇場を観て、必殺を観て、小学生の分際で11PMを観て、よみうり時の藤本義一氏を観て楽しんでいた男の末路です(^_^;)

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どこの世界でもあることかも。

2011-09-20 21:58:44 | 回顧
太陽でも俳優として活躍なさった高瀬将嗣氏率いる高瀬道場が40周年だそうです。
今や技斗集団として高瀬道場の存在は大きくなりましたね。
でも、高瀬さんって太陽ではアクションに関係ない「アパートの隣の住人」役が相当多かったので、ちょっと後になってバリバリのアクションを披露していたのを目撃した時はビックリしました。


話題変えまして、

先日、ボギーに対しての登場当初の葛藤を書きましたが、想い出してみるとまだ同じようなことはあったと思います。
ボギーの時はタイミング的にもインパクト的にも強烈だったので記憶にハッキリ残っていましたが、多分私の最初の葛藤というか違和感を感じた新人刑事が、
スニーカーだったわけです。

ボン・ロッキー「政権」が長かったので、その変化への拒否反応とボンを亡くした寂しさからくるものと、メインテーマ変更のインパクトがかなり強烈で、しばらくドンヨリとしていたのを憶えています。
多分その拒否反応が無くなってきたのが「右往左往」辺りだったと思います。

次はラガー。
あの押し出しに拒否反応(^_^;)
当初は慣れなかったスニーカーもすっかり好きになっていたので、尚更なんですよね。

ボギーの後はマイコンだったと思います。
先入観は捨てていたはずなんですが、それでもと云う感じだったと思います。

いろんな面で「露骨」な人事だったので、あるTV雑誌は新刑事に対しては異例の皮肉記事を載せたり、正直これで良いのか?と思いましたが、良純さんは西部署よりご本人の特性を生かしてマイコンに挑んで個人的にはすっかりそんなことなど忘れてしまいました。
多分1985年初頭あたりは全く気にしていなかったと思います。

後はDJでしょうか。
実質的に言えば山さんの後任が新人刑事ということ、そして欽ちゃんファミリーという「狙った」感じの人事ということで、太陽に必要なキャラクターなのかと疑問に思ったものですが、登場編で吹き飛びました(^_^;)

ゲンキンなもので、これらのキャラクターは後にすっかり「愛すべき」になってしまっていました(^_^;)

「好き」と「嫌い」は紙一重。
人間、ことごとく修業です(^_^;)

しかし、太陽人事というのは巧みなんですよね・・・本当に。
ちゃんと太陽に溶け込ませるんですから、凄いです。


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恩人・ボギー

2011-09-20 00:17:57 | 回顧
9月。

この時期になると毎年、画面に映るボギーへの葛藤を想い出します。

1982年の今頃は、太陽変革の渦の中で生粋の太陽ファンはもがいていたのではないかと思います。
それこそ、太陽から卒業しようかどうしようか。
それだけ、カナダ編の高揚感と長さんとロッキーが去ったことは非常に終末感(祭りの後のなんとやら)がありましたが、まだゴリさんが居たので辛うじてという部分もあったりして、ゴリさんの殉職を知った段階で、太陽に対しての不安というのが湧きあがってきました。

不満というのは無かったと思います。既にその辺りの人が変わることに対しての受け手として視聴者として、ユーザー的心理的欲求なんていうものは裕次郎さんの入院時に完璧に無くなっていました。なので、もう完全に観続けるというのは頭にありながらも、あの劇的な変化に対する自分自身のストレスを一体どこにぶつければいいのか、と云う部分で、ボギーはその私の不安心の矛先になりました。

確かに#521は面白かった。

それでも非常に終末感を感じていたのは、2人の縁の下の力持ちが居なくなったのもありますが、ゴリさんの落ち着きが妙に寂しかったり。
ボギーはちょっと力が入り過ぎた感じで、これまでのチームワークの流れから比べると非常に異端に感じたものです。

これが「狙い」だというのは解っていました。スコッチとは方向性の違う異端。
やっぱりどうしたって、観ているこっちは不満と云う部分とはちょっと違った、
「何なんだ?この新入りは?」的な目線があるわけで、今までの世良さんのイメージとは違った、「見た目」カッコ悪いボギーの姿に不安を感じたものです。

ちょっと作り過ぎてない?
正直、そんな不安を抱えながら話は進んでいきますが、正直ボギーよりゴリさんを見逃さないという意識の方がはるかに高かったと思います。
ただ、ボギーは観たく無くても眼に入ってきたので(^_^;)
それが功を奏したのか、ボギーにも急激に「慣れて」行くわけです。
ただ、違和感は払拭出来なかった。
#523ではゴリさんのことをキザと云ったボギーにも驚きました。
ゴリさんがキザ・・・考えもしなかったことで。
この頃からある側面ではボギーに注目していた感じはあったかもしれません。不器用だけれども泥臭く突進する彼の姿に感銘を憶えていたのかもしれません。
ただ、異分子的な拒否反応はまだあったと思います。
これがもしゴリさんとボギーの絡みが無かったら、ひょっとするとボギーに対しての見方は最後まであまり変わらなかったかもしれません。
それだけ、ゴリさんとの関わりがその頃の私にとっては重要だったと思います。
#524辺りになると、前回の流れからかボギーに対してあまり違和感を感じなくなっていました。
ただ、ゴリさん殉職後はボギー関係なく太陽視聴が非常に重かったのは事実でして、辛かったです。

この辺りがきっかけで、太陽を卒業なされた方がかなり居られるのは事実、私もあの流れであれば太陽から離脱していたかもしれませんが、別なターボ(写真集の一気買い等)があったため惰性で走っていた感じもありました。それに、私には明らかに画面からも無理や疲労が感じられた山さん・ドック・ラガーを置いて離れるのはちょっと出来なかったですが、正直、太陽は大丈夫なのかという疑問は湧いていました。

そういう蟠りというか不安というか疑問を払拭してくれたのが、「検問突破」でした。

ボギーのカッコ悪さというか不器用さがクローズアップされる話なのですが、登場当初の作られた感じがかなり無くなっていて、世良さんご本人的の素のカッコよさが出ていた感じがして、かなり引き込まれて観ていました。
そしてあのクライマックスの「あんたら汚ねえ、利口すぎるんだよ」を聞いた時にビクっとしたんですよね。

当時のメンバーは皆器用だったし、優等生的な面子が揃っていた中でのボギーは非常に異端だったし、それを不安視すらしていましたが、そもそも太陽に登場するメンバーというのは、性格的に様々で、それが化学反応を起こして話が面白くなると言うのが醍醐味だったはず。
それを考えるとボギーは正統派の太陽キャラなんですよね。
それが結局長年馴染んだメンバーの相次いだ降板劇によってすっかりそちらの方に神経が走っていたわけで、そういう色々な事柄を引き摺ってボギーを色眼鏡で観てしまっていたということに気付きまして・・・。

多分、それは作り手もある程度は解っていたんじゃないでしょうか。
そうでなければ、こういう話はもうちょっとボギーが落ち着いてから作ったのではないかと。

そこからもう偏見や先入観で太陽キャラクターを迎え入れるのは止めました。
それが損だと言うのにも気付きましたし。

それからボギーは急に好きなキャラになりました(^_^;)
まあ、ゲンキンなものです。。。。

太陽を観続けることが出来たのは、ボギーと「検問突破」のおかげです。

・・・

異端新刑事への反応というのは、恐らく年代の問題なのかもしれません。

スコッチの頃は正直幼児だったので、カッコイイとしか感じませんでしたが、諸兄姉の一部の方はやっぱり違和感を覚えたと聞いたことがあります。

多分思春期にこういうキャラクターに当たった場合は葛藤というのは付いて回ったのかもしれません。

私の場合運よくあの変革時期でボギーに当たった為にその強烈さが逆に太陽視聴的には良かったのかもしれません。

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ロッキーはある意味太陽の顔だった

2011-08-20 17:39:22 | 回顧
高城淳一さんのご逝去で、大都会シリーズの役付き上司の存命者は滝田裕介さんのみになってしまいました。
時代の流れなので仕方ないですが、太陽・西部シリーズも含め、味のあって一癖も二癖もある年長の方々が旅立たれるのは寂しいです。
この歳になると、若手や中堅どころの脂ののった演技も良いんですけど、年長パワーのいぶし銀の演技も欲するんですよね。
NHKの大河はどうしても若手偏向傾向なのですが、テレビ小説の方は相変わらずバランスが良い感じでどうしてもこちらの方を観てしまいます。
白川由美さんはいつ観ても知的で軽快ですし。

そういえば、岡田晋吉さんが仰っていましたが、
露口さんはお元気だそうなのでご安心ください。
たまにお会いになられているそうです。

話を変えますが、

今日はロッキーの命日。

黙祷・・・・。


私の感情移入しやすいキャラクターであり、長さんと共に、「太郎フェチ」「ヒゲフェチ」を名乗らせて頂いています。

それは派手に人気があった訳ではないから、心情的に・・・と云う訳では間違いなく決して無く、

ただ単純に好きでたまらんし、かつどうしても本編での動向が気になりすぎるキャラであることからきています。

これは当時も今もあまり変わりは無いような気が・・・(^_^;)

なので、1982年8月は私にとってある意味どうしようもない転機的な側面もあった気がします。

正直言うと、10周年を機にフェチ対象である長さんとロッキーが去ったことに関しては、受け入れがたい事であったばかりか、付いていくのにやっとだったと思います。確かにいっあんも好きなのですが、「ボギー刑事登場!」に関しては、ドックと同じ錯覚を感じたものです。
そしてゴリさんやラガーと同じく、部屋が広く見えたものです。
やっぱり、失くして解る偉大さというか・・・ボギーひとりでは購えない歴史的側面というか。
それでも、新しいメンバーを迎えて進むという苦しさと新鮮さというせめぎ合いというか。
こういう感覚はちょっとドラマでは味わえなかったと思います。

カナダロケは話的なリアルさは抜きにして、完全に演者の勢いが画面から飛び出ている逸品ですから、完全に祭り状態的なもうどうしようもない高揚感があったと思います。
にっくき杜丘は今でも憎いし(^_^;)
派手さ、悲しみ、怒り、喜怒哀楽が全て入っているような感じと云ったら良いのでしょうか・・・。

太陽全体的ファンが、未だに1982年を背負って生きている部分があるのは、その観ている方の必死さというのを身にしみて憶えているからだと思います。
それに、この年の作品は単純に面白いですし。

ロッキーね、
個人的には殉職するとは信じたく無かったです。
妻子持ちですし、もうベースキャラクターとして確立してましたしね。

けれども一方では、今年はもう殉職するのではないかという予測は、降板報道の前から思っていたことは確かです。

ただ、まさか長さんの勇退や、ゴリさんの殉職があるなんていうことは想像すらしていませんでした。

男ながらもこの年はかなり号泣しました・・・。

あの年は熱かったなぁ・・・。

そういえばロッキーって、別名が初めて付いたキャラクターでもあったり。
別名といえば、ドックが命名したものが有名なんですが、ロッキーの場合はもちろん「ヒゲ」
ボスとボンだけでしたが、別名としては多用されたと思います。
ドックの場合はドック専用の呼び方でしたからね。
それだけ親しみやすいと言う証だったと思います。

木之元さんも未だに太陽関連で積極的に動いておられるので非常に有り難いです。

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本当は厳しく寂しい作品だった

2011-08-02 07:09:44 | 回顧
ラガーの命日ですね。

合掌・・・

新人刑事の在り方としては少々邪道(早く殉職させた方がラガーが新人刑事として活きたというご意見ややはり体型的部分)な部分が後々あったラガーですが、スーツで活躍するようになる前後(マイコン登場後)からは何となく彼が新人だった頃の鬼軍曹(^_^;)、ゴリさんを継承した部分があって密かに嬉しかった記憶があります。
それに、オリジナルメンバーが殆ど居なくなった後の「太陽」イズムをある意味継承する部分もありましたし、ムードメーカー的部分を担うかなり重要な人物だったというのがラガーへの私の踏まえ方なんですよね。

ただ、殉職については1985年になるのではないかという予測は恐らくファンではなくとも覚悟していた部分はあったと思います。
しかし、いざ報道をみると、やっぱり残念でした。
もっと、ゴリ・ラガーを見たかったという思いはありました。

裏話は結構華やかな殉職編ですが、壮絶で淡々としていて、寂しい作品でした。

徹さんの御希望だったようですが。

この事件は黒幕が逮捕されないある意味「未解決事件」なんですよね・・・。

そういうモヤモヤも残って、結構厳しい殉職編でした・・・・私にとっては。

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グリコ・森永事件

2011-07-29 21:44:54 | 回顧
「グリコ・森永事件」

先ほどNHKスペシャルで「未解決事件」としてドラマとドキュメンタリーが放送されていましたが、面子がなかなかいいです。
やっぱりこういう硬派なドラマはNHKの独壇場になってきた感じが。
クルマも時代考証がちょっとズレている部分がありますが、3代目マーク2をよくぞあそこまで集めたと言う感じで。
次回は港303も登場するようで・・・(^_^;)

当時を想い出すと・・・。

太陽のスポンサーとしてグリコはサッポロビールの降板後にボン・ロッキー編の1978年初頭あたりから加わっていた為、太陽ファンとしては身近な存在でした。
本編にも商品が登場して、特にドック登場以後は積極的に新製品が使用されていました。
アーモンドチョコレートが主にCMとして流れていたので、聖子ちゃんも結構身近な感じではありました。
徹さんもCMに登場してましたし。

実際、私の身近で売られていたグリコ商品は・・・安売りを殆どしないので口に入る機会が少なかったです。
なんで、憧れだったんですよね・・・ある意味。

「グリコ・森永事件」は、1984年3月18日に当時のグリコ社長の誘拐から始まっていましたが、私の記憶では、ボギー殉職周辺とダブっています。
なので、当時のファンとしては両方でショックだった部分はあったと思います。
5月には青酸ソーダ混入の脅迫状が公表され、グリコ製品が全て撤去されましたが、
その直後に太陽からもグリコのCMは無くなり、金鳥などの代りのスポンサーが入っていたと思います。
(この辺りは、覆面車の後期型60系セリカXXとダブります。)
でも、中野のまんだらけで入手した台本では少なくとも「ドリーム」までは江崎グリコの表記があります。
記憶ではこの頃は既にグリコのCMはやっていなかったと思うのですが・・・・もしかするとまだ正式に降板したわけではなかったと思います。

事件に話を戻すと、
あの脅迫文もキツネ目の男も、強烈でした・・・でも、あれだけ顔を晒しているわけだから、すぐに逮捕されると思っていましたが・・・。
他の食品会社に犯行が波及していく中、日本中が翻弄されている感じがしましたが・・・それでも何とかなるのではないかと思っていましたが。
正直御宮入りになったのが信じられませんでした。

販売再開したグリコ商品のパッケージの変化は今でも覚えています。
一度開けたらすぐわかるフィルム梱包。
たしかそこまでやったのはグリコだけだったと思いますが、その真面目から何とも言えないもの悲しさを感じたものです。


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13日の金曜日

2011-07-13 07:09:39 | 回顧
命日が続きます。
本日はマカロニとボン。

13日金曜日というのは英語圏とドイツ、フランスなどで不吉な日とされているそうですが、ファーストシーズン(マカロニ編)でまさかこの日がめぐってくるというのは奇遇そのものだと思います・・・。

マカロニの死は無論物心ついた時に観たのは再放送でしたが、物凄い衝撃を受けた記憶があります。
怒涛の展開、ゴリさんが重体になったり、山さんの熱い行動、MS41クラウンのカーアクション、マカロニの呆気なく、そしてお世辞にもカッコイイとは言えない死。そしてマカロニの骸を囲んでの涙の現場検証・・・・。
全てが当時ガキンチョだった私の想像をはるかに超えた衝撃。
以後この作品はなんというか一種のトラウマ的なものになりました。

ボンの時は、約3年ぶりの殉職劇とあって当時各所で話題になっていました。
私の中でボン自体がもう一係には無くてはならない存在だったので、かなり憂鬱になったのをハッキリ憶えています。
それに、殉職前までの作品群の熱気も手伝って、かなり興奮して観ていた記憶があります。
それも、我が家引っ越し直前で、段ボールの山の中での視聴。。。。
ボンが被弾してから、絶命するまでが長いというご意見があるようですが、私的にはあれはボンの生きる執念の表れだと思っています。
こっちはボロ泣きでしたね。

未だにヒゲ(ロッキー)フェチなのは、その後にひとりアパートで縫物をするなど寂しい思いをしたロッキーと心情的に合致したんじゃないかと・・・。


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