
strong>晩春をヌード気分のマヨネーズ 小枝恵美子
春もようやくたけなわを過ぎ、どこか気だるいような雰囲気のなかで、卓上に「マヨネーズ」の入ったポリ容器が立っている。「ヌード」は単なる裸体を言うのではなく、そこに審美的要素が絡む概念だ。流線型の容器の形といい、薄く透けて見える卵黄色といい、たしかになまめかしい感じがする。この句のよさは、おそらくは誰しもが何となく感じているマヨネーズのなまめかしさを、ずばりヌードと言い切ったところにある。さらにマヨネーズを擬人化して、マヨネーズが勝手にそんな「気分」になっているのだと思うと、可笑しくも可愛らしい。もしも、句のマヨネーズにキューピー人形のマークが付いていたとしたら、もっと可笑しいだろうな。なまめかしさとは無縁のキューピーちゃんが、一所懸命大人ぶっている図には微笑を禁じえない。あれはメーカーがマヨネーズを健全なる家庭に普及さすべく、なるべく本体のなまめかしさを打ち消すために採用した苦心のキャラクターではあるまいか。感覚そのままに成人女性のヌードでは具合が悪いし、かといって、あまりにも違うイメージではもっと具合が悪いし……。と、そんなことまで考えてしまった。ところで、いまでこそどこの家庭にもあるマヨネーズだが、四十年前くらいまではなかなか受け入れられなかったようだ。全国マヨネーズ協会の調査によれば、一人当たりの年間消費量は、1960年度でたったの151グラム。それが2000年では1895グラムと、10倍以上に跳ね上がっている。少年時代の私は、マヨネーズの存在すら知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)
三春の一つ、春の終わりの季節でほぼ4月下旬頃。行く春。季春。春の終りの、どこか物憂い感じもある。
例句 作者
晩春の登りつめたる峠の木 廣瀬直人
晩春の旅よりもどる壺かかへ 青柳志解樹
晩春の瀬々のしろきをあはれとす 山口誓子
そろそろと春もをはりのやうに見ゆ 今井杏太郎