桜餅
最近、スーパーで桜餅をよく見かけるようになった。見るとなぜか食べたくなる。
餡が「平たい皮で巻かれているもの」と「完全に包まれているもの」の2種類ある。写真の右が、関東の桜餅(関西では長命寺餅という)、左が関西の桜餅(関東では道明寺餅という)。
「蘊蓄」のため、さらに調べてみると、
長命寺餅は、長命寺で門番をしていた山本新六という人が享保2年(1717年)に売り出したという。長命寺自体が作って売っていたのではなくて、お寺の門前で売り出したのだな。そのお店が「山本や」として続いている(ホームページを見ると、お店は、今も長命寺の傍の東京都墨田区向島5-1-14にある)。この桜餅は、小麦をのばして焼いた薄皮で餡を包み、これを3枚の桜の葉で包んだもの。お店では、桜の葉は、香りと塩気を餅に移すとともに餅が乾くのを防ぐためのもので、桜の葉は3枚とも食べずに残すことを勧めているとか(もちろん、葉を食べる食べないは自由とされている)。3枚もの葉で包まれているので、2枚を残し1枚を食べるという人もいるとか。たしかに皮が薄いので乾いて固くなりやすいのかもしれない。お店では、販売が主だが、食べることもでき、桐の箱に入って出てくるという(煎茶付きで1個300円)。
「1888年(明治21年)の夏、境内にあった桜もち屋月香楼の二階に、正岡子規が仮寓していたことがある。子規は三か月あまり滞在して、『七草集』を書いたが、その「蕣(あさがお)の巻」に含まれる子規唯一の能作品に登場するシテの女のモデルが、月香楼の一人娘山本陸(やまもとろく)である。陸は当時15,6歳で、子規の思慕の対象として噂の種となった。」という話がある。「花の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ」と詠んだという。
他方、道明寺餅には、道明寺とは直接のつながりはなく、単に道明寺粉を使って作られている餅とのことのよう(ウィキペディアには「長命寺の人気にならって大坂では北堀江の土佐屋に天保の頃に現れた」としている)。
なお、道明寺粉とは、もち米を蒸して乾燥・粉砕した粉(道明寺は、大阪府藤井寺市にある)。「道明寺糒(ほしい)の起源は菅原道真公の伯母上が、この寺に住んで居られ、道真公が築紫に左遷された後、毎日、伯母の覚寿尼が九州に向ってお供へされたご飯のおさがりを、分かち与へたが、これをこれをいただくと病気がなほるといふのが評判となり、希望者が多くなるにつれてあらかじめ乾燥、貯蔵するようになったのが糒のはじまり」だという(道明寺は、神仏分離で、明治に道明寺天満宮と道明寺に別れた)。