快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光慶(十五郎)が天海そのものか或いは関係が深いとしか考えられない複数の事実

2020-02-15 09:51:13 | 明智光秀
 明智光秀の嫡男、明智光慶(明智十五郎)が天海になった可能性が高いと私が考えている事は以前の記事の中で書きました。
 年齢から見ても明智十五郎の生まれが1569年頃とする史料も有るようなので、天海が死去した1643年を考えると大体74歳と言ったところなのでこれならふつうかやや長寿と言う事で違和感は無いと思えます。
 それまで天海だった人から明智十五郎に途中でバトンタッチされたのか、それとも明智光慶(十五郎)が天海の黒幕となって政策等を指示していたのか、それは定かではありませんが、どちらかと言えば前者ではないかと考えています。そして仮にそうでなくても関係がかなり深かった事は確かだと思っています。
 千葉県市原市不入斗にある明智光秀の側室の名がある墓には明智重五郎の名も刻まれており、これが明智十五郎と言う表現でないのは露骨な一致表現を避けた為と考えています。
 この墓は万木城や行元寺のエリアと江戸城(現在の皇居)や増上寺のエリアのほぼ中間に位置し、これも天海の「こだわり」がわかるような気がする一因です。
 実はそれだけでなく、この不入斗(北緯35度45分3秒 東経140度6分20秒35.45あたり)と皇居の延長上には喜多院(埼玉県川越市にある天台宗の寺院 北緯35度55分3秒 東経139度29分20.3秒)と言って、天海が明らかに暫く住職となっていた所が有り、しかも当時の江戸城(北緯35度41分17.97秒 東経139度45分15.72秒)や増上寺(北緯35度39分26.7秒 東経139度44分53.8秒)は不入斗と喜多院のほぼ中間にあるのです。
 そして驚くべき事に天海が当時において住職を兼任していた江戸崎不動院(茨城県稲敷市江戸崎[1]にある、天台宗の寺院)は上総土岐氏と関係の深い行元寺(北緯35度18分44.3秒 東経140度17分21.9秒)のほぼ真北に有ります。
 そして更には江戸崎不動院の北緯はややずれてはいますが、喜多院に近い位置なのでほぼ東に有ると見ても良いかも知れません。
 そして更に驚くのは天海がかつていたとされる長楽寺(群馬県太田市世良田町にある天台宗の寺院 位置は北緯36度15分47.1秒 東経139度16分37.7秒)は東経がかなり近く若干ずれてはいますが、喜多院のほぼ北に位置、そして更にこの長楽寺のほぼ真東には天海が大きく関わったとされる水戸東照宮(北緯36度22分21秒 東経140度28分24秒)が有ります。
 ここはかつて常陸土岐氏の所領だった所で有る上、徳川御三家である水戸徳川家の所領でもあり、しかも常陸水戸藩の初代藩主は家康の十一男である徳川頼房。
 土岐頼芸や土岐頼春などでわかる通り、土岐一族の好きな「頼ちゃんシリーズ」の名なのです。
 これらの位置関係などから天海の「こだわり」と明智光慶(十五郎)の深い関係、更に明智重五郎の名が有る墓の存在意義もそれなりに理解できて来ると考えています。


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