快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  小笠原諸島西方沖を震源とするMw6.3の地震発生

2023-01-16 18:44:00 | 火山 地震 津波 
 先程、小笠原諸島西方沖を震源とするMw6.3の地震が発生しました。
 尚、Mjは6.1のようです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

12345678910›»
2023-01-16 04:49:53.4 29.02 N 139.31 E 418  6.3 伊豆諸島, 日本地域
2023-01-15 22:30:00.8  2.06 N  97.96 E 40  6.2 インドネシア 北スマトラ島
2023-01-15 12:04:17.7  14.92 S 166.95 E 30  5.6 バヌアツ

引用終了

 前回の記事、サブタイトル「北半球の気になる地震空白期間 そして新月のスーパームーン
」で書いた空白期間はこれで終了となりました。
 日本エリアのこの地震の前に北スマトラ島でMw6の地震が有りましたのでこれも北半球でしたが、いずれにしても新月とその前後5日より多少早く空白期間が埋まった事になります。
 そして明日がスーパームーンである新月の5日前となるわけですが、今後どうなるでしょう。
 再び寒気が到来するエリアが多いようなので、寒さや雪の時の地震も考えた備えをしておくに越したことはありません。
  

仕組みとアプローチ -  北半球の気になる地震空白期間 そして新月のスーパームーン

2023-01-15 09:24:39 | 火山 地震 津波 
 このところ北半球でMw5.5以上の地震が発生していません。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

                        Depth Mw
2023-01-12 16:28:51.3 22.00 S 179.77 E 597  5.5 フィジー諸島南部
2023-01-12 06:19:11.5 30.63 S 71.29 W 50  5.5 コキンボ, チリ
2023-01-11 16:17:46.6 49.89 S 114.18 W 10  6.0 南東太平洋上昇
2023-01-11 11:30:28.2 23.21 S 175.23 W 10  5.6 トンガ地域
2023-01-11 08:39:55.9 14.78 S 166.84 E 25  5.8 バヌアツ
2023-01-10 05:24:49.3 14.94 S 167.33 E 114  5.7 バヌアツ
2023-01-09 17:47:35.0  7.08 S 129.97 E 104  7.6 ケプラウアン・ババール, インドネシア
2023-01-08 12:32:42.6 14.86 S 166.89 E 26  7.0 バヌアツ
2023-01-06 11:52:37.2 24.85 S 179.95 W 492  5.9 フィジー諸島南部
2023-01-05 14:25:52.8 36.51 N 70.83 E 195  5.9 アフガニスタン、ヒンドゥークシュ地域

引用終了

 Mw5.5以上の地震については今月5日に発生したものが最後でその後10日近くは南半球を震源とする地震とする地震のみとなっています。
 こういう状態がいつまでも続jくとは考えられません。
 今月22日は年間最大新月でしかもそれがスーパームーン。
 少なくとも2004年以降についてはですが、北半球は満月よりも新月の時の方が目立つ地震が多い事は以前の記事で書いた通りです。
 地震は多くの要素の合算で発生するものなので、必ずしもこの期間に目立つ地震が有るかどうかについて確定的な事は言えないのですが確率からするとと言う程度で、この新月の日とその前後5日間はやはり要注目と見るべきと考えています。

仕組みとアプローチ -  家康の安全は保障されていたはずの桶狭間の戦い

2023-01-14 08:32:11 | 家康
 前回記事で多少触れましたが、家康と桶狭間の戦いの状況について記事にします。
 結論から言うとですが「桶狭間の戦いでは家康の安全は保障されていた」と言うのが個人的な見方です。
 何故か? それはまず桶狭間の戦いで信長の織田勢が勝利するようにするお膳立ては多くを水野信元が書いていたと思っているからです。
 自分はこの戦いの台本作家となる重要人物の一人が水野信元であったと思っているわけです。
 桶狭間の戦いの場所自体がそもそも水野信元の所領と織田方と今川方の城や砦の交錯するエリアであり、しかも当時の水野信元は知多半島を実質支配していました。
 仮に今川義元が桶狭間の戦いで勝ってしまむと水野信元は知多半島を今川勢に封じられてしまう事になり、信長の織田勢とは分断される方向に動いてしまいます。
 これはつまり水野氏が今川勢に専従する度合が高くなるわけで、それまでのようにやや織田よりでありながらも織田方と今川方の中間に近いようなある程度の独立性を保つ事ができなくなるはずなのです。
 なので当時の水野信元は織田方にかなりシフトしていたはずであり、そうした状況で表にはあまり出ずに裏方で織田方を勝たせるように仕向けるように動いていたと言う事になります。
 そして家康の伯父である水野信元は「織田方が今川方に勝利、或いは有利となるようなお膳立てをする見返り」として「家康を安全を条件とした」のではないかと考えています。
 だからこそ桶狭間の戦いで今川方が総崩れで大敗となっても織田軍は家康の軍勢を掃討しなかったと言う事になります。 
 つまり最初から家康の安全は保障されていたのではないでしょうか?

仕組みとアプローチ -  サッカーと桶狭間の戦い

2023-01-14 07:32:25 | スポーツ
 今日、Gooブログをログインしてみたら「お題投稿、募集中!」となっている1つにサッカーと有ったので、サッカーに関連する事で更に家康にも関連する話を記事にしてみようとなりました。
 サッカーは去年W杯カタール大会で盛り上がったわけですが、「勝利する仕組み」について桶狭間の戦いと共通点が有ると気がつきました。
 結論から書くとそれは「相手を油断させるようなエサを与えて、本陣の守りを手薄にし、相手が防御体制を十分に敷く前に大将を討ってしまう」と言うものです。
 桶狭間の戦いでは、家康が大高城に無事兵糧入れを出来、初戦では今川方が勝利していた為、今川軍は油断して乱取りで兵を分散させていたり、大高城に将兵を分散していたなどにより本陣が手薄になっていました。
 暴風雨が一時有ったと言う事も有ったのですが、織田軍は囮となる正面部隊と、もう一つは裏手の林から奇襲をかける「中入り部隊」に別れ、今川勢が織田方の正面部隊が未だ突撃して来ていない事で更に油断している所に林の中から奇襲をかけた「中入り部隊」によって、ただでさえ数が少なく、更にあまり戦闘体制でなかった今川勢は総崩れとなり、大将である今川義元が討ち取られて大敗してしまった、と言う見ているのは以前の当ブログ記事で書いた通りです。
 ではサッカーですが、やはり相手チームが攻めて来るのをある程度容認しながらも得点させず(或いは相手チームが本当に優勢で攻めていた場合もある)、その時に相手チームが油断して守りの人数配分が減ったり、或いは守りの選手がセンターライン付近前後までに出て来てしまい、守りが手薄になった所に、ボールを奪った側が速いパス回しやカウンター攻撃などでアッと言う間に相手チームのゴールにシュートを決めてしまう、と言うパターンが多かったですね。
 逆にうっかり守りを手薄にしなかったが故に日本に負けなかったのはコスタリカ、と言う所でしょうか。
 桶狭間の戦いでも長篠の戦いでも負けた側は拠点が2つ以上に分散していて本陣に兵力を集中できていません。
 サッカーで負けるパターンと似ているわけで、戦国時代以前からの戦いとサッカーの試合では勝敗の仕組みが似ている感じがします。
 尚、家康と桶狭間の戦いの状況については気が向けば今後の記事にしてみたいと思います。

仕組みとアプローチ -  巨大地震と干支は関係有るのか?

2023-01-12 07:29:25 | 火山 地震 津波 
 今年の干支は兎。
 干支と巨大地震に関連性が有るのか?についてまず思い出すのは2011年の東日本大震災。
 遠い過去には1891年の濃尾地震が有ります。
 ですがその他の巨大地震は何も兎年に発生しているわけではなく、関連性は無い、と見ています。
 他の根拠として考えられるものに「太陽の黒点周期」が有ります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%91%A8%E6%9C%9F
太陽活動周期は、17年間太陽を観測し、太陽黒点の数の周期的な変化に気づいた1843年にハインリッヒ・シュワーベが発見した。ルドルフ・ウォルフはこれらの現象を研究し、ガリレオ・ガリレイらが最初に黒点を観測した17世紀初頭まで周期を遡った。ウォルフ以降、太陽天文学者は太陽黒点の数を指標として用い始め、これは現在でも続いている。

「太陽活動周期リスト」も参照
太陽極大期と太陽極小期は、それぞれ太陽黒点の数が極大、極小になる時期を示す。個々の太陽黒点の周期は、ある極小期から次の極小期までの期間で区切られる。
最近まで、1699年から2008年までの309年間で、28の周期があったと考えられ、その平均の期間は11.04年間であるが、最近の研究では、そのうち最も長い期間(1784年から1799年の第4太陽周期)は、実は2つの周期に分けられ[1][2]、平均期間はわずか10.66年間であったことが示されている。観測された周期のうち短いものは9年、長いものは14年であるが、1784年から1799年が2つの周期であったとすると、短い方は8年以下となる。変化の幅も様々である。

引用終了

 仮に太陽活動周期と巨大地震に関連性が有ればの話ですが、干支と巨大地震は関係ない事になります。
 ただ干支である12年周期とは10倍すれば120年。それは10.66や11.04を何倍かしてその前後のブレを考えればある程度は該当する年も有るわけです。
 それは丁度、東日本大震災と濃尾地震の間隔になるわけですが、では1891年の更に120年前にどんな巨大地震が有ったのか?となると、1771年の 八重山地震(明和の大津波)が発生して多くの犠牲者が有りました。
 ならば前の1651年や1551年に何かあったか?と言うと特に記録になっている巨大地震はありません。
 なので干支と巨大地震は特に関連性があるわけではないが、しかし「兎年に巨大地震が無いと言うわけではない」と言う事となります。
 最近についてですが、どうも太陽の活動が活発になっているようで、これは注目すべき点です。
 コロナ質量放出や太陽フレアの規模が大きくなった場合に要注意である事は言うまでもありません。