爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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傾かない天秤(1)

2015年09月17日 | 傾かない天秤
傾かない天秤(1)


 物語という架空の世界。赤ずきんちゃんは試練に遭い、子豚たちは不器用そうな手でそれぞれの家を建てる。人間は運命という磁石をわざわざ介在させ、波風を立たせながらも、スムーズに読んでもらうことを念頭に置く。

 ぬか床に、キューリを二本だけ放り込む。それは後年、どういう味わいを身につけるのだろう。神も知らない。記述する者もこの時点では把握していない。風船に印字された模様の如く、膨らんでみなければ判然としないのだ。見果てぬ異性の下着のデザインの緻密さとも呼べる。

 複数の女性から愛される男性がいる。同じ時期に。反対にもぐらのように陽光を浴びない男性もいる。あなたの職場の片隅にも。授業を受けている姿が映る高校の教室のあそこにも。わたしは外から窓のなかを眺める。わたしというのは外界に発揮するための喜怒哀楽を有した肉体をもっていない。意識だけの存在だ。運命を傍観して、そのことを研究者の態度のように入念に事細かく筆記する。ぬか床は試験官に変わり、軽やかに左右に振りまわす。あるものは見事な結果を引き出し、別のあるものは間違った分量の絵の具を組み合わせたように真っ黒になる。

 ある男子生徒がいた。彼は主役ではない。ふたりの女性を導くためだけの存在である。しかし、輝いている。スポーツをする際の計算された髪の乱れ。ダビデ像のような肉体。ひとを寄せ付ける笑顔。となりのクラスでは歴史の授業を受けながらひとりの女性がうっとりと彼のことを考えていた。そのひとつ向こうの部屋にも数学の問題を小さなあたまから排除して彼との今後を、美しくなる未来を想像しているひとりの女性がいた。わたしはふたりの女性を交互に見つめる。どちらとなら木山くんは幸せになるのだろう。幸せというものをわたしは多く目にして、不幸せも同程度、見つめてきた。数千年の間。わたしはもっと引っ込み思案であるべきなのだ。来る日も来る日も単調な仕事に追われるひとのように、片付けることだけを最善にすればいいのだ。だが、わたしは好奇心を与えられ過ぎた。報告する必要のある調査は机のうえに山積して滞っている。

 木山くんはあくびをしている。その様子すら爽やかであった。ふたりの女性はその動きを見てはいない。自分のあたまのなかにある木山くんに勝手に語らせていた。ひとりはいっしょに帰るときの会話の断片を。もうひとりはスポーツ後につかうタオルを差し出す場面の情景を通して。

 木山くんはグラウンドでサッカーボールを蹴っている。ゴール・キーパーでもなく守備の要でもない。ゴール前の先頭に立ち、ヘディングでシュートを決める。みんなで固まり、よろこびを分かち合う。

 練習後にみゆきというわたしの調査対象のひとりがタオルを手渡した。彼はほほえむ。しかし、着替えを終えていっしょに帰ったのはさゆりという女性だった。わたしはコンパスと望遠鏡を手にして、ふたりを見守る。

 駅で少しふたりは立ち話をする。だが、直ぐに終わらずにベンチにすわってアイスを食べはじめた。望遠鏡の向きを変えると反対側の改札にはみゆきがいた。友だちと快活に話し合っている。知らないことこそが世界の安心につながるのだ。

 アイスの容器をゴミ箱に捨てて、ふたりは離れた。方向が違うホームのうえで手を振り合っている。人間は青春とこの情景を名付けた。わたしにも数千年の春があったはずだが、同時に数千年の積雪がある。ここまでの報告をまとめる。肉体があれば一息いれるためにコーヒーでも飲むのだろう。手を振り合うこともできるのだろう。わたしは意識である。ことばを操りながらも、誰にも声をかけることができない。

 わたしは緩やかにながれる川を見る。その土手をみゆきが歩いている。そこで川は二手に分かれる。どちらも海に流れ着くのだが、河口では県が異なっている。

 木山くんとさゆりは夕飯後に電話をしている。わたしは信号を受信する。盗聴ではない。甘いささやきがあり、小さな約束が生じている。みゆきの母はきょう使用されたタオルを洗濯かごに入れた。みゆき当人はうつ伏せになって歌謡番組を見ている。母は食事の洗い物をして、風呂場の掃除をはじめた。みゆきの弟はまずそうにご飯を食べているが、何度も母を呼びつけてはおかわりをしていた。

 わたしの報告書は、何度も指摘されながらもきちんとまとまらない。必要ない細部に対して冗長なのだ。これも数千年の欠点だ。仕方がない。主役以外の人間があらわれすぎてしまっている。みゆきは風呂に入っている。わたしはテレビのスイッチを切るようにその画面を終わりにした。

 みゆきの母はタオルを干している。木山くんのさわやかなる汗も消えた。人間は河川を汚染する。しかし、わたしはその作業報告の従事者じゃない。

 調査の対象者はみんな眠った。わたしは、ありもしないメガネを外して、目のすみをこする。流れ星の係りが地球に向けて無雑作に石を放り投げている。わたしたちには死はなかった。突き詰めれば同時に生もない気がする。しかし、現状への疑問や反抗はご法度なのだ。わたしは明日の朝を待っている。月はまわり、地球もまわる。むかしのガリレオさんの言うとおり。