傾かない天秤(2)
数か月が過ぎる。木山くんの高校生活も終わりに近付いている。通う大学も決まった。彼は勉強もできるのだ。ふたりの女性もそれぞれ進路を決める。わたしは大学というところが分からない。ここでは誰かに教育を授けるというシステムを採択していない。いつその仕事を覚えたのか分からないまま、その労働に従事している。
人間には給料というご褒美があった。とにかく一日疲れても、家族が待っている家に帰ったり、寄り道して赤い顔になることもできるのだ。わたしは愚痴が多い。反省すべきである。
木山くんは今度はみゆきという女性とデートをしている。辞書を調べると「二股」ということばがある。意味はふたりの恋人と同時に交際すること。人間は、我々より器用にできているのだ。なおかつ高等であるかは分からない。わたしは望遠鏡でその様子をのぞく。もうひとりのターゲットである本命だと思っていたさゆりを印す赤い点が、一本離れた道路を歩いている。このままならその先でばったりと出会ってしまうだろう。
わたしはありもしない肩のあたりを叩かれ、後ろを振り向く。その瞬間を避けるため何らかの障害物を置け、という指示が出ていた。わたしは上からの指示に弱い。直ぐに実行にとりかかる。
しかし、わたしはミスをする。常に間違ったことをしてしまう。わたしが咄嗟に巻き起こした風は、別の場所を通過する。目にゴミが入ってしまって立ち止まるひとがいて、スカートがまくれて驚く多感な年代の少女がいる。
わたしの評価はまた下がるだろう。しかし、永遠という存在ではそう簡単にくびにはならない。失業者が皆無な場所なのだから。油断して自分の心配をしていると、いびつな関係の三人は交差点で呆然としている。木山くんはハンドというサッカーにおいて姑息な反則をとられたような顔をしていた。わたしは無言で観察する。
ふたりの女性は罵声をあげる。現代の女性である。木山くんは存在を消す。ゴール前で彼がタイミングよくそうしていたように。わたしは音声のボリュームのつまみを左にまわして小さくしてしまう。わたしは罵倒がきらいなのだ。自分がされるのはかまわないが、ひとのを客観的に見るのも聞くのも苦手だった。
三人はまったくの他人に戻ったように方々に散った。わたしのミスは、それぞれの未来を変えた。
木山くんはそれから百貨店の屋上にのぼり、晴れわたる空を呆然とながめている。悲しいというより、すがすがしさのようなものが表情のなかに垣間見える。彼は進学した場所で、まったく同じようなことをするのかもしれない。わたしはそのころには担当から外れているだろう。そもそも、わたしはこの別個の女性たちの未来を任されていた。
みゆきという女性はトイレにしゃがみこんで泣いている。泣くということが女性にとって辛いことの一環かは分からなかった。浄化という作業に至る道筋なのだ。反対にさゆりという女性はひとりでコーヒーを飲んでいる。苦そうな顔をしているが、人間の味覚はなかなか難しいものらしい。東洋人には苦みというものが大人へとなるにつれ、おいしいというカテゴリーに含まれていく。
わたしはきょうも反省文を書かなければいけない。でも、あそこで会わせないということをこころの奥では認めていなかった。静かなる反逆。ここで昇進することはもう不可能なのだ。地道に毎日こつこつと報告書をあげる。人間という夢見がちで愚かで正直でストイックなサンプルをたくさん集めるために。
わたしは手馴れたように、報告書を書きだす。進歩も成長もない存在。人間は四十年ぐらいかけて一人前になり、壁にぶち当たって定年になる。女性は数人の母になる。白髪になって、病気が忍び寄る。なだらかな下降が訪れ、あとは灰になる。数年後にはそのひとを知っていたひとも死ぬ。後世まで名をのこすひとも何人かはあらわれるが、比較すれば圧倒的にすくない。アレキサンダー大王とか、カエサルとか、ナポレオン。もちろん、わたしはそういう有名な方々の担当ではない。ただ暇なときに、調査報告書で知ることになった。
木山くんは家に着いて何事もなかったように夕飯を食べている。ふたりの女性はベッドで寝転んでいる。みゆきという女性は不慣れな化粧のままだった。さゆりは思い出の品々を箱につめている。わたしのとなりの席では殺人という物騒な調査に従事しているものが上司に状況を説明している。わたしたちは、なるべくなら関与しない。表面的に。建前上は。だが、数滴の血液や髪の毛が将来の犯人探しに通じるのだ。上司は髪の毛を抜く命令を出す。逃走用の車の後部座席に一本の毛が落ちた。わたしたちの関与は小さなものだ。だが、結果的に正義がなされることを望んでいる。
わたしは報告書を書き上げる。数週間の謹慎がある。わたしは個室で人間たちの文明の資料を読むことにする。川があり、穀物が実り、それでも、砂やほこりのしたに埋もれてしまうことも度々だった。厭世的にもならないが、希望とか充実とかもわたしからは程遠かった。
数か月が過ぎる。木山くんの高校生活も終わりに近付いている。通う大学も決まった。彼は勉強もできるのだ。ふたりの女性もそれぞれ進路を決める。わたしは大学というところが分からない。ここでは誰かに教育を授けるというシステムを採択していない。いつその仕事を覚えたのか分からないまま、その労働に従事している。
人間には給料というご褒美があった。とにかく一日疲れても、家族が待っている家に帰ったり、寄り道して赤い顔になることもできるのだ。わたしは愚痴が多い。反省すべきである。
木山くんは今度はみゆきという女性とデートをしている。辞書を調べると「二股」ということばがある。意味はふたりの恋人と同時に交際すること。人間は、我々より器用にできているのだ。なおかつ高等であるかは分からない。わたしは望遠鏡でその様子をのぞく。もうひとりのターゲットである本命だと思っていたさゆりを印す赤い点が、一本離れた道路を歩いている。このままならその先でばったりと出会ってしまうだろう。
わたしはありもしない肩のあたりを叩かれ、後ろを振り向く。その瞬間を避けるため何らかの障害物を置け、という指示が出ていた。わたしは上からの指示に弱い。直ぐに実行にとりかかる。
しかし、わたしはミスをする。常に間違ったことをしてしまう。わたしが咄嗟に巻き起こした風は、別の場所を通過する。目にゴミが入ってしまって立ち止まるひとがいて、スカートがまくれて驚く多感な年代の少女がいる。
わたしの評価はまた下がるだろう。しかし、永遠という存在ではそう簡単にくびにはならない。失業者が皆無な場所なのだから。油断して自分の心配をしていると、いびつな関係の三人は交差点で呆然としている。木山くんはハンドというサッカーにおいて姑息な反則をとられたような顔をしていた。わたしは無言で観察する。
ふたりの女性は罵声をあげる。現代の女性である。木山くんは存在を消す。ゴール前で彼がタイミングよくそうしていたように。わたしは音声のボリュームのつまみを左にまわして小さくしてしまう。わたしは罵倒がきらいなのだ。自分がされるのはかまわないが、ひとのを客観的に見るのも聞くのも苦手だった。
三人はまったくの他人に戻ったように方々に散った。わたしのミスは、それぞれの未来を変えた。
木山くんはそれから百貨店の屋上にのぼり、晴れわたる空を呆然とながめている。悲しいというより、すがすがしさのようなものが表情のなかに垣間見える。彼は進学した場所で、まったく同じようなことをするのかもしれない。わたしはそのころには担当から外れているだろう。そもそも、わたしはこの別個の女性たちの未来を任されていた。
みゆきという女性はトイレにしゃがみこんで泣いている。泣くということが女性にとって辛いことの一環かは分からなかった。浄化という作業に至る道筋なのだ。反対にさゆりという女性はひとりでコーヒーを飲んでいる。苦そうな顔をしているが、人間の味覚はなかなか難しいものらしい。東洋人には苦みというものが大人へとなるにつれ、おいしいというカテゴリーに含まれていく。
わたしはきょうも反省文を書かなければいけない。でも、あそこで会わせないということをこころの奥では認めていなかった。静かなる反逆。ここで昇進することはもう不可能なのだ。地道に毎日こつこつと報告書をあげる。人間という夢見がちで愚かで正直でストイックなサンプルをたくさん集めるために。
わたしは手馴れたように、報告書を書きだす。進歩も成長もない存在。人間は四十年ぐらいかけて一人前になり、壁にぶち当たって定年になる。女性は数人の母になる。白髪になって、病気が忍び寄る。なだらかな下降が訪れ、あとは灰になる。数年後にはそのひとを知っていたひとも死ぬ。後世まで名をのこすひとも何人かはあらわれるが、比較すれば圧倒的にすくない。アレキサンダー大王とか、カエサルとか、ナポレオン。もちろん、わたしはそういう有名な方々の担当ではない。ただ暇なときに、調査報告書で知ることになった。
木山くんは家に着いて何事もなかったように夕飯を食べている。ふたりの女性はベッドで寝転んでいる。みゆきという女性は不慣れな化粧のままだった。さゆりは思い出の品々を箱につめている。わたしのとなりの席では殺人という物騒な調査に従事しているものが上司に状況を説明している。わたしたちは、なるべくなら関与しない。表面的に。建前上は。だが、数滴の血液や髪の毛が将来の犯人探しに通じるのだ。上司は髪の毛を抜く命令を出す。逃走用の車の後部座席に一本の毛が落ちた。わたしたちの関与は小さなものだ。だが、結果的に正義がなされることを望んでいる。
わたしは報告書を書き上げる。数週間の謹慎がある。わたしは個室で人間たちの文明の資料を読むことにする。川があり、穀物が実り、それでも、砂やほこりのしたに埋もれてしまうことも度々だった。厭世的にもならないが、希望とか充実とかもわたしからは程遠かった。