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物語の連鎖
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傾かない天秤(4)

2015年09月28日 | 傾かない天秤
傾かない天秤(4)

 そう深く調査をしないでも、人間というものは男性と女性と大きく異なった存在だった。社会学者というものもいて、肯定的な意見を述べれば互いは補完する関係らしく、否定的な見解に立てば、永久に理解しえない、交わることのない運命らしい。肯定と否定を反対にしてもまったく問題もないことだが。

 友情という性質もある。男性は大人になっても子どもっぽさをその関係にのこしたいらしい。女性たちはずっと話している。こちらの言語を操る機器で解析すると、どうも相互の意思疎通というのを文明的ではないと判断してしまう。その問題は重要でもないので、半永久的に棚上げである。

 ふたりの女性は電話をしたり、メールというものをしている。わたしたちの組織は無限に情報を収集する能力がある。主にみゆきという女性が発信して、さゆりが遅れて返信をしている。今度の休日に会う約束が成立した。約束というのは契約より軽い形式で、多少の時間の前後は許されるものだ。

 わたしは調査報告のための手引を眺める。人間というものの規範や行動姿勢やモラルがたくさん書かれている。遅刻というのはある種の人間にとって不治の病いであるそうだ。わたしはぺらぺらとめくる。鈍感は罪である、と考える指導者がいて、麻痺こそが人生の醍醐味であると考えているひともいる。几帳面な人間がわざわざある物質によって冴えたる脳を鈍麻させ、中毒症状に至る場合もある。カウンセラーという仕事や、医者という尊き職業について従事することもある。わたしたちはサンプルを採取して分類する。まだこの地球という球体をのこさなければいけないのだ。

 海辺が開発され観光客を誘う。ふたりはモノレールに乗ってそこに向かっている。空は青く、すがすがしい風が吹いている。彼女らはおいしい食べ物の話をして、男性の話題ももちろんある。好みの異性とは容貌と性格と年収の兼ね合いでもあり、自分と同じような価値観ともいっている。自分を成長させてくれるひとがいい、とみゆきは望み、さゆりという方は言うことをすぐさまきいてくれる年下も捨てがたいと語った。

 総じて相性というものになるらしいが、わたしたちが組んだプログラミングのボタンを押せば一遍に分かるのだが、わたしたちは介入するも最後の判断はしない。ふたりにも三人の候補者がそれぞれいる。わたしはその資料を詳細に見たいと思うが、いまのところ名前と年齢しか分からない。さゆりのリストにはひとりの年下の男性がいた。その担当も別のどこかにいる。

 わたしたちは結託することを許されていない。しかし、正直にいえばわたしはこの組織がどこを、なにを目指しているのかは正確には分かっていないのだ。ただ、与えられた任務をミスしないように、前任者のやり方を見事に踏襲するように、自分の新たな考えを簡単に取り入れないようにしているだけだ。しかし、ミスは蜂が甘い蜜を集めるようにどこかからやってくる。失敗が起こると、そこで全員に周知される。台風の発生させる数を間違え、南風のボタンを関係のない季節に押してしまった。揉み消そうとしても、わたしたちを看視しているグループがあっさりと見破ってしまう。組織間の交代があるので、わたしも今度はあちら側に行く可能性がある。それも、あるテストに合格してからだ。

 人間というのは自分の人生を楽しむほかに、物語を書く能力を有しているひともいた。ドストエフスキーやトルストイやバルザックという方々は時間が経過しても少数から尊敬されている。わたしもそれらの読み物をダウンロードして部屋にストックしている。わたしたちには、そういう能力をもつものなどひとりもいない。皆無なのだ。どこかで厳しく取り締まられているのか、それとも、そもそもわたしたちは過去のどこかでみすみすそれらの能力を失ってしまったのかもしれない。

 わたしは白昼夢のなかにいる。女性同士の際限なき会話が苦手であり、催眠術にかかったように自分の意識が消えかかってしまう。だが、やっと話を終えて、レストランに入り料理の注文をはじめる。決まったのかと思うも、そこからがまた長かった。ああでもないこうでもない、とまた問答がつづく。結局、ふりだしにもどりパスタの味付けが決まる。

 わたしは味覚音痴である。ふたりの食べ物の味を想像するしかない。彼女らは口を拭い、運ばれてきたデザートに移る。ウエィターは紺の腰からしたのエプロンをしている。ボールペンとオーダーを記入する紙の束がポケットに入っていた。作法とかをうるさく言われたのか、彼はきれいな文字を書いた。だから、奥の厨房の仲間からもうけがいい。それだけではないのかもしれない。わたしたちの意志の疎通はもっとシンプルである。字という個性が満載のものを採用していないのだ。

 ふたりは砂浜のうえに腰かけている。夕日がだんだんと水平線に落ちはじめている。人間はもっていなはずの永遠という観念をあたまにうかべる。波の音もきこえる。悠久の歴史。その一員であることは、やはり楽しそうである。




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