爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

最後の火花 96

2015年07月14日 | 最後の火花
最後の火花 96

 英雄のために銀行の口座をつくった。わずかばかりの入金だが毎月しようと思う。別の個人用の印鑑を買い、袋に入れてタンスにしまった。誰かが誰かに示す確かな愛情の一部はお金をのこしてあげることだった。全部ではないが、一部であることは間違いない。大人になって感謝の気持ちをもってくれればいい。途中で育む必要がある。わたしは覚えるのも容易い額の数字を読み上げる。ほんとうにはじめはわずかだった。

 倹約と浪費の間に誘惑がある。わたしは倹約ばかりしてきたような気もする。どこかに社長夫人のようなひともいるのだろう。洋服にお金をかけ、おいしいものをたくさん食べる。それと引き換えになにを差し出さなければいけないのだろう。こういう性分だから貧乏に近い状態なのだろう。

 会社のお金を計算している。横領という事件の新聞の記事がきょうあった。度胸があるひとだ。わたしはそんな真似は絶対にできないだろう。そもそも、どこかで引き抜くほど会社の状態はよくない。わたしは几帳面に数字を埋める。恵まれるより、正しい記述の方が気持ちがよい。当然といえば、当然だ。

 魚や野菜の値段を気にする。世の主流となる立派な経済の本があるそうだ。しかし、どこかで誰かが儲けて、誰かが値切られている。わたしは勝手に値切られた言い値で魚を買う。二尾が三尾になる。魚屋さんは裏でさばいてくれた。生臭いにおいがする。それが魚屋さんであることの証明である。長靴を履いた店主から魚を受け取る。すこし天気の話をする。時化になると大変なのだろう。ネコが店の前で門番のような役割をしている。頭の部分をもらえるのかもしれない。家はどこにあるのだろう。神社の境内ではある時期になるとネコの子どもがたくさん生まれた。お腹の大きいネコをあまり見かけないのに。

 ひとというのは不思議なものだ。一年近くも母親の胎内にいて、きちんと成長するのは十代の半ば以降になってからだ。それまではご飯を与えられ、学校でいろいろなことを教えられ、やっと一人前になる。さらに一人前になってから少し経つと、彼らも同じ工程に入る。恋という美しい一段階があるが、もちろん見合いという方法もあるが、子どもが生まれ、学校に通うようになる。算数の得意な子がいて、絵の上手な子もいる。運動神経を身に着けて生まれた子がいて、静かに本を読むことが大好きな子も生まれる。学者になって、またある子はお相撲さんになる。胃の小さい子がいて、大食漢の子もいる。でも、誰も事前に察知できない。与えられたものを、与えられたもの以上にするだけだ。

 英雄は大根をおろしている。白いものが皿にたまる。それを焼き魚の横にのせる。香ばしい匂いがする。土曜は山形は残業をしない。たまにはということで英雄と銭湯にも行った。大きな湯ぶねがより疲れを取るそうだ。わたしもそれに合わせて食後にお風呂に向かう。着替えながらおかみさんたちと無駄話に興じる。小さな男の子もお母さんに連れられていた。異性に裸を見られることをまだ恥ずかしくは感じないのだろう。わたしたちもその小さな目をことさら意識しない。ただの男の子。英雄はもういやがるだろうか。

 まだまだ暑いと思っていたが風は冷たくなっている。わたしは洗面器をもち、サンダル履きで歩いている。目の前にはある夫婦が歩いている。新婚さん。肩を寄せ合うようにしている。楽しい時期なのだろう。わたしも前のひととそうした機会をもっていたのだろうか。もう思い出せなかった。思い出せないというより、思い出す事実を見つけられなかった。

 商店はすべてしまっている。わたしは夜の町を最近、歩いていなかった。月がのぼり、その明かりが足もとを照らす。ひとりで今後のことを考える。わたしはもう一度、結婚をするのかもしれない。もうその決定は自然な流れの範疇に入ってしまっている。

 家の戸を開ける。ふたりは寝そべり、あお向けの姿勢で本を読んでいた。狭い室内に身を固めて暮らしている。美しい情景。神々しさすらある。わたしは裸足でその空気を乱すことに関与してしまう。

「どうだった、混んでいた?」
「それほどでも」
「牛乳、飲んだ?」と、英雄も訊く。わたしは返事をしないでただ微笑む。

 わたしは手拭いを干す。急に風が雨戸に激しく当たる。そろそろ台風の時期になるのだろうか。毎年、忘れずにどこから来るのだろう。いつか文明がすすんだら、壁のようなもので防いだり、あるいは爆竹の大きなもので中心をこわしてくれるだろうか。しかし、来るものはなにがあっても来るしかないのだ。それが宿命であり、それぞれの命の生甲斐でもあった。

「明日、なにする?」とわたしは英雄に訊く。
「山ん中に入りたい」
「どうするの?」
「たくさん栗をひろう」
「じゃあ、栗ごはんだ」と山形が言う。

 それも悪くないとわたしは思う。結局、わたしにとって悪いことなどひとつもなかった。わたしは明かりを消す。暗闇のなかで鼻は前触れのように栗の素朴なにおいを感じてしまう。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 最後の火花 95 | トップ | 最後の火花 97 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

最後の火花」カテゴリの最新記事