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最後の火花 94

2015年07月11日 | 最後の火花
最後の火花 94

 一日一日と三人で暮らした日が増える。加算される。どれぐらい経ったら知り合う前と同数になるのだろう。英雄は十才ぐらいで迎える。わたしは五十才を過ぎてしまうだろう。五十才。そこで見る景色はいったいどういうものだろう。

 英雄はその間に五回の夏休みを過ごす。どの年がいちばん楽しい記憶となるのだろう。海に行き、山に行く。泳ぎが得意になり真っ黒に日焼けして、誰かを好きになる。彼を補ってくれる性質をもつ女性はどこにいるのだろう。わたしは小さな少女に嫉妬をするかもしれない。採点を辛くするかもしれない。実際の親子に似た、義理の間柄を超越する関係になるのかもしれない。

 わたしは隣の家に生まれた赤ちゃんを抱っこする。新米の母親。そして、新米の父親。ベテランの母親などどこにもいないのかもしれない。いつまでも子どもは子どものままでいてくれないのだから。

 英雄は絵を描いている。ネコを描き、魚を描いた。魚はどうしても寝そべった姿で描かれる。泳ぐ姿など水中のことなので、具体的に、さらには立体的にはむずかしいだろう。

「上手だね」
「だって、好きだから」

 好きだから得意になるのか。得意なことは誰も好きなのだろうか。苦手なことをするのは苦痛だ。好物ばかりを食べては栄養が偏るが、こうした分野は長所として伸ばしてあげる方がためになるのか。わたしも新米の母親に近い。
「お母さんも描いてみれば」そういって英雄は鉛筆を差し出す。
「ダメだよ、下手だから」
「上手になるよ」

 わたしは色鉛筆でへのへのもへじと書く。わたしにできる精一杯のことだった。わたしの長所はどこにあるのだろう。自分自身で点検する。なにも思い浮かばない。わたしは鉛筆を戻す。窓を開けて空を見る。青と決められたから空は青いのか。わたしはぼんやりと考えながら、空を見る。今後ずっと雨など降りそうもない快晴だった。どこかから布団を叩く音がする。幸福の太鼓。あれを敷いてぐっすりと眠れば、直ぐに疲れなど吹っ飛ぶだろう。

 新聞の集金のため若い男性が玄関にやってきた。わたしが財布を探している間に、英雄はその男性に自分の絵を見せていた。上手だと誉められて、頭を撫でられている。今度、景品でペンをくれる約束をしていた。大人はつい約束を忘れてしまう場合があった。破りたくて破っている訳でもなく、うっかりと忘れてしまうのだ。彼がその約束を簡単に忘れなければいい。しかし、一か月もそのことばかり考えてもいられないだろう。

 英雄はラジオを描きはじめる。ある日、学校で両親の絵を描くようにすすめられるかもしれない。残酷なことだ。英雄はどう反応するだろう。素直さと真実の板挟み。しかし、未来にはほんとうの夫婦になっているかもしれない。可能性は潰えていない。開花のまえのつぼみのように膨らんでいる。

 わたしはお米をとぐ。将来の女性はいくつもの家事から解放されるのだろうか。しかし、そうなったら余った時間をなにに使うのだろう。それでも、やっぱり忙しいのだろうか。英雄もこれぐらいできた方がよいのだろうか。料理する才能などやってみないと分からない。わたしはラジオから流れる音楽に合わせて唄った。

 わたしも洗濯物を取り込む。乾いた厚手の作業着。たたんでいると英雄の絵が完成される。
「なんに見える?」
「ラジオでしょう。そこに貼って置けば」わたしは壁を指差した。殺風景な壁。お米屋さんの名前が入ったカレンダーがあるだけ。その上には時計がある。夕方になるころだ。日は夏に比べると短くなる。やるべきことは、まったく同じなのに。

 山形の職場の事務の男性がやってきて、外にいる英雄になにかささやいていた。
「どうしたの?」
「おじさん、ちょっと遅くなるって」
「そうなの。たいへんね」

 わたしは味噌汁を用意する。大根を切って入れる。味見をする。満足なできだ。
「お腹すいた? 先に食べる」
「待ってるよ」
「ちょっと、そこ片付けてね」

 紙や鉛筆がまだ床に散乱していた。英雄は静かに後片付けをする。わたしは机の脚を出して、布巾で拭いた。食器を並べる。疲れて帰ってくる。毎月、この近辺は忙しい。わたしの身体は意図せずに覚え込んでしまう。

「ただいま」
「さっき、おじさんが遅くなるって言いに来たよ」
「こっちに用があるっていってたから。うまそうなにおい」

 わたしはご飯をよそう。味噌汁を温めなおした。これぐらい食べるという量を覚えてしまう。いつもよりすくなかったら健康ではないというサインになる。滅多にない。いや、ほとんどなかった。
「ラジオ描いたんだ」山形は壁の絵を見ていた。
「新聞屋さんが、今度、もっといっぱいの色をくれるって」
「そうか。じゃあ、もっと上手になるな」

 ひとは約束をする。小さなものや、大きなものまで。結婚も約束だ。子育ても二十年近い約束だ。いったん生まれたら放棄はできない。新米の夫婦。新米の子ども。描いたばかりの壁の絵。空になったお茶碗。満腹になったのか男と男の子があくびをする。まるで双子のように同時に。


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