(19)
休みが終わり、それぞれの仕事に戻っていく。大きさも性質も不揃いなものを、きちんと上に並べられるような努力をそれは求めている。
人間は、なぜ仕事をするのだろう? もちろんのこと、生活の糧を得るためが大前提となっているが、それだけでもないだろう。毎日の食事や家賃。ある程度の恥ずかしくない服装。多少の娯楽に多くは吸い取られていく。しかし、それがすべてであるならば、人間の向上したいという気持ちは、どこに持っていけば良いのだろう。
ぼくは、その時も、そのような考えを第一にしたいと思っていた。仕事に上下などもないし、尊くないことなど、ないのも知っているが、自分の生み出すことによって、いくらかの痕跡と誰かのこころが揺す振られていくことを期待してもいた。
またもや先輩はコーヒーを片手に部屋に入ってくる。最近は、彼女の様子や振る舞いで、昨夜をどう過ごしたのか、知ることも出来るようになっていた。今日は明らかに眠たげで、そのままコーヒーを持ったまま、自分が書いた原稿をぼくにチェックしてくれと頼んで、どこかの部屋に消えた。しかし、どう小細工しても、ぼくの能力では動かせないほどの見事な表現に満ちていた文章だった。
ある著名な文化人と言われている人と一緒にインタビューに行った。その男性は明らかに先輩に好意ある視線を向けていた。そのことを気付いていないのか、気付かないふりをしているだけなのか分からないまま、そのインタビューは終わっていく。最後に、今度一緒にどうこう、という軽やかな誘いをやんわり断り、そこを後にする。そのことがなくても、あまり尊敬できる人物ではないことは確かなのだが、そのままの記事では問題が残ってしまうので、うまくデフォルメをしながらも見事な記事に作りかえられて行く。
「どうだった?」
先輩はかなり時間がたった後、部屋に戻ってきて、眠気が消えた表情できいた。
「いやあ、どこも間違いがないし、完璧に近いですけど」
「そう、まだまだって感じもしていたけど」
と、完全にお手上げ状態の自分に拍子ぬけしたような声で答えながら、椅子に座った。
それから、ある場所で昼食を一緒に先輩ととり、また同じような経済の専門家と呼ばれている人に会いに行った。
たかがお金の損得の話かと、仕事をする前は考えていた。もっと文化とか文芸の匂いのするものに自分は惹かれていたが、なんでもやってみれば違った印象を受ける。つまりは、お金のプラスマイナスの話にすることではなく、新しい発想で現状を打破していく話だったり、なによりもそこに将来の希望が含まれていないと、読者は納得しないのだ、ということに気付いていく。
そう考え出すと、自分の気持ちもいくらか変わっていく。否定的すぎる文章や考え方に建設的なものが加わったり、解決策の提示を挟むことによって、将来の希望、簡単にいえば、明日の生活は、ひどかった今日よりいくらかましになっているだろう、という感覚が人間の支えになるのだ。
移動の電車の中で先輩は目をつぶっている。その横で自分は、これから起こるであろうことをおさらいしている。資料を集める方法もなんとか伝授してもらい、そこだけは気に入って貰えるようになった。まだまだ完全ではないが、任されていくことも増えていく。この積み重ねが、生活のためだけにしているのではないという充足感にも繋がっていく。
そのインタビューも済んで、先方の会社をでると、小雨が降っていた。足早になり、そのビルの裏手の喫茶店で雨宿りをする。きまって、ミルクティーを飲む自分を先輩は怪訝な顔で目にする。
「紅茶もおいしいですよ」
と、苦い言い訳の言葉を発しながら、ぼくはそれに口をつける。
雨がやみ、先輩は資料をぼくに渡し、会社に戻らないからよろしく、と去っていった。
仕事も終わり、自分の家に帰り着替えながら、ステレオのスイッチを入れる。電源が暗い中で輝き、音が流れる。たくさんの時間を音楽を聴いていたいので、疲れないような音量と設定にしてある。多分、古い黒人の音楽は生活の苦悩をギター片手に歌っているのだろう。しかし、そこにも直ぐには解決されないけど、いずれそのうちに改善されるなにかを求めている、そこはかとない希望が底辺に流れている気がする。
休みが終わり、それぞれの仕事に戻っていく。大きさも性質も不揃いなものを、きちんと上に並べられるような努力をそれは求めている。
人間は、なぜ仕事をするのだろう? もちろんのこと、生活の糧を得るためが大前提となっているが、それだけでもないだろう。毎日の食事や家賃。ある程度の恥ずかしくない服装。多少の娯楽に多くは吸い取られていく。しかし、それがすべてであるならば、人間の向上したいという気持ちは、どこに持っていけば良いのだろう。
ぼくは、その時も、そのような考えを第一にしたいと思っていた。仕事に上下などもないし、尊くないことなど、ないのも知っているが、自分の生み出すことによって、いくらかの痕跡と誰かのこころが揺す振られていくことを期待してもいた。
またもや先輩はコーヒーを片手に部屋に入ってくる。最近は、彼女の様子や振る舞いで、昨夜をどう過ごしたのか、知ることも出来るようになっていた。今日は明らかに眠たげで、そのままコーヒーを持ったまま、自分が書いた原稿をぼくにチェックしてくれと頼んで、どこかの部屋に消えた。しかし、どう小細工しても、ぼくの能力では動かせないほどの見事な表現に満ちていた文章だった。
ある著名な文化人と言われている人と一緒にインタビューに行った。その男性は明らかに先輩に好意ある視線を向けていた。そのことを気付いていないのか、気付かないふりをしているだけなのか分からないまま、そのインタビューは終わっていく。最後に、今度一緒にどうこう、という軽やかな誘いをやんわり断り、そこを後にする。そのことがなくても、あまり尊敬できる人物ではないことは確かなのだが、そのままの記事では問題が残ってしまうので、うまくデフォルメをしながらも見事な記事に作りかえられて行く。
「どうだった?」
先輩はかなり時間がたった後、部屋に戻ってきて、眠気が消えた表情できいた。
「いやあ、どこも間違いがないし、完璧に近いですけど」
「そう、まだまだって感じもしていたけど」
と、完全にお手上げ状態の自分に拍子ぬけしたような声で答えながら、椅子に座った。
それから、ある場所で昼食を一緒に先輩ととり、また同じような経済の専門家と呼ばれている人に会いに行った。
たかがお金の損得の話かと、仕事をする前は考えていた。もっと文化とか文芸の匂いのするものに自分は惹かれていたが、なんでもやってみれば違った印象を受ける。つまりは、お金のプラスマイナスの話にすることではなく、新しい発想で現状を打破していく話だったり、なによりもそこに将来の希望が含まれていないと、読者は納得しないのだ、ということに気付いていく。
そう考え出すと、自分の気持ちもいくらか変わっていく。否定的すぎる文章や考え方に建設的なものが加わったり、解決策の提示を挟むことによって、将来の希望、簡単にいえば、明日の生活は、ひどかった今日よりいくらかましになっているだろう、という感覚が人間の支えになるのだ。
移動の電車の中で先輩は目をつぶっている。その横で自分は、これから起こるであろうことをおさらいしている。資料を集める方法もなんとか伝授してもらい、そこだけは気に入って貰えるようになった。まだまだ完全ではないが、任されていくことも増えていく。この積み重ねが、生活のためだけにしているのではないという充足感にも繋がっていく。
そのインタビューも済んで、先方の会社をでると、小雨が降っていた。足早になり、そのビルの裏手の喫茶店で雨宿りをする。きまって、ミルクティーを飲む自分を先輩は怪訝な顔で目にする。
「紅茶もおいしいですよ」
と、苦い言い訳の言葉を発しながら、ぼくはそれに口をつける。
雨がやみ、先輩は資料をぼくに渡し、会社に戻らないからよろしく、と去っていった。
仕事も終わり、自分の家に帰り着替えながら、ステレオのスイッチを入れる。電源が暗い中で輝き、音が流れる。たくさんの時間を音楽を聴いていたいので、疲れないような音量と設定にしてある。多分、古い黒人の音楽は生活の苦悩をギター片手に歌っているのだろう。しかし、そこにも直ぐには解決されないけど、いずれそのうちに改善されるなにかを求めている、そこはかとない希望が底辺に流れている気がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます